『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.3

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―軟式に移られて初めての大会は1年秋ですが、出場はなかったですよね?

はい。まだ硬式だった時に、軟式は府大会で優勝したので近畿大会を観に行きました。


―それでは、2年春から試合に出るようになりましたか?

はい、出るようになりました。府大会で準優勝(優勝は龍谷大平安)して近畿大会(明石球場)に出場しました。1回戦は神戸弘陵(兵庫)に勝ちましたが、2回戦で耐久(和歌山)に負けました。


―2年夏や秋はどうでしたか?秋は3年連続11回目の府大会優勝でしたが。

夏は府大会で優勝して、近畿大会の初戦で比叡山(滋賀)に負けてしまいました。秋も府大会決勝で立命館を1-0で下して優勝したのですが、近畿大会初戦で耐久(和歌山)に負けました。聞いてほしいのですが、その年に近畿大会で耐久に負けた2試合はどちらもエラー数で勝敗が決まったのです!…エラー数で決めるっておかしいなあと思っていました。エラーしている数が多いのに点が同じということは、抑えているということですよね?!…今年からその決め方はなくなったのですけども。すごく悔しい思いをしました。


―…そう言われるとそうですね。面白い考え方です(笑)。エラーが多くても点を取られなかったらいいわけですからね(笑)。それでは、2年春からレギュラー(正捕手)だったのですね。すぐレギュラーになれましたか?

僕が軟式に入る前は、チームにキャッチャーがいない状態だったので、外野手の先輩がキャッチャーをしていました。でも、僕が入って外野にまた戻されたという形になります。打順は3番とか6番でした。


―エースの森本投手も途中入部だったと聞きましたが。硬式野球部に入部されていたのですか?

硬式には入部していません。練習は観に行ったそうですが、あまり面白そうじゃなかったようで、軟式の先輩に「一緒にやらないか」と誘われて、僕の入るちょっと前に入ったらしいです。そして、1年秋から投げていました。


―3年春は?

府大会で優勝して近畿大会(橿原球場)に出場することが決まっていましたが、新型インフルエンザの影響で大会がなくなってしまいました。それで、出場記念としてペンをもらいました(苦笑)。


―そして、3年夏を迎えます。チームとしての手応えはありましたか?

もちろん、ありました。冬に走り込みをしていました。僕個人で練習以外でずっと走っていたのですが、「俺も俺も」と他の部員もそうしていたようで、今までにないみんなの本気さを感じて、キャプテンとしてとても嬉しかったです。それに、みんなと仲がいいので色んな意見交換ができたと思います。秋はチームを引っ張っている感じがありましたが、春・夏になると誰がキャプテンでもおかしくないくらいでした。


―仲が良いというのはいいことですね。

でも、仲がいい反面どうしてもきつく言えなくなることがあって…。去年まではみんな仲が良すぎて言い切れなくて、詰めないといけないところを詰め切れなくて…それで2年夏は負けたと思います。


―今年の3年生のチームは違っていた。

今年はプライベートは別でした。野球をする時は全員がライバルで、高め合っていかなければいけません。3年生がチームみんなに全員に意見を言ったり、注意をしたり、そういうのがすごく助かりました。チームがとてもよくまとまっていました。


―冬に走りこんだ話をもっと聞かせてください。

どこの高校よりも冬によく走りました。夏前もです。走るメニューが多かったです。冬のメニューは大外を3キロ走って、山へ行って坂道50メートルを10本。グラウンドに帰ってきて1500メートル走って、2人1組でトラック1周300メートルを1人150メートル半周走ってタッチして、もう1人が残り半周走るというのを10本走りました。ストップウォッチでタイムも計ります。それから室内でボールを等間隔に5個置いて1個目まで行って帰る。2個目まで行って帰る…というのを15本走って、横を向いて5メートル走ってタッチしてダッシュで戻るというのを5種目終わると次の人がするというように、それを10~15本するというような…。


―それぐらいでいいです(笑)。山科でも室内はあったのですか?

東山はグラウンド、室内に恵まれていて、山科は室内が広かったです。硬式がグラウンドを使う時、軟式は室内で練習できない日はなかったので。


―練習は遅くまでしていましたか?

普通は16時~21時ぐらいでした。グラウンドを出るのが最後で、硬式よりも軟式がむしろ長い感じでした。今は新しい醍醐グラウンドで練習しているようですが、残念ながらここの室内ではノックやバッティングができないので、前の方がよかったと思います。それに施設の利用時間というか練習時間が決まっているのであまり練習できないので。


―色んな所に遠征することは多いのですか?

全国大会出場が目標なので、泊まりで岐阜の中京には毎年練習試合で行きます。他に和歌山の新宮にも行きます。運転手さんがスクールバスで送ってくれたり、マイクロバスを頼んだりします。


―軟式でも年末年始以外、練習や試合という感じなのでしょうか?

そうですね。ほぼそんな感じです。木曜日はグラウンドが軟式は使えないのでオフなのですが、学校で走りますので。



―かなり脱線しましたが、いよいよ3年夏です。全国大会の準決勝で延長24回の激闘がありましたが、京都大会はどうでしたか?

3年夏はシード校でしたので初戦が準決勝の龍谷大平安戦でした。その試合が延長15回で1-0という厳しい試合でした。そして決勝の立命館戦がまたそれよりも厳しくて…。3点差で最終回を迎えていました。9回2死満塁までいって、そこで五月女が右中間に走者一掃の同点ツーベースを打ってくれたのです。それで息を吹き返し、延長で勝ちました。僕が四球で出て送りバント。暴投、暴投で1点取った後、新谷がタイムリーで5-3でした。冬の差が出たと思いました。


―夏の府大会で優勝し、近畿大会に進出します。

近畿大会は大阪、兵庫はチーム数が多いので全国に直結していますが、京都は奈良、滋賀、和歌山と代表権をかけて戦います。


―どこの県が軟式が強いとかあるのですか?京都では苦しんでも紀三井寺で行われた近畿大会での大津商戦や天理戦はいずれも完封勝ちでしたが、余裕がありましたか。

いや、特にありません。いつも接戦ばかりでそんなに余裕がないですし、軟式は点が取れないので。


―硬式と軟式で戦い方が違いますね。どんな違いがありますか?

そうですね。三塁ランナーがスタートを切って、バッターはゴロを打つ「タタキ」があります。ゴロを打つとよく跳ねる(弾む)のでそれを望むところがあります。また、打球が飛ばないのでタッチアップはほとんどありません。


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