立命館宇治・卯瀧監督について申し上げたい。北嵯峨、鳥羽を率いて計8度の甲子園出場。近年では京都すばるの総監督という立場で生徒たちを指導された。京都すばるでは教頭先生であったため、直接的な指導は限られていただろうが、中村憲投手(広島)を見出した。立命館宇治に赴任された1年目の夏に、京都すばるとの直接対決が実現。結果はすばるが勝利した。すばるは稲川監督の指導の下、準決勝で平安に完勝。府大会決勝に駒を進めた。立命館宇治での2年目の夏は京都大会準優勝。要するに卯瀧監督が動けば選手が集まり、選手が集まればチームが強くなるのである。そんな簡単に、と思う人もあるだろう。不思議な感じもするが、そういうことなのである。でも、強くなる秘訣は基本練習、と多くを望まないことだという気がする。

 先日、立宇治で聞いた話は、派手さのない、実にクリーンなものだった。投手の川部がきちっと投げられるようになってくれたら、それを捕手の小嵜がリードする。左腕の川部は基本的にストレートとカーブだけで、「秋からスライダーのコントロールが良くなった」ものの、「それ以上の球種は必要ないでしょう」とのことである。川部はスクリューの練習もしているらしいが、「スクリューは果たして必要かな?投げる必要がないのでは」とあくまでストレートの精度とカーブ、スライダーとの組み合わせということなのだろう。「3種さえあればいい」とのこと。本音なのかどうかは読者の想像にお任せする。

 しかし、やはりそれ以上の多くを求めて、高校生が全てを使いこなせるとは信じがたい。報道的には「決め球はスクリュー」と書きたい。が、本番のピンチで真ん中に入ってしまったら、と思うとゾッとする。絶対的なコントロールを身につけた球種を投げ込むのが一番だ。聞くところによると、やはり四球が連発する癖もあるようだし、いい時と悪い時の波もあるようだ。完成度を磨いていけば、自ずと結果に現れる。そう卯瀧監督は言いたいのだと察する。

 「体力もついてきて、秋よりもましになったが、春先になって投げさせてみないとわからない」というのは、期待の裏返しなどというものではなく、今までに見てきた投手は、多かれ少なかれそういうものだったということなのだろう。努力いかんによるものでもない。投手の素質の問題でもない。育てた投手の何人もが、プロへと巣立っていったその経験で言っておられるのだろう。投手の基本とは何かは、決して派手なものではないということだろう。また、高校卒業後の大学で通用することを念頭に置いておられるようだ。北嵯峨時代の山田投手(立命館大)や鳥羽時代の平野投手(京都産業大)は大学でより花開いた。急がば回れの結果でもある。高校生には基本を覚えさせることが、結果的には野球を長くプレーするために必要だ。

 今の2年生は「中学3年の段階で見た子たちになる」ということだ。何かを聞き出そうと、年下の女性記者がすかさず「運良く出られたということですか?」と言っているのを聞いて、ノートに走らせているペンが止まった。卯瀧監督は「運良く…」と言って一瞬考えてから、「運良く出られたと思います」と返した。体が前によじれていた。ちょっと苦笑いしてしまった。

 「鳥羽の選抜ベスト4が今までの最高ですね?」。「それを超えたい」と言ってほしい。みんながそう思っている状況だが、自分では特にそういう意識はないのだという。「当時、保護者の人に『甲子園に出られて嬉しいと思っていたが、やっぱり負けて悔しい』と言われました」というエピソードを聞かせてくださった。「今までのベストゲームや印象深い試合は何か?」と聞かれると、「この試合というのはないですね」。勝ったとしてもない、覚えてはいるが、印象的というのはない。勝っても反省点が先立つと、高校野球のあらゆる面での難しさについて、多くを望まないということなのだろう。それがすなわちチームの強さになっていく。3月末から4月の球運がどう転がっていくか大いに期待したい。が、選抜は夏に結果が出るための予行練習と捉えていた方がこちらもわかりやすい。