京都アマチュア野球だより

試合結果、選手成績などを写真付きで紹介しています (SINCE 7.06) 著:若林千尋

京都府軟式高校野球

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.1

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.1

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東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) 1991年(平成3年)9月14日生まれ(18歳)

170cm 75kg 右投げ右打ち O型 背番号2

50メートル走6秒7 遠投95メートル

神戸出身、亀岡市在住



第54回全国高校軟式野球選手権大会にて、同校3度目の出場で初のベスト4に進出。「このメンバーが誰ひとり欠けてもここまで勝ち上がれなかった。最高でした」と主将の牧はすがすがしい表情で言った、と報道される。新潟県で開催された「第64回トキめき新潟国体」では、決勝で神戸弘陵(兵庫)を5-1で破り、チームを初優勝に導いた。そして、京都府高校野球連盟から2009年度(平成21年度)優秀選手として特別表彰(軟式の部)を受けた。来年4月から同志社大に進学し、準硬式野球部に入部予定。


※インタビューは12月11日に行いました。お忙しい中、東山高軟式野球部・西川弘基監督にも付き添って頂きました。


―よろしくお願いします。中学はどちらですか?

よろしくお願いします。亀岡市の東輝中学校出身です。


―野球部に入っておられたのですか?

はい。…それと軟式野球チームにも入っていました。


―ええっ?!どういうことですか?

中学の軟式野球部に入りつつ、軟式少年野球チームの「亀岡イースタン」の中学の部でもやっていました。


―…どちらも入っていたということですか?

はい。亀岡市では普通にみんなそうしています。


―…驚きですね(笑)。珍しいですね(笑)。

「亀岡イースタン」は小学校から中学校までずっとで、東輝中学校では入学して野球部に入っていました。


―練習は重なったりしないのですか?

中学は平日が練習、土曜日は午前中だけで日曜日は休みでした。イースタンは土曜日の午後からと日曜日が練習だったので全然問題なかったです。亀岡人は部(中学野球部)とクラブ(少年野球中学の部)を両立する人が大半です。


―面白すぎますね(笑)。そんなことがあるんですね。中学生で硬式のクラブチームに入っている人は、学校では陸上部に入ったりすることが多いですが、軟式プラス軟式というのは聞いたことがなかったです。

友達が敵や味方になったりすることもありますが(苦笑)。試合が重ならないように日程が組まれています。中体連と少年野球連盟の違いはありますが、亀岡は軟式がとにかく盛んな地域です。かといって、野球に力を入れているわけではないですが。この夏、龍谷大平安高で甲子園でスコアラーをしていた井上君は中学は違うけど、少年野球(亀岡イースタン)では一緒にやっていました。


―「少年野球」という言い方がおかしいですね(笑)。

ボールは大会によってマルエスとケンコーと違うこともあったりするのですが(苦笑)。サイズの問題でマルエスが少し大きかったです。それにボールも入れ替えの時期でした。


―そう言えば、ボールも3年くらい前に「よく飛ぶボール」に変わりましたね。バットも飛距離が出る「ビヨンドマックス」が草野球では流行り、僕も使ったことがあります。

よく飛びました(笑)。中学ではどちらのチームでも使えました。が、高校では使えませんでした。高野連では禁止です。


0-0のゲームが多いので社会人のB級やC級で「ビヨンドマックス」がよく使われたと聞きます。でも、その分ピッチャーのレベルが上がったという恩恵も受けました。最近では高校生で、中京高(岐阜)の伊藤君のように142~143キロを投げる軟式の投手もいました。昔は130キロでも十分速い方でした。「ビヨンドマックス」の使用は、中体連がもうすぐやめるかもしれないと何年か前に聞いた覚えがあります。今はちょっとどうだったかわかりませんが。…電話で聞いてみましょうか?(西川監督談)


―いや、大丈夫です(苦笑)。いいです、いいです。すみませんでした。

中京の伊藤さんの話は今でもよく聞きます。

※中体連の全国大会では、2007年7月から「ビヨンドマックス」の使用が禁止になった。


―牧さんは、中学時代はどちらのチームでもキャッチャーでレギュラーだったのですか?打順は?チームの成績はどうでしたか?

