京都アマチュア野球だより

試合結果、選手成績などを写真付きで紹介しています (SINCE 7.06) 著:若林千尋

2009年12月

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.4

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.4

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―あとは軟式では投手力が命のところがありますね。森本投手はどんな投手ですか?球種は2、3種類ぐらいですか?

森本の球種はスライダー、縦スラ、カーブ、シュート、ツーシーム、フォーク、チェンジアップ、シンカーです(笑)。


―ええっ?!そんなに多いのですか?全部使いますか?

そんなにいらないけど、全部使っていました(笑)。その日によって調子のいい球種を、試合前に話し合って選択していました。でも、森本はまっすぐをどう生かすかだったので、変化球はボールでもいいのです。


―直球のMAXはどれくらいですか?

136キロぐらいです。もうとにかく野球が一番うまいです。軟式のレベルじゃないし、チームどころかずば抜けています。大学でもバッテリーを組みたかったし、あんな楽なピッチャーはいないですね。森本の球を受け続けたかったです。


―牧さんは、同志社大で準硬式をされるそうですね。森本さんは関大で準硬式をされるかもしれないと聞いています。

そうですね。合格しました。本当は軟式が好きなので軟式がやりたいですけども、推薦では準硬式しかなかったので。勉強はあまり好きじゃないから同志社大は不安なところもありますが、野球しかないという気持ちでもあります。森本は硬式に行くことはなさそうなので、準硬式ならもしかしたら大学では試合をやるかもしれませんけども。


―準硬式や軟式をやっていたら、プロにはほぼ結びつきませんが、そのことについてはどうお考えですか?

プロには一切興味がないので。野球が好きですから野球には一生携わっていきたいとは思いますが。好きなことをやることはいいことだと思っています。


―高校の先輩でも、軟式から硬式を握っている人はいるのですか?

はい、活躍は聞きませんが、大学から硬式を握る人はいます。


―森本投手の球はどんな感じなのですか?

受けるのは慣れているので得意ですが、打席に入るのは勘弁してほしいというか、怖いくらいです。みんなよく打てるなあと思いますし、負けるわけないと思います。実際負けることもあるのですが(苦笑)。


―受けることはできても、バッターボックスでは怖い、ですか?

バッターボックスではキャッチャーよりも一歩前だから、その差がすごいあると思います。僕は打てた試しがないです(苦笑)。ヒットを打ったことがないし、無理です(笑)。味方でよかったし、ちょっと敵じゃなくてよかったです。練習では森本の球を受けられる人がいなくて、僕と普段はファーストを守っている五月女くらいです。二人以外は無理でした。よくこの球が捕れるなあと自分では思います(笑)。


―森本投手の球はどうすごいのですか?

「手が痛くないか?」と他のチームの人に言われます。球が浮き上がるというか速いだけじゃなくてのびがあるらしいです。


―軟式は打撃が難しいと思いますが、通算打率はどれくらいかわかりますか?ホームランを打ったことは?

そうですね、…通算2割くらいじゃないでしょうか?4番の森本が出塁するから進塁打を打つことが多かったですけれども。4打数3安打が1回、3打数3安打が2回くらいで、高校通算本塁打は0です。


―へえ~、それは硬式ではないことですね。レギュラーでクリーンアップなら1本くらいはありそうです。

森本が練習試合で1本、他に2年生の内藤が1本くらいで3本打ってる人もいないです。5本打ったことがある選手が全国にいるかもしれませんが、聞かないですね。軟式の面白さはロースコアにあると思います。簡単に打てないし、ヒットにもなりません。でも、硬式ではありえない当たりがヒットになるのが面白いのです。


―へえ~、4番の森本さんでもそうなんですか?

森本は投手としても超一級品ですが、打者としても全国屈指のバッターだと思います。バッティングも相当やばいです。どこに投げても打たれる気がするし、もしかしたら3割打ってるんじゃないですかね。小さいし、しゃべっててもそんな雰囲気はないのですが、あんなやつみたことがないし、金輪際会わないかもしれないです(笑)。


―べた褒めですね(笑)。そんなにすごいと言える仲間がいて素晴らしいです。それでは滅多に二桁安打はないということですか?

