京都アマチュア野球だより

試合結果、選手成績などを写真付きで紹介しています (SINCE 7.06) 著:若林千尋

2009年度東山高軟式野球部の主な成績

【第64回国民体育大会】

▽決勝(9月30日・荒川球場)

東 山(京都)

000 001 112=5

000 100 000=1


神戸弘陵(兵庫)

(東) 森本-牧
(神) 橋本、大川、串田、橋本、村田-村田、福田


▽三塁打:吉田、内藤、森本(東)
▽二塁打:濱口翔(神)



▽準決勝(9月29日・荒川球場)

名城大付(愛知)

000 000 000=0

100 000 00×=1


東 山(京都)

(名)小林-早川
(東)森本-五月女、牧


▽三塁打:入江(東)
▽二塁打:池場(名)内藤(東)



▽2回戦(9月28日・神林球場)

大 津(山口)

000 000 000=0

021 200 21×=8


東 山(京都)

(大)金具-國光
(東)森本-五月女


▽三塁打:森本(東)
▽二塁打:入江(東)




【第54回全国高校軟式野球選手権大会】

▽準決勝(8月29日・明石公園)

名城大附(愛知)

030 000 010=4

020 000 000=2


東 山(京都)

(名)小林-早川
(東)森本-牧


▽二塁打:森本、藏貫(東)


▽準々決勝(8月28日・高砂、明石公園)

(27日のサスペンデッドゲーム、16回から再開)

神戸弘陵(兵庫)

000 000 000 000 000 000 000 000=0
000 000 000 000 000 000 000 001X=1  (延長24回)


東山(近畿・京都)   

(神)橋本-村田
(東)森本-牧


▽二塁打:若松、藤田(神)新谷2(東)


■東山8強へ 森本が被安打4、10奪三振

▽1回戦(8月26日・明石公園)

松商学園(北信越)

000 000 000=0

000 120 00×=3


東 山(京都)

(松)武井-中川
(東)森本-牧


▽二塁打:中川(松)森本、蔵貫(東)



◇全国高校選手権近畿大会

■東山、20年ぶり3度目の優勝

▽決勝(8月5日・紀三井寺)

東 山(京都)

200 031 000=6

000 000 000=0


天 理(奈良)

(東)森本-牧
(天)山岡直、柳田-向井
 

▽三塁打:森本、蔵貫(東)
▽二塁打:柿迫(天)
 


▽準決勝(8月4日・紀三井寺)

東 山(京都)

200 000 010=3

000 000 000=0


大津商(滋賀)

(東)森本―牧
(大)山田―岩本



◇全国高校選手権京都府大会

■東山が3年連続6度目の優勝

▽決勝(7月29日・太陽が丘)

東 山

000 001 103 02=7

010 000 130 00=5  (延長11回)


立命館

(東)森本―牧
(立)山本、盛永―大中


▽二塁打:五月女(東)盛永(立)


▽準決勝(7月28日・太陽が丘)

東 山

000 000 000 000 001=1

000 000 000 000 000=0  (延長15回)


龍谷大平安

(東)森本―牧
(龍)新宅―小河


▽二塁打:入江、新谷(東)

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.1

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.1

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大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 1984年6月6日生まれ(25歳)

広島工業大高―京都学園大―京都ファイアーバーズ

181cm 79kg 右投げ右打ち B型 背番号14

広島市出身、大阪市住之江区在住



社会人クラブチーム・京都ファイアーバーズからトライアウトを経て、今年始動した関西独立リーグの大阪ゴールドビリケーンズにドラフト1位で入団する。大阪市内のミズノ本社で行われた4球団合同ユニフォーム発表会に出席。女性初のプロ野球選手、吉田えり投手の初登板が話題で、観衆1万人を集めた3月27日の開幕戦では大阪の開幕投手を務めた。今シーズンは9勝4敗、防御率3.06の成績を残し、大阪を初代年間優勝に導いた。しかし、大阪は関西独立リーグを脱退。来年は三重スリーアローズと2球団で、JFL(ジャパン・フューチャーベースボールリーグ)をスタートさせる。
 

※インタビューは11月23日に行いました。



―よろしくお願いします。なぜここ高槻でトレーニングしているのですか?