そうですね。打順は3番か5番でした。中学の時はあんまりいい成績は残りませんでしたけど、野球部ではキャプテンでした。小学校でもキャプテンで夏の全京都大会でベスト16に入りました。


―少年野球で全京都ベスト16はすごいですね。

それで、高円宮賜杯(マクドナルドカップ)で準優勝して、JR西日本大会に出場したのですが、2回戦で敗退しました。


―お父さんが監督だったりしましたか?ご兄弟は?

いえ、小学校も少年野球もコーチでした。でも、手伝いをしている感じで野球に詳しいわけではありません。3人兄弟で兄が2人いますが、年齢が離れていて、一番上が11歳、次が9歳違います。2番目の兄は兵庫県で今年久々に甲子園に出た野球部でしたけど。


―同年代で今も野球で活躍している人はいますか?

これはアピールなんですけども(笑)、小学校の時、京都代表に選ばれました。「JAPAN京都隊」というのですが、京都から集まった40人が3~4チームを作ってハワイで日米親善野球大会の試合をします。そのときが第1回大会だったんです。チームメイトにはさっきも言っていた平安の井上君、鳥羽の小林君、外大西の西廣君がいました。あと九州国際大付属で甲子園に出場して、今夏3番を打っていた國枝君がいたのですが、彼はケガで行けませんでした。他にも明徳義塾の加藤君がいたり、技術的にはすごい学年だったと思います。


―京都学園の高橋君は知っていますか?

彼は小学校のときは世界大会の選抜に選ばれていましたね。


つづくvol.2へ

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.2

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.2

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―そして、東山高に入学されます。印象はありましたか?

男子校だというイメージくらいで(笑)。軟式があるのも知りませんでした。


―最初は硬式野球部に入っておられたと聞きました。

はい。当時は尾迫監督の1年目でした。国語の先生なんですが、野球がすごくうまくて。佛教大時代は京滋大学野球リーグで4年のときに右打者で首位打者を獲って、遊撃手でベストナインに選ばれ、最優秀選手賞で表彰されたそうです。


その時代は神宮で活躍した近大の黄金期でした。二岡(広陵―日ハム)、藤井(近大附属―近鉄、楽天)、宇高(PL学園―近鉄―横浜、引退)がいて強かったです。尾迫監督は岡島さん(巨人―日ハム―レッドソックス)が3年のときの1年生で、ソフトバンクの斉藤さん(南京都)と同期ですね。(西川監督談)

※1997年に近大は史上初のアマチュア五冠を達成した。(関西学生春のリーグ戦、秋のリーグ戦、全日本大学野球選手権、明治神宮大会、社会人選手権優勝チームとの全日本アマチュア野球王座決定戦の五大会で優勝)


―1年夏の東山の戦績は?

ベスト16で南丹に負けました。西京極ではスタンドで応援していました。


―いつ頃退部されたのですか?

10月頃です。色々あって…。ずっと軟式に行きたかったです。一歩を踏み出すタイミングだけでした。


―硬式から軟式野球部に入るのに抵抗はなかったですか?

同じクラスだった軟式野球部の杉本君(京都ファイアーバーズ)が親しみやすくて仲が良かったのですが、軟式野球部のことをよく話してくれて…。やりたくない野球をやっていても面白くないし…。思い切って親に話してみました。


―硬式の東山は楽しくできませんでしたか?

入学したての1年春は府大会で準優勝でした。立命館が優勝だったのですが、応援するのが好きで、その大会はむっちゃ楽しかったです。でも、決勝で大敗してしまったのです。…それからちょっとずつ意識も変わってきて…。


―どう変わってきたのですか?

…野球に対する厳しさならよかったのですが、そうではなかったので。


―良かったら話してくれませんか?

…辞める直前のことなんですが、新チームが始まって1年対2年で紅白戦をしたのです。そしたら1年が勝ってしまって…。みんないいプレーしたのです。


―なるほど。それで何かあったわけですか?

