京都アマチュア野球だより

試合結果、選手成績などを写真付きで紹介しています (SINCE 7.06) 著:若林千尋

2010年02月

運が良かったのか

 立命館宇治・卯瀧監督について申し上げたい。北嵯峨、鳥羽を率いて計8度の甲子園出場。近年では京都すばるの総監督という立場で生徒たちを指導された。京都すばるでは教頭先生であったため、直接的な指導は限られていただろうが、中村憲投手(広島)を見出した。立命館宇治に赴任された1年目の夏に、京都すばるとの直接対決が実現。結果はすばるが勝利した。すばるは稲川監督の指導の下、準決勝で平安に完勝。府大会決勝に駒を進めた。立命館宇治での2年目の夏は京都大会準優勝。要するに卯瀧監督が動けば選手が集まり、選手が集まればチームが強くなるのである。そんな簡単に、と思う人もあるだろう。不思議な感じもするが、そういうことなのである。でも、強くなる秘訣は基本練習、と多くを望まないことだという気がする。

 先日、立宇治で聞いた話は、派手さのない、実にクリーンなものだった。投手の川部がきちっと投げられるようになってくれたら、それを捕手の小嵜がリードする。左腕の川部は基本的にストレートとカーブだけで、「秋からスライダーのコントロールが良くなった」ものの、「それ以上の球種は必要ないでしょう」とのことである。川部はスクリューの練習もしているらしいが、「スクリューは果たして必要かな?投げる必要がないのでは」とあくまでストレートの精度とカーブ、スライダーとの組み合わせということなのだろう。「3種さえあればいい」とのこと。本音なのかどうかは読者の想像にお任せする。

 しかし、やはりそれ以上の多くを求めて、高校生が全てを使いこなせるとは信じがたい。報道的には「決め球はスクリュー」と書きたい。が、本番のピンチで真ん中に入ってしまったら、と思うとゾッとする。絶対的なコントロールを身につけた球種を投げ込むのが一番だ。聞くところによると、やはり四球が連発する癖もあるようだし、いい時と悪い時の波もあるようだ。完成度を磨いていけば、自ずと結果に現れる。そう卯瀧監督は言いたいのだと察する。

 「体力もついてきて、秋よりもましになったが、春先になって投げさせてみないとわからない」というのは、期待の裏返しなどというものではなく、今までに見てきた投手は、多かれ少なかれそういうものだったということなのだろう。努力いかんによるものでもない。投手の素質の問題でもない。育てた投手の何人もが、プロへと巣立っていったその経験で言っておられるのだろう。投手の基本とは何かは、決して派手なものではないということだろう。また、高校卒業後の大学で通用することを念頭に置いておられるようだ。北嵯峨時代の山田投手(立命館大)や鳥羽時代の平野投手(京都産業大)は大学でより花開いた。急がば回れの結果でもある。高校生には基本を覚えさせることが、結果的には野球を長くプレーするために必要だ。

 今の2年生は「中学3年の段階で見た子たちになる」ということだ。何かを聞き出そうと、年下の女性記者がすかさず「運良く出られたということですか?」と言っているのを聞いて、ノートに走らせているペンが止まった。卯瀧監督は「運良く…」と言って一瞬考えてから、「運良く出られたと思います」と返した。体が前によじれていた。ちょっと苦笑いしてしまった。

 「鳥羽の選抜ベスト4が今までの最高ですね?」。「それを超えたい」と言ってほしい。みんながそう思っている状況だが、自分では特にそういう意識はないのだという。「当時、保護者の人に『甲子園に出られて嬉しいと思っていたが、やっぱり負けて悔しい』と言われました」というエピソードを聞かせてくださった。「今までのベストゲームや印象深い試合は何か?」と聞かれると、「この試合というのはないですね」。勝ったとしてもない、覚えてはいるが、印象的というのはない。勝っても反省点が先立つと、高校野球のあらゆる面での難しさについて、多くを望まないということなのだろう。それがすなわちチームの強さになっていく。3月末から4月の球運がどう転がっていくか大いに期待したい。が、選抜は夏に結果が出るための予行練習と捉えていた方がこちらもわかりやすい。 

すっとんきょうな質問

 立命館宇治が6年ぶりのセンバツ出場を決めた。卯瀧監督になってはじめての甲子園である。マスコミ関係の人たちもたくさん集まっていたので、少し舞い上がっていたかもしれない。

 センバツ決定の知らせが届く日に現場に居合わせたことが幸せ。今目の前で行われている状況が、夕方のテレビニュースや明日の新聞朝刊で報じられるのかとカメラを向けつつも、周りを見渡したりしていた。