3年夏の近畿大会、天理戦では15安打でしたが、地味なヒットや内野安打、ポテンヒットでした。二桁はほとんどありません。でも、ノーヒットノーランをされることもないです。


―さて、近畿大会を優勝し、東山は20年ぶり3回目の夏の全国大会に進出しました。明石公園野球場で1回戦に松商学園(北信越)を3-0で下してベスト8に進出されます。そして準々決勝で神戸弘陵(兵庫)と対戦しました。この試合が延長24回という壮絶な激闘でした。

はい。一日目は延長15回で規定によりサスペンデッドゲーム(一時停止試合)になって、二日目は続き(継続試合)をしました。結果延長24回で1-0でサヨナラ勝ちしました。


―なぜこんなに長い試合になったと思いますか?

神戸弘陵はチームがまとまっていたし、野球のスタイルも似ていました。どちらも作戦がわかるから点が入らずずっと続きました。ピンチとチャンスがずっと繰り返しで、終盤になればなるほどそんな感じでした。いつ終わるのかなあ、と思いましたが、終わってしまえばもっとやりたかったです。


―相手の橋本投手は3連投で、最後は24回一死満塁からこの回4つ目の四球が押し出し四球となったそうですね。この試合では334球目でした。試合時間は2日間合わせてどれくらいでしたか?

5時間くらいですかね。24回やってよかったと思います。どちらも最後は気力の勝負になりましたが、冬に走ったその成果が出たと思いました。守って守ってがチームのスタイルですが、あんな試合でしかも勝てて、チームが完成したと言っていいと思います。


―残念ながら、次の準決勝、初出場の名城大附属戦では2-4で負けてしまいました。相手の小林投手は初戦の初芝富田林戦で史上初の完全試合(88球)を達成しましたね。森本投手は延長24回の2日間で計282球(23奪三振)を投げた次の試合のことでした。2回に3失策して3失点が痛かったですね。

あの試合はもう満身創痍で…。森本がボロボロで、どこまで投げられるかという状態でした。ちょっとでもダメなら全員絶好調でもダメでした。本当はそれではいけないことですが。


―結局、森本投手は4連投で588球を投げて力尽きた。「一球一球がいい思い出でした」という報道でした。大会中の34回連続無失点というのはすごいです。残念な結果でしたが、大会中はどんな生活でしたか?大会日程は硬式と比べると短いですけれども何か印象に残ったことは?

21時消灯で、晩御飯を食べたら1時間フリーですけれども、どこにも行けないですし、試合のことしか印象には残っていませんね。


―準決勝の試合が終わったときはどんな気持ちでしたか?

全国大会に行って目標は達成されたので、泣かないと思っていたのですが、負けるとやっぱり悔しかったです。欲が出て勝ちたい気持ちが強くなったから最後はみんな泣いていました。中でも森本が一番悔しかったはずです。府大会決勝で立命館に3点差をつけられていたときも泣いていましたから。9回表に同点に追いついてからやっと本来のピッチングが冴えてきました。


―延長24回の試合は、軟式では歴代3番目に長い試合だったと報道されています。

延長24回を戦って、最後は本当に敵、味方が関係なかったです。相手ピッチャーの橋本に、ここまで来ると、しゃべる機会があったら「ガンバレ!」と言おうと思っていました。野球の試合だけれど、それだけじゃないなあと思いました。1日目の15回が終わって、次の日試合をやるのが嫌なくらいに緊張しました。でも最終的には純粋に楽しくてずっと続けばいいなあと思っていました。終わってみれば、語っても語りつくせない、そんな感じです。


つづくvol.5へ

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.5

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.5

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―そんな風に最後思えるなんて幸せなことだと思いますよ。そして、その成果が秋の国体につながります。新潟国体、優勝おめでとうございます!!新潟の小学生も応援に駆けつけたそうで。

ありがとうございます。3試合も楽しんでやってました。小学生は大応援団でした。


…あれっ?!それだけか(笑)?あの話は?(西川監督談)


…ええっと、実は…初戦の試合前日に足の靭帯を伸ばしてしまいまして…(苦笑)。ベースランニングの時、グラウンドが固すぎてスパイクの歯が刺さり過ぎて…(苦笑)。それでもやっぱりせっかくだし、出たいのでファーストで出させてもらいました。ファーストの五月女にキャッチャーをやってもらって、チームに迷惑を掛けっ放しでしたが…(苦笑)。


―ファーストとはいえ、その状況でよく出られましたね?