…別に暴力があったわけではないですけれども、活躍した人が集められたりして…。いい人もいるがひねくれた人もいましたね。


―……書いてもいいですか?

はい、むしろ書いてもらいたいくらいです。そのために言うのですから。


―わかりました。いじめではないけど不本意だったということですね。

はい、そんな感じです。先輩が厳しいのは当たり前やけど、何か違うやろと…。それが主な理由です。


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―いつ軟式野球部に?

10月からです。硬式とは雰囲気が違って、純粋に楽しかったです。毎年2、3人くらい硬式から軟式へ移っているようですし、あまり抵抗もなかったし、あまり変わらなかったです。割とみんなと仲がよかったですし。自然な流れとも思います。でも、硬式をやっていなかったら、今の自分はないと。


―硬式で仲の良かった人は?

主将の吉田君とは仲が良くてよくしゃべる関係でした。


―硬式でどんなことを学びましたか?

基礎練習ですね。キャッチボールのやり方など、一から硬式で教えてもらって、キャッチャーのことや技術面でも知らなかったことを教えてもらいました。


―例えばどんなことですか?

配球やピッチャーの考え、試合展開のことですが、それまであまり考えたことがなかったです。


―もう少し詳しくお願いします。

配球ではカウントの作り方です。バッターが上位なのかクリーンアップなのかなど、状況に応じて変えることの大事さです。それは軟式でも同じです。そういうことを覚えようと思ったきっかけになりました。


―そこにおられるので恥ずかしいかもしれませんが、西川監督と出会って高校での軟式が始まるわけですね?

西川先生は31歳で、選手目線で考えてくださるし、考え方も若いので僕らもやりやすいです。とにかく何でも話をしています。


―硬式の尾迫監督は32歳ですよね?

硬式は100人くらいいますし、レギュラーの方にいることが多かったから関わりがなかったです。だから監督の考えも1年だったのでわかりにくかったという気がします。

―軟式野球部は何人くらいですか?

1年から3年までで夏前の時期で20人くらいです。だから、西川監督も一人ひとりに気を配れるし、野球から離れても歳が近いので話も聞いてくれます。もちろん野球の時は一線を引くけじめはがっちりつけていますが。エースの森本とのコミュニケーションの取り方など軟式をやっていないとわからないことを教えてもらいました。


―西川先生は社会や体育の先生なのですか?

いえ、他の仕事をもっておられます。東山軟式野球部のOBなのですが、仕事が終わってから練習に来てくださっているので頼もしいです。

―他に指導して下さるのですか?

坪井部長ですね。西川先生に比べると来られませんが、数学の先生で監督の同い年です。仲はいいですけど、二人が敬語で話しているので面白いです(笑)。やっぱりタメ口で話そうか、ということになったらしいですが、やっぱり違うかったみたいで一日で戻りました(笑)。


つづくvol.3へ

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.3

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.3

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―軟式に移られて初めての大会は1年秋ですが、出場はなかったですよね?

はい。まだ硬式だった時に、軟式は府大会で優勝したので近畿大会を観に行きました。


―それでは、2年春から試合に出るようになりましたか?

はい、出るようになりました。府大会で準優勝(優勝は龍谷大平安)して近畿大会(明石球場)に出場しました。1回戦は神戸弘陵(兵庫)に勝ちましたが、2回戦で耐久(和歌山)に負けました。


―2年夏や秋はどうでしたか?秋は3年連続11回目の府大会優勝でしたが。

夏は府大会で優勝して、近畿大会の初戦で比叡山(滋賀)に負けてしまいました。秋も府大会決勝で立命館を1-0で下して優勝したのですが、近畿大会初戦で耐久(和歌山)に負けました。聞いてほしいのですが、その年に近畿大会で耐久に負けた2試合はどちらもエラー数で勝敗が決まったのです!…エラー数で決めるっておかしいなあと思っていました。エラーしている数が多いのに点が同じということは、抑えているということですよね?!…今年からその決め方はなくなったのですけども。すごく悔しい思いをしました。


―…そう言われるとそうですね。面白い考え方です(笑)。エラーが多くても点を取られなかったらいいわけですからね(笑)。それでは、2年春からレギュラー(正捕手)だったのですね。すぐレギュラーになれましたか?