こちらこそ、よろしくお願いします。いつもは難波にある民間の会員制ジムでトレーニングするのですが、月曜日がお休みなので、今日はここに来ています。


―随分時間をかけたトレーニングですね。

特別メニューなんです。費用は全部で月1万円くらいはかかりますね。空いている日はなるべくトレーニングしています。マシンが置いてあるのでここまで来ます。


―大阪の住之江区にお住まいですが、他の選手も大体そうなのですか?

そうですね、半分くらいは住んでいるんじゃないでしょうか?地方から来た人は、みんなバラバラで同じマンションではないですが。大阪在住の人は実家通いです。


―遠征の際は移動が大変ですね。

住之江公園野球場なら自転車で行けるのですが、和歌山や明石に行く時はバスが出ます。自分で行く時は、交通費は自己負担になるので、ガソリン代はもちろん高速料金と駐車料金がかかります。万博公園なんかは1200円もかかります(苦笑)。なので乗り合わせていくこともあります。


―普段の練習は?

試合のない日は堺市で練習します。朝から昼までです。


―残念ながら、大阪は給料カットで月給8万円になりましたね。

7月からそうなりました。最初はアルバイトはしてはいけないことになっていましたが、8月からよくなりました。でも、働いているのは1人か2人くらいです。


―契約上、問題はないのですか?2010年は月給が8万円プラス出来高払いになり、8ヶ月の支払いが2ヶ月短縮になるようですが。

今のところは払えないけど、今後少しずつでも支払ってくれる方針だそうです。家族から仕送りのある人はいいですが、相当苦労している人もいます。一応、仕送りをもらっているので、僕は恵まれています。


―いつ給料が半分になることを知りましたか?

それが…ニュースの方が早くて、親から連絡がありました。「もし、そうなったら送るから」と言ってくれました。


―ご両親は息子さんに理解がありますね。どんな方ですか?

親は放任主義で教育されたというような記憶がありません。たまに「ちゃんとご飯を食べているか?」と言われるぐらいで、協力的してもらっていますし、応援もしてくれています。広島から3、4回来てくれました。父親は特に熱心ですかね。


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―子供の頃は少年野球をしていたのですか?

少年野球はしていません。野球は遊びでするぐらいで本格的にはしてなかったです。小学校でソフトボールのチームに3か月だけ入っていましたが、理由も覚えてないけどやめました。そのチームは強くて、野球ではなくみんなソフトをしていた印象です。中学から野球を始めて、軟式野球部に入っていました。


―広島出身ということはカープファンですか?

そうですね。小学1年のときに広島カープが優勝して以来ですね。大野豊さんが好きで、憧れていました。独特なフォームでかっこよかったです。


―中学時代は?

ピッチャーとセカンドをしていました。全学年合わせて30人くらいで強くはありませんでした。広島市の大会では1回戦で負けるくらいのレベルでした。エースではなくて、公式戦ではセカンドで出ていました。エースは横浜から引っ越してきた子で、球が速かったです。高校は広島商に行きましたが、途中でやめたそうです。


―高校は広島工業ですか?甲子園に出たこともありましたかね?

それは県立の工業高校ですね。5回ぐらい甲子園に行っていると思います。阪神の新井さんの出身校です。僕は私立の広島工業大高校です。野球がやりたかったので、本当は広島商に行きたかったのですが、練習などが厳しいという話も聞いてて、受験しましたが…、勉強ができない面もあったので。そのときは強豪の広陵を知らなかったほどで…。


―工業科なのですか?高校の練習は厳しかったですか?

いや、普通科です。練習も普通と思います。公式戦のベンチには1年の秋に入りました。投手の中では球は速い方で、マックスは124キロぐらいですが、監督から期待されていました。でも、コントロールは悪くて試合には出られませんでした。


―高校での活躍は?