もう高校生活で最後でしたからね。松葉杖をついて球場入りしました(笑)。でも、幸運なことに新潟で接骨院のいい先生に巡り会いまして、テーピングをぐるぐる巻きにしていました。試合の日の早朝や夜遅くに病院に行って。初戦は初回から8回までファーストで、準決勝は7回からキャッチャーで、決勝はフルでマスクをかぶりました。痛み止めを飲んだり、座薬を入れたりして(笑)。本当に嘘みたいな回復力でした。


―そして、その痛みに耐えて、国体で優勝しました。ウイニングボールを掴んだそうですね。

キャッチャーファウルフライを掴みました。準決勝では夏に敗れた名城大附属に、決勝では延長24回を戦った神戸弘陵に勝ちました。全国制覇は目指している真剣な場所だったので、優勝して嬉しかったです。


―新潟で思い出はできましたか?

新潟は米がおいしかったし、人間が温かかったです(笑)。


―花巻東の菊池君(西武1位指名)に会いませんでしたか?

会いました。しゃべりに行ったのですが優しかったです。他には明豊の今宮健太君(ソフトバンク1位指名)や中京大中京の堂林君(広島2位指名)、県立岐阜商の山田君(専修大進学を希望)にも会いました。


―そうですか。よかったですね(笑)。軟式をやっていて硬式をどう見ていますか?

軟式をやっていても、野球は野球なので硬式を特別に意識したりはしませんでした。軟式野球のファンの方もいますし。


―そう言えば、夏の全国大会に出場が決まったときは、京都新聞社や京都府庁、京都市役所に表敬訪問されたのですよね?

はい、もう一生ないかもしれないぐらいに思って行きました(笑)。


―監督!!、牧さんがキャプテンで良かったですか?監督さんが指名したのですか?

どこに出してもあやしくないキャプテンだと思いますよ(笑)。この先こんなに楽はできないです。もうみんなキャプテンは牧がやると思ってたと思います(西川監督談)。


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―そうですか。やっぱりしっかりしてますね。高校の軟式野球生活はどうでしたか?

野球は感謝で始まり、感謝で終わると自分では思っています。ただ単に全国を目指すだけでは申し訳ないです。感謝してもしきれません。本気で目指すのは当然のことで、監督や部長、応援してくれた人たち、父兄、家族などがあってのことです。


―軟式野球についてのアピールはありますか?

軟式をやりたいと思ってくれれば、幸いなことになると思います。僕は野球が好きで、頂点を目指して軟式をやっていただけです。


―軟式が得意というのは、歳をとってもどんな草野球チームでも引っ張りだこですよ!!(笑)それに案外硬式出身は打撃にも守備にもとまどいますからね。

そんなことないです(笑)。


―森本投手とバッテリーを組んでいて思い出に残っていることは?

監督がいる前で言うのは恥ずかしいですが、森本は力投派で、元々ひじのケガを持っていたのですが、延長24回の試合のとき、回が終わるとベンチ裏に入ってテーピングをして冷してを繰り返しているのを見たら、辛くて泣けてきました。それで僕のサインで変化球を投げたりしていたから、これで一生投げられなくなったらどうしようと思っていました。


―高校1年の秋に硬式から軟式に、それから野球を続けてきて自分が変わってきましたか?

大分変わってきたと思います。取り組む姿勢が変わってきました。一球でも無駄にするとダメだと思うようになりました。


―そういう姿勢や考えに行き着いたのは?

2年の夏に負けて、3年生の姿を見て、…なんでもっと頑張らなかったのかと自分で思いました。負けてから後悔しないようにとみんなが思ったので強くなったと思います。もしさぼってしまって負けると言い訳になるのが嫌だったです。


―それからチームが少しずつ変わっていくのですね?