僕が軟式に入る前は、チームにキャッチャーがいない状態だったので、外野手の先輩がキャッチャーをしていました。でも、僕が入って外野にまた戻されたという形になります。打順は3番とか6番でした。


―エースの森本投手も途中入部だったと聞きましたが。硬式野球部に入部されていたのですか?

硬式には入部していません。練習は観に行ったそうですが、あまり面白そうじゃなかったようで、軟式の先輩に「一緒にやらないか」と誘われて、僕の入るちょっと前に入ったらしいです。そして、1年秋から投げていました。


―3年春は?

府大会で優勝して近畿大会(橿原球場)に出場することが決まっていましたが、新型インフルエンザの影響で大会がなくなってしまいました。それで、出場記念としてペンをもらいました(苦笑)。


―そして、3年夏を迎えます。チームとしての手応えはありましたか?

もちろん、ありました。冬に走り込みをしていました。僕個人で練習以外でずっと走っていたのですが、「俺も俺も」と他の部員もそうしていたようで、今までにないみんなの本気さを感じて、キャプテンとしてとても嬉しかったです。それに、みんなと仲がいいので色んな意見交換ができたと思います。秋はチームを引っ張っている感じがありましたが、春・夏になると誰がキャプテンでもおかしくないくらいでした。


―仲が良いというのはいいことですね。

でも、仲がいい反面どうしてもきつく言えなくなることがあって…。去年まではみんな仲が良すぎて言い切れなくて、詰めないといけないところを詰め切れなくて…それで2年夏は負けたと思います。


―今年の3年生のチームは違っていた。

今年はプライベートは別でした。野球をする時は全員がライバルで、高め合っていかなければいけません。3年生がチームみんなに全員に意見を言ったり、注意をしたり、そういうのがすごく助かりました。チームがとてもよくまとまっていました。


―冬に走りこんだ話をもっと聞かせてください。

どこの高校よりも冬によく走りました。夏前もです。走るメニューが多かったです。冬のメニューは大外を3キロ走って、山へ行って坂道50メートルを10本。グラウンドに帰ってきて1500メートル走って、2人1組でトラック1周300メートルを1人150メートル半周走ってタッチして、もう1人が残り半周走るというのを10本走りました。ストップウォッチでタイムも計ります。それから室内でボールを等間隔に5個置いて1個目まで行って帰る。2個目まで行って帰る…というのを15本走って、横を向いて5メートル走ってタッチしてダッシュで戻るというのを5種目終わると次の人がするというように、それを10~15本するというような…。


―それぐらいでいいです(笑)。山科でも室内はあったのですか?

東山はグラウンド、室内に恵まれていて、山科は室内が広かったです。硬式がグラウンドを使う時、軟式は室内で練習できない日はなかったので。


―練習は遅くまでしていましたか?

普通は16時~21時ぐらいでした。グラウンドを出るのが最後で、硬式よりも軟式がむしろ長い感じでした。今は新しい醍醐グラウンドで練習しているようですが、残念ながらここの室内ではノックやバッティングができないので、前の方がよかったと思います。それに施設の利用時間というか練習時間が決まっているのであまり練習できないので。


―色んな所に遠征することは多いのですか?

全国大会出場が目標なので、泊まりで岐阜の中京には毎年練習試合で行きます。他に和歌山の新宮にも行きます。運転手さんがスクールバスで送ってくれたり、マイクロバスを頼んだりします。


―軟式でも年末年始以外、練習や試合という感じなのでしょうか?

そうですね。ほぼそんな感じです。木曜日はグラウンドが軟式は使えないのでオフなのですが、学校で走りますので。



―かなり脱線しましたが、いよいよ3年夏です。全国大会の準決勝で延長24回の激闘がありましたが、京都大会はどうでしたか?