初回に四球を3つ出したり暴投したりで、信用の問題がありましたね。3年間公式戦で投げたのは、中継ぎで2試合のみです。しかも、春と秋の話で敗戦処理に近かったというか…、だから夏は全く投げていません。


―厳しい時代だったんですね。

3年夏の3か月前から本当にストライクが入らなくて、1回に1個か2個は必ず四球を出すくらいの感じだったので、エースでは投げられないなあと思っていました。最後の夏は1回戦で、1-2で負けました。


―その高校は強かったのですか?

練習試合ではコールドで勝った相手なのに…。公立では中の下くらいでしょうか。これに勝ったら如水館と試合ができる、強いチームと試合ができると勝つ気満々だったのですが、まさかの1回戦負けでした。


―野球をここでやめようとは思いませんでしたか?

野球は当たり前のように次も続けようと思っていました。…根拠はないけど、自信だけはありました。いつかプロになると。


―背番号は10ですか?

背番号は11でした。背番号10は2年生でした。


―この夏の広島の優勝校は?

広陵です。巨人の西村投手が2年でした。決勝を観に行ったのを思い出しました。



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『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.2

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.2


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―誰かライバルらしき人がいたのですか?

いいえ、高校から大学に行って野球を続けたのは1人か2人で、高校時代にライバルというような人はいませんでした。


―大学は京都の大学に入学されます。

大学は、高校を選ぶときと同じで行けるところに行ったという感じです。入れそうな大学へ。地元だと先輩がいるのでそこへは行きたくなくて、あまりいいイメージもなかったので。


―そのときの京都学園大の印象については?

そこそこ強い大学じゃないかなあと。一つ年上で二つ学年が上の梅原さん(金光大阪高―広島カープ―徳島インディゴソックス)が広島カープにドラフト3位で指名されるのですが、その前より「プロ注目」と大学野球の雑誌で何か見たのがきっかけじゃなかったですかね。どうだったかな(苦笑)。


―浪人していたのですか?

はい。福岡の大学を受験したのですが…落ちてしまって。予備校に行っていたわけではなくて中3のときに教えてもらっていた家庭教師に付いてもらいました。京都学園大は監督さんもよかったし、グラウンドもきれいで。何より京都はいいイメージがありました。


―失礼ですが、学園大では目立って活躍がなかったようなのですが。

亀岡に住んで、3年の春にはベンチ入りしましたが、3年の途中で退部しました。大学は卒業しました。


―確か宮内投手(大阪学院高―京学園大―新日鐵広畑)と同世代ぐらいなのでは?

宮内君は1つ年下だけど同級生でした。チームの中ではすごかったです。


―春のリーグ戦で佛教大に勝って、全日本大学野球選手権で神宮に行かれましたよね?

はい。でも、神宮では1回戦で名城大に1-4で負けました。清水投手(中日)がすごかったという記憶があります。確か13奪三振だったと思います。


―大学野球はあまり面白くなかったですか?

大学3年までベンチに入りたくなかったのです。


―詳しく教えてください。

ストレートを磨いて、3年から実践していこうという考えだったのです。今から考えれば無駄だったと思うのですが、体を作ってから勝負をしたかったという思いです。


―何か理由があったのですか?

練習が終わってからでも高槻でトレーニングしていました。とりあえずストレートを速くしたいという課題があって…。


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―どういうことですか?

高校3年の夏休みに鳥取のジムに行ったのですが、フォームを改造すると球が速くなったのです。


―鳥取というのは…、初動負荷の?

はい。初動負荷論の小山さんのジムです。小山さんに会って指導を受けたところ、すぐにストレートのMAXが10キロくらい速くなったのです。


―高3の夏は126キロだったということは、136キロになったのですか?

はい。1週間で10キロ速くなりました。


―何がポイントだったのですか?

ほとんど体重移動のやり方です。コツを掴んだら簡単でした。トレーニングというよりはフォームの改造で良くなったのですが、いいフォームを作るためにトレーニングがあります。鳥取のジムに行けば、絶対に球が速くなるとは言い切れませんが、プロの選手や多くの大学生、高校生が通っています。


―これまでに誰かプロの有名な選手に会ったことがあるのですか?

