『唯我独尊』 ~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.3

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―それで、富山から京都のファイアーバーズに来ることになったのですか?

正直、拾ってもらったという感覚です。ダメなら高校の監督に相談しようと勝手に思っていました。


―すごいことやと思います!出身地の舞鶴周辺でプレイするのならまだわかりますが…。

後から竹内監督にも「やる気があるから受けに来たのやろ?なかったらできひん。まだできると思ったからセレクションを受けたんやろ?」と言われました。富山は出るしかなかったけれども、舞鶴にはチームもないので。


―どうやって京都ファイアーバーズを知ったのですか?

それが富山ベースボールクラブにいたときに練習試合をしたのです。もちろん投げてないですが。そのときサムライ・ベアーズの選手が残っていて、アメリカ帰りでNOMOベースボールクラブにも勝つなど強いチームの印象でした。そう言えば、リリーフで竹内監督が投げていて「球速いなあ」と思いました。そんなこともあって、インターネットか何かでトライアウトの情報を得て、応募用紙をダウンロードしました。地元の京都で、当時は榊原監督(浜松商―中央大―日本楽器―阪神―日本ハム)だったし、ファイアーバーズに入れば自分もレベルアップできるかなと思いました。


―それで竹内監督と知り合うわけですね。

竹内監督は経験豊富で、同い年に感じないところがあります。監督がまた投げるようになったら、負けるかもしれません(笑)。でも、まだ投げてほしいし、それを観たい。一緒にキャッチボールをしている時が、他の人とする時よりも楽しいです。


―ファイアーバーズに辿りついてよかったですね。

今やっとほぼ自分の野球ができるようになりました。



―大学では18番だった背番号が今は24番ですが、何か意味がありますか?

最初は6番でした(苦笑)。近藤君(明石レッドソルジャーズ)が辞めるちょっと前に交換しました。チームメイトも時々「ピッチャーなのにおかしい」と言ってくれて、変えてあげんとあかんという雰囲気になりました。あきらめかけていましたけど(笑)。


―6番はおかしいです(笑)。投手としては24番でも違うかなあと思います。

一番最初は14番がいいなあと思っていました。今中(元中日)投手が好きだったので。同じ左でスローカーブに惹かれました。


―今はサイドハンドで投げていますが、以前はオーバースローだったのですか?

そうですね。ファイアーバーズに来て2年目から横にしました。それまでは上から普通にスローカーブとまっすぐを投げていました。


―変えるのに勇気が要りませんでしたか?

働きながら富山から京都まで往復している時は、1ヶ月に1、2回しか来られませんでした。とにかく練習に参加できませんでしたから、たまに来て投げても調子が悪く、コントロールも今ひとつで…。このまま上から投げていては試合に出られない。ひじを下げてみようと思ったのがきっかけです。


―会社もなかなか辞められない状態だったんですね?

会社には辞めると言っていたのですが、部署内での他の人の人事異動があったので引っ張られました。「人がどうしても…」と言われて半年経ちました(笑)。それでもう1回頼んでようやく「わかった」と快諾してもらえました。


―それにしても、富山から京都まで半年も通っていたというのは驚きです。時間もお金もかかったでしょう?電車ですか?

車で来てました。最短4時間半で往復6000円くらいかかってました。ガソリンはもちろん別途です。昼からの練習なら朝8時に出る感じです。今ならETCで1000円ですが、途中までお金のかからないルートを使ってから高速に乗ってました。そうすると、5時間ちょっとかかります。10回以上往復しましたが、野球に行くことに関してはつらくありませんでした。


―北信越BCリーグは考えなかったのですか?

会社を辞めた次の年にリーグができたのですが、トライアウトを受けて北信越に行っても到底ムリと思ってました。だから挑戦する意識もなかったですね。元チームメイトが3人入りましたが。


―そういう苦しい状況で野球を辞めようとは一度も思わなかったですか?

野球が好きなのが1番ですね。それとまだまだ不完全燃焼というのもありました。高校や大学を引退した時も、技術がまだ天井ではないと思っていましたし、そう思えるところもありました。もっとできるのにと、うまくなれるはずと今も思い続けています。限界が来て、これ以上うまくならないと思えば辞めていたかもしれないし…。もし、辞めるチャンスがあったとしたら富山の社会人クラブの時だったと思いますが、もっとできるのにここで辞めるという選択肢は選べなかったですね。実際に周りのみんなから見ても、仕事を辞める際に「そうか、それはわかる。でも、会社も辞めるの?」と言われました。でも、自分ではそう思いませんでした。仕事的に問題があったわけでもありません。


―いつから城陽市にお住まいなのですか?

今年の1月からです。去年の半年間は舞鶴の実家から練習に通っていました。
その間、設備会社でバイトしたり、親戚のおじさんのお手伝いをしていました。でも、チームに「近くに引っ越したい」と言ったら、アルバイト先まで紹介してもらいました。


―住んでいるところも紹介されたのですか?

実家に帰ったチームメイトの部屋に入れ替わりで住んでいます。


―アルバイトの話が出てきましたが、大学の時はどうでしたか?

コンビニで週に4日、夜の9時から深夜の1時まで、4時間ずつくらい働きました。それからゴルフ場で球拾いですね。すぐに終わりました(笑)。基本的には接客はあまり好きではないですけど、昼間は練習もあるので、今は夜だけ焼肉屋さんに勤務しています。他にも練習のない週2回は昼に自営業のチームメイトのお手伝いをさせてもらっています。


―仕事もあるので、練習も時間が取れないですね。

そうですね。バイトで疲れますが、野球に支障がないようにしているつもりです。特に暇な時間もないので、毎日走ったりするなど個人ではほとんど練習もできていないですね。


―趣味が車とHPにありましたが、ドライブする時間もないですね?

ドライブしたらガソリンが減るので(苦笑)。今までずっと海が近いところに住んでいたので、時々海が恋しくなります。


―好きな言葉はありますか?

うーん、…「日々是努力」です。高校の監督さんが常に言ってました。怖かったけど、尊敬していました。


―ジンクスや願掛け、習慣のようなものはありますか?

うーん、…ファウルラインの線を右足から越える…ですかね。自分で勝手に決めてやっています(笑)。1つ決め事をしておいたらいいかなあと。毎回同じことをするとリズムができるので。


―好きなプロ野球選手は?阪神ファンですか?

阪神ファンです。好きな選手…うーん、中日の高橋聡文ということにしておきましょう(笑)。同じ左ピッチャーだし、テレビで観た時は自然と応援してしまうし、打たれてほしくないですからね。


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