はい。3年の夏前に坪井部長に「一日に一ついいことをしよう」と言われました。ずっと言われてきたことでもありますが、それはちゃんと返って来ると。そのとおりだと思いました。どんな小さなことでも一つずつ感謝の気持ちを持って、その気持ちで本当に全国に行かせてもらえたと、みんなそう思っていると思います。


―東山に入ってよかったですね。

そうですね。ここに入ってこうなるようになれ!、と言われているのかなと思いました(笑)。


―今日は本当は京都府高野連で表彰された時に貰う、盾や賞状なんかを持ってきてもらおうと思っていたのですが…。

まだもらってないです(笑)。表彰は来年の1月15日だと思います。


―そうですか、よかった(苦笑)。楽しみですね。軟式の選手が表彰されるのは特別なことですし、硬式は5人と毎年決まっていますからね。

はい、楽しみです。でも、僕だけの受賞とは思っていないです。


―最後に、将来の夢などお話していただけますか?

そうですね、…今度東京都に警視庁の社会人野球チームができるので漠然とやれたらいいなあ、と思っています。本当は大学にはあまり興味がなくて、高卒で京都府警を受けようかなあと思っていましたから。スポーツ推薦で大学に行けることが決まったので。


―そのときは硬式になりますね?

本当は軟式が好きなんですけども(笑)。


おわり



※『唯我独尊』とは、「自分一人が特別にすぐれているとうぬぼれること。ひとりよがり」という意味ではなく、「この世の一人ひとりが主人公。」といった意味で捉えています。

※今回は落成式があったばかりの東山高校・醍醐グラウンドにお邪魔しました。牧主将はしっかりしていて頼もしく、とても高校生には思えないほどでした。次は野球雑誌「ホームラン」の取材があるそうなので、また来月あたりに書店でお求めください。



【2009年度京都府高校野球連盟 優秀選手】

・長岡 宏介(福知山成美)投 <秋優勝、春・夏準優勝>

・中本  篤(立 命 館)投 <秋準優勝>

・中村 達樹(塔   南)外 <秋3位>

・今竹 悠太(京都 両 洋)内 <春優勝>

・妻鳥 哲也(龍谷大平安)外 <夏優勝>


【2009年度京都府高校野球連盟 特別表彰(軟式の部)】

・牧  紘平(東   山)捕 <新潟国体優勝>




(参考HP)

東山中学・高等学校

京都府高校野球連盟 優秀選手

第54回全国高等学校軟式野球選手権大会

2009年 トキめき新潟国体 トキめき新潟大会

ミズノビヨンドマックス

ナガセケンコー株式会社

ダイワマルエス株式会社

2009年度東山高軟式野球部の主な成績

【第64回国民体育大会】

▽決勝(9月30日・荒川球場)

東 山(京都)

000 001 112=5

000 100 000=1


神戸弘陵(兵庫)

(東) 森本-牧
(神) 橋本、大川、串田、橋本、村田-村田、福田


▽三塁打:吉田、内藤、森本(東)
▽二塁打:濱口翔(神)



▽準決勝(9月29日・荒川球場)

名城大付(愛知)

000 000 000=0

100 000 00×=1


東 山(京都)

(名)小林-早川
(東)森本-五月女、牧


▽三塁打:入江(東)
▽二塁打:池場(名)内藤(東)



▽2回戦(9月28日・神林球場)

大 津(山口)

000 000 000=0

021 200 21×=8


東 山(京都)

(大)金具-國光
(東)森本-五月女


▽三塁打:森本(東)
▽二塁打:入江(東)




【第54回全国高校軟式野球選手権大会】

▽準決勝(8月29日・明石公園)

名城大附(愛知)

030 000 010=4

020 000 000=2


東 山(京都)

(名)小林-早川
(東)森本-牧


▽二塁打:森本、藏貫(東)


▽準々決勝(8月28日・高砂、明石公園)

(27日のサスペンデッドゲーム、16回から再開)

神戸弘陵(兵庫)

000 000 000 000 000 000 000 000=0
000 000 000 000 000 000 000 001X=1  (延長24回)


東山(近畿・京都)   

(神)橋本-村田
(東)森本-牧


▽二塁打:若松、藤田(神)新谷2(東)


■東山8強へ 森本が被安打4、10奪三振

▽1回戦(8月26日・明石公園)