3年夏はシード校でしたので初戦が準決勝の龍谷大平安戦でした。その試合が延長15回で1-0という厳しい試合でした。そして決勝の立命館戦がまたそれよりも厳しくて…。3点差で最終回を迎えていました。9回2死満塁までいって、そこで五月女が右中間に走者一掃の同点ツーベースを打ってくれたのです。それで息を吹き返し、延長で勝ちました。僕が四球で出て送りバント。暴投、暴投で1点取った後、新谷がタイムリーで5-3でした。冬の差が出たと思いました。


―夏の府大会で優勝し、近畿大会に進出します。

近畿大会は大阪、兵庫はチーム数が多いので全国に直結していますが、京都は奈良、滋賀、和歌山と代表権をかけて戦います。


―どこの県が軟式が強いとかあるのですか?京都では苦しんでも紀三井寺で行われた近畿大会での大津商戦や天理戦はいずれも完封勝ちでしたが、余裕がありましたか。

いや、特にありません。いつも接戦ばかりでそんなに余裕がないですし、軟式は点が取れないので。


―硬式と軟式で戦い方が違いますね。どんな違いがありますか?

そうですね。三塁ランナーがスタートを切って、バッターはゴロを打つ「タタキ」があります。ゴロを打つとよく跳ねる(弾む)のでそれを望むところがあります。また、打球が飛ばないのでタッチアップはほとんどありません。


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『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.4

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.4

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―あとは軟式では投手力が命のところがありますね。森本投手はどんな投手ですか?球種は2、3種類ぐらいですか?

森本の球種はスライダー、縦スラ、カーブ、シュート、ツーシーム、フォーク、チェンジアップ、シンカーです(笑)。


―ええっ?!そんなに多いのですか?全部使いますか?

そんなにいらないけど、全部使っていました(笑)。その日によって調子のいい球種を、試合前に話し合って選択していました。でも、森本はまっすぐをどう生かすかだったので、変化球はボールでもいいのです。


―直球のMAXはどれくらいですか?

136キロぐらいです。もうとにかく野球が一番うまいです。軟式のレベルじゃないし、チームどころかずば抜けています。大学でもバッテリーを組みたかったし、あんな楽なピッチャーはいないですね。森本の球を受け続けたかったです。


―牧さんは、同志社大で準硬式をされるそうですね。森本さんは関大で準硬式をされるかもしれないと聞いています。

そうですね。合格しました。本当は軟式が好きなので軟式がやりたいですけども、推薦では準硬式しかなかったので。勉強はあまり好きじゃないから同志社大は不安なところもありますが、野球しかないという気持ちでもあります。森本は硬式に行くことはなさそうなので、準硬式ならもしかしたら大学では試合をやるかもしれませんけども。


―準硬式や軟式をやっていたら、プロにはほぼ結びつきませんが、そのことについてはどうお考えですか?

プロには一切興味がないので。野球が好きですから野球には一生携わっていきたいとは思いますが。好きなことをやることはいいことだと思っています。


―高校の先輩でも、軟式から硬式を握っている人はいるのですか?

はい、活躍は聞きませんが、大学から硬式を握る人はいます。


―森本投手の球はどんな感じなのですか?

受けるのは慣れているので得意ですが、打席に入るのは勘弁してほしいというか、怖いくらいです。みんなよく打てるなあと思いますし、負けるわけないと思います。実際負けることもあるのですが(苦笑)。


―受けることはできても、バッターボックスでは怖い、ですか?

バッターボックスではキャッチャーよりも一歩前だから、その差がすごいあると思います。僕は打てた試しがないです(苦笑)。ヒットを打ったことがないし、無理です(笑)。味方でよかったし、ちょっと敵じゃなくてよかったです。練習では森本の球を受けられる人がいなくて、僕と普段はファーストを守っている五月女くらいです。二人以外は無理でした。よくこの球が捕れるなあと自分では思います(笑)。


―森本投手の球はどうすごいのですか?