山本昌(中日)さんや岩瀬(中日)さんにあいさつしたくらいですが(笑)、藤井(今週日ハムから巨人へ)さんも見たことがあります。


―この高槻でわざわざトレーニングする理由はそれですね?

詳しくはわかりませんが、最初に小山さんが高槻市にマシンを提供したかアドバイスしたと聞いています。


―なるほど。それでそのトレーニングが日課のようになっていると。

トレーニングを積んでフォームを変えていけば、ストレートが速くなると思ったのですよね。だから大学では自分の思うよりも早くベンチに入っちゃうと自分の練習ができないし、ストライクを投げないといけないし、変に他のトレーニングをしたくなかったのですよ。フォームをどんどん変化させていきたかった時期でした。


―それこそ同級生で活躍し出した宮内投手に対するあせりとかなかったのですか?

特になかったですね。1、2回生のキャンプのときは、監督にわざと「ケガで投げられない」と言っていたくらいでした。


―ちょっと驚きです(苦笑)。

そうかもしれませんね。それで、試合で投げられるようになって、3年春にベンチに入ったのですが、公式戦の試合に寝坊して集合時間に2時間も遅刻してしまって外されてしまいました。


―それが辞めた原因につながるのですね?

…目標が違っていたのでしょうね。監督や先輩、周りの人と考え方も方向性も違っていました。自分の先行きやプロとかに関心があって、プロに行きたいから野球をやっていて、選手権に勝ちたいという気持ちではなく、冷めた自分がいましたね。練習も試合も面白くなかった。自分では集団行動が苦手で、個人種目の方が合っているとは思います。


―まあ、強いて言えばピッチャーは個人種目に感じないでもないですが。

明確には覚えていませんが、ベンチを外されて、そこから秋も全然投げさせてもらえなくなりました。3年秋のリーグが終わったくらいにもそれまでにも何回かそういう集団行動的なことを言われたことがあって…。


―それで退部することになるのですね。

夏くらいからファイアーバーズの話を聞いていたのでそっちに行こうかなと思いました。退部して、冬からファイアーバーズにお世話になることになりました。


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『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.3

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.3

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―京都ファイアーバーズがよかったのですか?

他はファイアーバーズしか知らなかったので。夏から野球部は辞めようかなと、ファイアーバーズに行こうかなと思っていて、秋に練習に行ったのです。野球部を辞めてから落ち込んではいたのですが、新しいチームに入れてよかったです。


―チームに誰か知り合いはいたのですか?

今年は神戸9クルーズにいた同い年の小野真悟です(11/19退団)。当時はファイアーバーズの1年目で、ここでトレーニングしていて知り合いになりました。こういうチームがあると聞いて、彼も「いいチーム」と言っていました。野球部にこのままいても試合にも出られないかもしれない。遅刻だけが理由ではないけど、それがきっかけで嫌われてしまったのかなと思わなくもないので…。


―でも、練習メニューに不安や不満があったのではないのですか?

練習メニューは監督や投手リーダーが考えて、それに従って練習する感じで、自由時間となれば自由時間で、個人で練習しました。


―考え方の問題もあったのでしょうかね?

…ただやればいいというのがちょっと合わなかったのかなと。どうやってやるのかが大事なんじゃないかなあ、とは思っていました。こなしてはいるけど、それだけしか考えていないようにも見えていました。色々と不満があったのは事実だけど、ただチームでうまくいかなかったのはそれは自分が悪いと思っています。


―でも、3年春にチームは佛教大の連覇記録を止めて優勝したわけですよね?

あの時は雰囲気や勢いで勝ったという感じもしますし…。チームが強いかどうかはやる気だけの問題ではないと自分は思っています。大学のときは一部の人間は上を目指しているのを感じましたが、それ以外の人は…。数人だけでした。


―野球部で仲の良かった人は?

あんまり人付き合いを得意としているわけではなかったので…。だからと言って変わり者扱いされていたわけでもないですが、今でも連絡をしたりするのは限られています。


―ファイアーバーズの河田投手も同じ大学でしたよね?