松商学園(北信越)

000 000 000=0

000 120 00×=3


東 山(京都)

(松)武井-中川
(東)森本-牧


▽二塁打:中川(松)森本、蔵貫(東)



◇全国高校選手権近畿大会

■東山、20年ぶり3度目の優勝

▽決勝(8月5日・紀三井寺)

東 山(京都)

200 031 000=6

000 000 000=0


天 理(奈良)

(東)森本-牧
(天)山岡直、柳田-向井
 

▽三塁打:森本、蔵貫(東)
▽二塁打:柿迫(天)
 


▽準決勝(8月4日・紀三井寺)

東 山(京都)

200 000 010=3

000 000 000=0


大津商(滋賀)

(東)森本―牧
(大)山田―岩本



◇全国高校選手権京都府大会

■東山が3年連続6度目の優勝

▽決勝(7月29日・太陽が丘)

東 山

000 001 103 02=7

010 000 130 00=5  (延長11回)


立命館

(東)森本―牧
(立)山本、盛永―大中


▽二塁打:五月女(東)盛永(立)


▽準決勝(7月28日・太陽が丘)

東 山

000 000 000 000 001=1

000 000 000 000 000=0  (延長15回)


龍谷大平安

(東)森本―牧
(龍)新宅―小河


▽二塁打:入江、新谷(東)

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.1

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.1

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大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 1984年6月6日生まれ(25歳)

広島工業大高―京都学園大―京都ファイアーバーズ

181cm 79kg 右投げ右打ち B型 背番号14

広島市出身、大阪市住之江区在住



社会人クラブチーム・京都ファイアーバーズからトライアウトを経て、今年始動した関西独立リーグの大阪ゴールドビリケーンズにドラフト1位で入団する。大阪市内のミズノ本社で行われた4球団合同ユニフォーム発表会に出席。女性初のプロ野球選手、吉田えり投手の初登板が話題で、観衆1万人を集めた3月27日の開幕戦では大阪の開幕投手を務めた。今シーズンは9勝4敗、防御率3.06の成績を残し、大阪を初代年間優勝に導いた。しかし、大阪は関西独立リーグを脱退。来年は三重スリーアローズと2球団で、JFL(ジャパン・フューチャーベースボールリーグ)をスタートさせる。
 

※インタビューは11月23日に行いました。



―よろしくお願いします。なぜここ高槻でトレーニングしているのですか?

こちらこそ、よろしくお願いします。いつもは難波にある民間の会員制ジムでトレーニングするのですが、月曜日がお休みなので、今日はここに来ています。


―随分時間をかけたトレーニングですね。

特別メニューなんです。費用は全部で月1万円くらいはかかりますね。空いている日はなるべくトレーニングしています。マシンが置いてあるのでここまで来ます。


―大阪の住之江区にお住まいですが、他の選手も大体そうなのですか?

そうですね、半分くらいは住んでいるんじゃないでしょうか?地方から来た人は、みんなバラバラで同じマンションではないですが。大阪在住の人は実家通いです。


―遠征の際は移動が大変ですね。

住之江公園野球場なら自転車で行けるのですが、和歌山や明石に行く時はバスが出ます。自分で行く時は、交通費は自己負担になるので、ガソリン代はもちろん高速料金と駐車料金がかかります。万博公園なんかは1200円もかかります(苦笑)。なので乗り合わせていくこともあります。


―普段の練習は?

試合のない日は堺市で練習します。朝から昼までです。


―残念ながら、大阪は給料カットで月給8万円になりましたね。

7月からそうなりました。最初はアルバイトはしてはいけないことになっていましたが、8月からよくなりました。でも、働いているのは1人か2人くらいです。


―契約上、問題はないのですか?2010年は月給が8万円プラス出来高払いになり、8ヶ月の支払いが2ヶ月短縮になるようですが。

今のところは払えないけど、今後少しずつでも支払ってくれる方針だそうです。家族から仕送りのある人はいいですが、相当苦労している人もいます。一応、仕送りをもらっているので、僕は恵まれています。


―いつ給料が半分になることを知りましたか?