「手が痛くないか?」と他のチームの人に言われます。球が浮き上がるというか速いだけじゃなくてのびがあるらしいです。


―軟式は打撃が難しいと思いますが、通算打率はどれくらいかわかりますか?ホームランを打ったことは?

そうですね、…通算2割くらいじゃないでしょうか?4番の森本が出塁するから進塁打を打つことが多かったですけれども。4打数3安打が1回、3打数3安打が2回くらいで、高校通算本塁打は0です。


―へえ~、それは硬式ではないことですね。レギュラーでクリーンアップなら1本くらいはありそうです。

森本が練習試合で1本、他に2年生の内藤が1本くらいで3本打ってる人もいないです。5本打ったことがある選手が全国にいるかもしれませんが、聞かないですね。軟式の面白さはロースコアにあると思います。簡単に打てないし、ヒットにもなりません。でも、硬式ではありえない当たりがヒットになるのが面白いのです。


―へえ~、4番の森本さんでもそうなんですか?

森本は投手としても超一級品ですが、打者としても全国屈指のバッターだと思います。バッティングも相当やばいです。どこに投げても打たれる気がするし、もしかしたら3割打ってるんじゃないですかね。小さいし、しゃべっててもそんな雰囲気はないのですが、あんなやつみたことがないし、金輪際会わないかもしれないです(笑)。


―べた褒めですね(笑)。そんなにすごいと言える仲間がいて素晴らしいです。それでは滅多に二桁安打はないということですか?

3年夏の近畿大会、天理戦では15安打でしたが、地味なヒットや内野安打、ポテンヒットでした。二桁はほとんどありません。でも、ノーヒットノーランをされることもないです。


―さて、近畿大会を優勝し、東山は20年ぶり3回目の夏の全国大会に進出しました。明石公園野球場で1回戦に松商学園(北信越)を3-0で下してベスト8に進出されます。そして準々決勝で神戸弘陵(兵庫)と対戦しました。この試合が延長24回という壮絶な激闘でした。

はい。一日目は延長15回で規定によりサスペンデッドゲーム(一時停止試合)になって、二日目は続き(継続試合)をしました。結果延長24回で1-0でサヨナラ勝ちしました。


―なぜこんなに長い試合になったと思いますか?

神戸弘陵はチームがまとまっていたし、野球のスタイルも似ていました。どちらも作戦がわかるから点が入らずずっと続きました。ピンチとチャンスがずっと繰り返しで、終盤になればなるほどそんな感じでした。いつ終わるのかなあ、と思いましたが、終わってしまえばもっとやりたかったです。


―相手の橋本投手は3連投で、最後は24回一死満塁からこの回4つ目の四球が押し出し四球となったそうですね。この試合では334球目でした。試合時間は2日間合わせてどれくらいでしたか?

5時間くらいですかね。24回やってよかったと思います。どちらも最後は気力の勝負になりましたが、冬に走ったその成果が出たと思いました。守って守ってがチームのスタイルですが、あんな試合でしかも勝てて、チームが完成したと言っていいと思います。


―残念ながら、次の準決勝、初出場の名城大附属戦では2-4で負けてしまいました。相手の小林投手は初戦の初芝富田林戦で史上初の完全試合(88球)を達成しましたね。森本投手は延長24回の2日間で計282球(23奪三振)を投げた次の試合のことでした。2回に3失策して3失点が痛かったですね。

あの試合はもう満身創痍で…。森本がボロボロで、どこまで投げられるかという状態でした。ちょっとでもダメなら全員絶好調でもダメでした。本当はそれではいけないことですが。


―結局、森本投手は4連投で588球を投げて力尽きた。「一球一球がいい思い出でした」という報道でした。大会中の34回連続無失点というのはすごいです。残念な結果でしたが、大会中はどんな生活でしたか?大会日程は硬式と比べると短いですけれども何か印象に残ったことは?

21時消灯で、晩御飯を食べたら1時間フリーですけれども、どこにも行けないですし、試合のことしか印象には残っていませんね。


―準決勝の試合が終わったときはどんな気持ちでしたか?