 午後3時40分を過ぎて校長先生が現れ、選手たちに「今電話があった」ことを伝える。にやけているものはいない。真剣な眼差しが崩れることはなかった。しかし、輪が解けると、主将を中心に喜びが大爆発。帽子が高々と舞い上がったり、みんなが一斉に走ってジャンプしたりして、2ヶ月後の甲子園のことを少し思ったりした。

 秋季大会は残念ながら、全く観戦がなかったので、立宇治の強さについてよくわからないから、質問も特に思いつかなかった。監督の話を横で聞きながら、どういうチームなのかと想像してみたが、投手や守り中心のチームであることぐらいしかわからなかった。公立校の指導が長かった監督はあまり多くのことを語ることはない。マスコミの方はなんとか興味深い内容のことを話してくれないかと次々と質問を繰り出す。

 空は真っ青で、1月にしては温かい日だった。西日が降り注ぎ、選手たちよりも自分にスポットが当たっているようにも感じたのだろうか。ふいに不特定多数の選手たちにこう質問していた。「小学校ぐらいの時に甲子園で見た憧れの選手は?」。「ちょっといいですか?」と引きつけておいて質問した割に、思いもよらない質問に選手たちが戸惑っているのがわかる。キョロキョロと見回す選手たち。誰も答えてくれない。質問の意味がわからないのだろうかと、もう一度「小学校のときに野球を始めたと思うけど、その頃テレビで甲子園を観たときに、プレーしていた選手で憧れていたのは?」。近づいてきた選手も少し後ろに下がった。誰も何も言わない。照れているのか恥ずかしいのかよくわからないが、そんなに難しい質問じゃない。

 だが、コソコソと隣と話す選手が目に入って、事態がわかった。変な質問をしているのである。彼らが悪いわけではなく、自分が悪かった。そんなことを普段考えているわけではないことを唐突に聞いた自分が恥ずかしかった。だが、たくさんの高校生に見つめられて、逃げるわけにいかない。どうしようと思って出てきた質問が、「6年前の出場のときはテレビで観ましたか?」。けれども、これも具合が悪かった。立宇治は開会式後の試合で愛工大名電に初戦敗退した。だから、甲子園で活躍したわけではなかった。

 何の返答もないので、かなり不安になった。何秒そのまま立ち尽くしていたのかわからないが、なんとか「中田投手を観た?」と言うと、ようやく誰かが「中田さんとは中学が同じで」か「中学のチームが同じで」かと返事してくれた。「ああ、そう…」とこちらも変な感じで、話がつながらない。何か急に自分が場違いな感じもしてきておどおどしていると、向こうで笑いを堪えているような。

 それでも「憧れの選手はいなかった?」としつこく話題を貫いてみると、ようやく一人が「辻内投手とか」と名前を挙げてくれた。「おおっ、大阪桐蔭の…、へえ~…」と返すのが精一杯で、それ以上の間が持たない。「ああ、ありがとう、それじゃあ」と言ってその場を動いた。変人に映ったに違いない。

 完全に馬鹿だった。立宇治はまだ野球名門校ではない。甲子園で活躍した実績がない。だから、彼らの頭には勉強とクラブの両立があったりするだけで、甲子園を目指しているとはいえ、甲子園で活躍している自分たちのイメージが少し足りないとも思う。それに小学生のときから、野球のことばかり考えていたというわけではないだろうに。彼らがどういう時代に育っているのかが、いまいち自分でもよくわからないのだが、塾や他の習い事が忙しくて、テレビで甲子園をあまり観たことがないという子もいるのだろうか。テレビゲームやパソコンも普通のことなのだろうか。もしくはプレーすることはあっても、ウォッチングすることがあまりなかったのかもしれない。あるいは、単に高校生に質問するには少し程度が低すぎたのかもしれない。

 立命館宇治の校舎の美しさにも舞い上がったのだろうか。聞いた話では、野球がいくらうまくても、学力も当然のようにないと試験をパスできないらしい。近所のおばさんも「立宇治に入るほどの頭が息子にはない」と言っていた。その通りにパンフレットは大変立派なもので、この高校で学べる教育の様々が描かれている。何かしらの将来を約束されているようにも感じられる、そのカリキュラムの豊富さを全て目を通すことができない。

 センバツ出場に喜ぶ選手たちに、憧れの、と聞いたのが悪かったのか。好きだった、と聞けば、すんなり受け入れられたかもしれない。「甲子園は憧れじゃなくて、目標ですから」と今の高校生は特別に舞い上がることもないのかもしれない。卯瀧監督と一緒に甲子園。僕には彼らが羨ましくて仕方がない。
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