それが…ニュースの方が早くて、親から連絡がありました。「もし、そうなったら送るから」と言ってくれました。


―ご両親は息子さんに理解がありますね。どんな方ですか?

親は放任主義で教育されたというような記憶がありません。たまに「ちゃんとご飯を食べているか?」と言われるぐらいで、協力的してもらっていますし、応援もしてくれています。広島から3、4回来てくれました。父親は特に熱心ですかね。


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―子供の頃は少年野球をしていたのですか?

少年野球はしていません。野球は遊びでするぐらいで本格的にはしてなかったです。小学校でソフトボールのチームに3か月だけ入っていましたが、理由も覚えてないけどやめました。そのチームは強くて、野球ではなくみんなソフトをしていた印象です。中学から野球を始めて、軟式野球部に入っていました。


―広島出身ということはカープファンですか?

そうですね。小学1年のときに広島カープが優勝して以来ですね。大野豊さんが好きで、憧れていました。独特なフォームでかっこよかったです。


―中学時代は?

ピッチャーとセカンドをしていました。全学年合わせて30人くらいで強くはありませんでした。広島市の大会では1回戦で負けるくらいのレベルでした。エースではなくて、公式戦ではセカンドで出ていました。エースは横浜から引っ越してきた子で、球が速かったです。高校は広島商に行きましたが、途中でやめたそうです。


―高校は広島工業ですか?甲子園に出たこともありましたかね?

それは県立の工業高校ですね。5回ぐらい甲子園に行っていると思います。阪神の新井さんの出身校です。僕は私立の広島工業大高校です。野球がやりたかったので、本当は広島商に行きたかったのですが、練習などが厳しいという話も聞いてて、受験しましたが…、勉強ができない面もあったので。そのときは強豪の広陵を知らなかったほどで…。


―工業科なのですか?高校の練習は厳しかったですか?

いや、普通科です。練習も普通と思います。公式戦のベンチには1年の秋に入りました。投手の中では球は速い方で、マックスは124キロぐらいですが、監督から期待されていました。でも、コントロールは悪くて試合には出られませんでした。


―高校での活躍は?

初回に四球を3つ出したり暴投したりで、信用の問題がありましたね。3年間公式戦で投げたのは、中継ぎで2試合のみです。しかも、春と秋の話で敗戦処理に近かったというか…、だから夏は全く投げていません。


―厳しい時代だったんですね。

3年夏の3か月前から本当にストライクが入らなくて、1回に1個か2個は必ず四球を出すくらいの感じだったので、エースでは投げられないなあと思っていました。最後の夏は1回戦で、1-2で負けました。


―その高校は強かったのですか?

練習試合ではコールドで勝った相手なのに…。公立では中の下くらいでしょうか。これに勝ったら如水館と試合ができる、強いチームと試合ができると勝つ気満々だったのですが、まさかの1回戦負けでした。


―野球をここでやめようとは思いませんでしたか?

野球は当たり前のように次も続けようと思っていました。…根拠はないけど、自信だけはありました。いつかプロになると。


―背番号は10ですか?

背番号は11でした。背番号10は2年生でした。


―この夏の広島の優勝校は?

広陵です。巨人の西村投手が2年でした。決勝を観に行ったのを思い出しました。



つづくvol.2へ

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.2

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.2


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―誰かライバルらしき人がいたのですか?

いいえ、高校から大学に行って野球を続けたのは1人か2人で、高校時代にライバルというような人はいませんでした。


―大学は京都の大学に入学されます。

大学は、高校を選ぶときと同じで行けるところに行ったという感じです。入れそうな大学へ。地元だと先輩がいるのでそこへは行きたくなくて、あまりいいイメージもなかったので。


―そのときの京都学園大の印象については?

そこそこ強い大学じゃないかなあと。一つ年上で二つ学年が上の梅原さん(金光大阪高―広島カープ―徳島インディゴソックス)が広島カープにドラフト3位で指名されるのですが、その前より「プロ注目」と大学野球の雑誌で何か見たのがきっかけじゃなかったですかね。どうだったかな(苦笑)。


―浪人していたのですか?