全国大会に行って目標は達成されたので、泣かないと思っていたのですが、負けるとやっぱり悔しかったです。欲が出て勝ちたい気持ちが強くなったから最後はみんな泣いていました。中でも森本が一番悔しかったはずです。府大会決勝で立命館に3点差をつけられていたときも泣いていましたから。9回表に同点に追いついてからやっと本来のピッチングが冴えてきました。


―延長24回の試合は、軟式では歴代3番目に長い試合だったと報道されています。

延長24回を戦って、最後は本当に敵、味方が関係なかったです。相手ピッチャーの橋本に、ここまで来ると、しゃべる機会があったら「ガンバレ!」と言おうと思っていました。野球の試合だけれど、それだけじゃないなあと思いました。1日目の15回が終わって、次の日試合をやるのが嫌なくらいに緊張しました。でも最終的には純粋に楽しくてずっと続けばいいなあと思っていました。終わってみれば、語っても語りつくせない、そんな感じです。


つづくvol.5へ

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.5

『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.5

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―そんな風に最後思えるなんて幸せなことだと思いますよ。そして、その成果が秋の国体につながります。新潟国体、優勝おめでとうございます!!新潟の小学生も応援に駆けつけたそうで。

ありがとうございます。3試合も楽しんでやってました。小学生は大応援団でした。


…あれっ?!それだけか(笑)?あの話は?(西川監督談)


…ええっと、実は…初戦の試合前日に足の靭帯を伸ばしてしまいまして…(苦笑)。ベースランニングの時、グラウンドが固すぎてスパイクの歯が刺さり過ぎて…(苦笑)。それでもやっぱりせっかくだし、出たいのでファーストで出させてもらいました。ファーストの五月女にキャッチャーをやってもらって、チームに迷惑を掛けっ放しでしたが…(苦笑)。


―ファーストとはいえ、その状況でよく出られましたね?

もう高校生活で最後でしたからね。松葉杖をついて球場入りしました(笑)。でも、幸運なことに新潟で接骨院のいい先生に巡り会いまして、テーピングをぐるぐる巻きにしていました。試合の日の早朝や夜遅くに病院に行って。初戦は初回から8回までファーストで、準決勝は7回からキャッチャーで、決勝はフルでマスクをかぶりました。痛み止めを飲んだり、座薬を入れたりして(笑)。本当に嘘みたいな回復力でした。


―そして、その痛みに耐えて、国体で優勝しました。ウイニングボールを掴んだそうですね。

キャッチャーファウルフライを掴みました。準決勝では夏に敗れた名城大附属に、決勝では延長24回を戦った神戸弘陵に勝ちました。全国制覇は目指している真剣な場所だったので、優勝して嬉しかったです。


―新潟で思い出はできましたか?

新潟は米がおいしかったし、人間が温かかったです(笑)。


―花巻東の菊池君(西武1位指名)に会いませんでしたか?

会いました。しゃべりに行ったのですが優しかったです。他には明豊の今宮健太君(ソフトバンク1位指名)や中京大中京の堂林君(広島2位指名)、県立岐阜商の山田君(専修大進学を希望)にも会いました。


―そうですか。よかったですね(笑)。軟式をやっていて硬式をどう見ていますか?

軟式をやっていても、野球は野球なので硬式を特別に意識したりはしませんでした。軟式野球のファンの方もいますし。


―そう言えば、夏の全国大会に出場が決まったときは、京都新聞社や京都府庁、京都市役所に表敬訪問されたのですよね?

はい、もう一生ないかもしれないぐらいに思って行きました(笑)。


―監督!!、牧さんがキャプテンで良かったですか?監督さんが指名したのですか?

どこに出してもあやしくないキャプテンだと思いますよ(笑)。この先こんなに楽はできないです。もうみんなキャプテンは牧がやると思ってたと思います(西川監督談)。


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―そうですか。やっぱりしっかりしてますね。高校の軟式野球生活はどうでしたか?

野球は感謝で始まり、感謝で終わると自分では思っています。ただ単に全国を目指すだけでは申し訳ないです。感謝してもしきれません。本気で目指すのは当然のことで、監督や部長、応援してくれた人たち、父兄、家族などがあってのことです。


―軟式野球についてのアピールはありますか?

軟式をやりたいと思ってくれれば、幸いなことになると思います。僕は野球が好きで、頂点を目指して軟式をやっていただけです。


―軟式が得意というのは、歳をとってもどんな草野球チームでも引っ張りだこですよ!!(笑)それに案外硬式出身は打撃にも守備にもとまどいますからね。

そんなことないです(笑)。


―森本投手とバッテリーを組んでいて思い出に残っていることは?

監督がいる前で言うのは恥ずかしいですが、森本は力投派で、元々ひじのケガを持っていたのですが、延長24回の試合のとき、回が終わるとベンチ裏に入ってテーピングをして冷してを繰り返しているのを見たら、辛くて泣けてきました。それで僕のサインで変化球を投げたりしていたから、これで一生投げられなくなったらどうしようと思っていました。


―高校1年の秋に硬式から軟式に、それから野球を続けてきて自分が変わってきましたか?

大分変わってきたと思います。取り組む姿勢が変わってきました。一球でも無駄にするとダメだと思うようになりました。


―そういう姿勢や考えに行き着いたのは?

2年の夏に負けて、3年生の姿を見て、…なんでもっと頑張らなかったのかと自分で思いました。負けてから後悔しないようにとみんなが思ったので強くなったと思います。もしさぼってしまって負けると言い訳になるのが嫌だったです。


―それからチームが少しずつ変わっていくのですね?

はい。3年の夏前に坪井部長に「一日に一ついいことをしよう」と言われました。ずっと言われてきたことでもありますが、それはちゃんと返って来ると。そのとおりだと思いました。どんな小さなことでも一つずつ感謝の気持ちを持って、その気持ちで本当に全国に行かせてもらえたと、みんなそう思っていると思います。


―東山に入ってよかったですね。

そうですね。ここに入ってこうなるようになれ!、と言われているのかなと思いました(笑)。


―今日は本当は京都府高野連で表彰された時に貰う、盾や賞状なんかを持ってきてもらおうと思っていたのですが…。

まだもらってないです(笑)。表彰は来年の1月15日だと思います。


―そうですか、よかった(苦笑)。楽しみですね。軟式の選手が表彰されるのは特別なことですし、硬式は5人と毎年決まっていますからね。

はい、楽しみです。でも、僕だけの受賞とは思っていないです。


―最後に、将来の夢などお話していただけますか?

そうですね、…今度東京都に警視庁の社会人野球チームができるので漠然とやれたらいいなあ、と思っています。本当は大学にはあまり興味がなくて、高卒で京都府警を受けようかなあと思っていましたから。スポーツ推薦で大学に行けることが決まったので。


―そのときは硬式になりますね?

本当は軟式が好きなんですけども(笑)。


おわり



※『唯我独尊』とは、「自分一人が特別にすぐれているとうぬぼれること。ひとりよがり」という意味ではなく、「この世の一人ひとりが主人公。」といった意味で捉えています。

※今回は落成式があったばかりの東山高校・醍醐グラウンドにお邪魔しました。牧主将はしっかりしていて頼もしく、とても高校生には思えないほどでした。次は野球雑誌「ホームラン」の取材があるそうなので、また来月あたりに書店でお求めください。



【2009年度京都府高校野球連盟 優秀選手】

・長岡 宏介(福知山成美)投 <秋優勝、春・夏準優勝>

・中本  篤(立 命 館)投 <秋準優勝>

・中村 達樹(塔   南)外 <秋3位>

・今竹 悠太(京都 両 洋)内 <春優勝>

・妻鳥 哲也(龍谷大平安)外 <夏優勝>


【2009年度京都府高校野球連盟 特別表彰(軟式の部)】

・牧  紘平(東   山)捕 <新潟国体優勝>




(参考HP)

東山中学・高等学校

京都府高校野球連盟 優秀選手

第54回全国高等学校軟式野球選手権大会

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