はい。福岡の大学を受験したのですが…落ちてしまって。予備校に行っていたわけではなくて中3のときに教えてもらっていた家庭教師に付いてもらいました。京都学園大は監督さんもよかったし、グラウンドもきれいで。何より京都はいいイメージがありました。


―失礼ですが、学園大では目立って活躍がなかったようなのですが。

亀岡に住んで、3年の春にはベンチ入りしましたが、3年の途中で退部しました。大学は卒業しました。


―確か宮内投手(大阪学院高―京学園大―新日鐵広畑)と同世代ぐらいなのでは?

宮内君は1つ年下だけど同級生でした。チームの中ではすごかったです。


―春のリーグ戦で佛教大に勝って、全日本大学野球選手権で神宮に行かれましたよね?

はい。でも、神宮では1回戦で名城大に1-4で負けました。清水投手(中日)がすごかったという記憶があります。確か13奪三振だったと思います。


―大学野球はあまり面白くなかったですか?

大学3年までベンチに入りたくなかったのです。


―詳しく教えてください。

ストレートを磨いて、3年から実践していこうという考えだったのです。今から考えれば無駄だったと思うのですが、体を作ってから勝負をしたかったという思いです。


―何か理由があったのですか?

練習が終わってからでも高槻でトレーニングしていました。とりあえずストレートを速くしたいという課題があって…。


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―どういうことですか?

高校3年の夏休みに鳥取のジムに行ったのですが、フォームを改造すると球が速くなったのです。


―鳥取というのは…、初動負荷の?

はい。初動負荷論の小山さんのジムです。小山さんに会って指導を受けたところ、すぐにストレートのMAXが10キロくらい速くなったのです。


―高3の夏は126キロだったということは、136キロになったのですか?

はい。1週間で10キロ速くなりました。


―何がポイントだったのですか?

ほとんど体重移動のやり方です。コツを掴んだら簡単でした。トレーニングというよりはフォームの改造で良くなったのですが、いいフォームを作るためにトレーニングがあります。鳥取のジムに行けば、絶対に球が速くなるとは言い切れませんが、プロの選手や多くの大学生、高校生が通っています。


―これまでに誰かプロの有名な選手に会ったことがあるのですか?

山本昌(中日)さんや岩瀬(中日)さんにあいさつしたくらいですが(笑)、藤井(今週日ハムから巨人へ)さんも見たことがあります。


―この高槻でわざわざトレーニングする理由はそれですね?

詳しくはわかりませんが、最初に小山さんが高槻市にマシンを提供したかアドバイスしたと聞いています。


―なるほど。それでそのトレーニングが日課のようになっていると。

トレーニングを積んでフォームを変えていけば、ストレートが速くなると思ったのですよね。だから大学では自分の思うよりも早くベンチに入っちゃうと自分の練習ができないし、ストライクを投げないといけないし、変に他のトレーニングをしたくなかったのですよ。フォームをどんどん変化させていきたかった時期でした。


―それこそ同級生で活躍し出した宮内投手に対するあせりとかなかったのですか?

特になかったですね。1、2回生のキャンプのときは、監督にわざと「ケガで投げられない」と言っていたくらいでした。


―ちょっと驚きです(苦笑)。

そうかもしれませんね。それで、試合で投げられるようになって、3年春にベンチに入ったのですが、公式戦の試合に寝坊して集合時間に2時間も遅刻してしまって外されてしまいました。


―それが辞めた原因につながるのですね?

…目標が違っていたのでしょうね。監督や先輩、周りの人と考え方も方向性も違っていました。自分の先行きやプロとかに関心があって、プロに行きたいから野球をやっていて、選手権に勝ちたいという気持ちではなく、冷めた自分がいましたね。練習も試合も面白くなかった。自分では集団行動が苦手で、個人種目の方が合っているとは思います。


―まあ、強いて言えばピッチャーは個人種目に感じないでもないですが。

明確には覚えていませんが、ベンチを外されて、そこから秋も全然投げさせてもらえなくなりました。3年秋のリーグが終わったくらいにもそれまでにも何回かそういう集団行動的なことを言われたことがあって…。


―それで退部することになるのですね。

夏くらいからファイアーバーズの話を聞いていたのでそっちに行こうかなと思いました。退部して、冬からファイアーバーズにお世話になることになりました。


つづくvol.3へ
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