河田は、1年経ってから僕がチームに紹介しました。同学年で1つ年下ですけど。彼もベンチに入ったり入らなかったりで、自分と同じマイペースタイプですね。


―ファイアーバーズに来て変わりましたか?

V字に回復したと思います(笑)。来てよかったと思いました。自分と似ている人が多く環境が楽になりました。みんな上のレベルを目指していることがよかったです。今よりも居心地がよかった面もあります。その時は年上の人が多かったのですが、みんなで飲みに行ったりしても、技術的なことに加えて、社会人的なことなど色々な話が聞けました。酔っていても最終的には「野球」の話になるのがよかったです。大学ではそうならなかったので。


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―昨日、大学選抜とプロが対戦しましたね?印象に残ったことはありますか?

萩原(1年、関西学院大)君がよかったですよね。センター前のクリーンヒットもよかったし、ファウルの打ち方がいいです。スィングを見ても、すぐにプロに入って打てるんじゃないですか?4番でもいいと思ったのですが、下級生だから仕方ないのかなと。左バッターなので左ピッチャーが打てるかが気になります。


―ピッチャーはどうでしたか?

ピッチャーはみんなよかったです、佑ちゃん以外は。テレビで観ていたので最後3人は中継が終わって観られなかったのですが、8人はよかったのではないですか?


―関西独立リーグで気になる選手を教えてください。

自分の中ではですが、奥脇(神戸)、川咲(明石)、パク・オンヒョ(紀州)の左3人ですね。


―奥脇さんは元ニチダイですね。対戦はあったのですか?

社会人のときは記憶にない(苦笑)のですが、相性が悪いのか、今はどこに投げても打たれる気がします(苦笑)。川咲、パクはどちらもイメージとしていいバッターです。特に意識すれば抑えられるとは思うんですけど。


―ピッチャーではどうですか?

西川(神戸)、徳田(紀州)ですね。


―社会人野球とどう違いますか?

日本新薬とかの方が打撃レベルが高いと思います。そんなに大差はないのかもしれませんが、経験と守備力では劣ると。社会人はなかなかミスをしてくれません。日本選手権を観ていたら、レベルが高いなあと思います。試合展開では1個のミスが勝ち負けにつながります。


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『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.4

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.4


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―ファイアーバーズではやはり竹内監督の影響が大きかったですか?

そうですね。あとはシダックスから来た山本さん、ジョーさんと呼んでいたのですが(笑)。それとOBC高島から来た、東海大仰星高出身の筧さん、監督だった榊原さんですね。丸2年の在籍でしたが、1年目はそうでした。


―チームに入って学んだことは?

それまでは自分の思った通りのストレートが投げられれば抑えられると思っていました。今までだったら、痛打されてももっといいストレートを投げればいいと思っていました。考えが甘かったし、失敗しても次頑張ろうと、それまではそういう考え方でした。調子が悪かったら打たれてもしょうがないという部分がありましたね。


―それがどう変わりましたか?

チームのことを考えた時、投手として投げさせてもらっているという責任がある。調子が悪い、肩や肘が痛いというのは、試合になったら関係ない。反省することは大事だけど、言い訳は作ってはいけないと思いました。そう思ってから色々と勉強し始めました。そういう風になるように教えてもらっていたと思います。


―技術的な面ではどうですか?

練習では試合のことを考えてやっていました。竹内さんとマンツーマンでけん制を教えてもらったり、大学ではピッチャーノックはほとんどなかったですが、ファイアーバーズではしょっちゅうやりました。うまい見本となってくれて教えてくれたりしました。ピッチャー同士でエラーが一番多い人がコーヒーを奢るゲームをして、気が抜けなかったです(笑)。


―2年目はチームのエースになられましたね?印象的な試合は?

エースとして活躍できたかどうかは疑問ですが、去年の秋の日本選手権予選でライバルであるRitsベースボールクラブ(現ミキハウスREDS)戦でいいピッチングができました。去年は1勝1敗だったと思うのですが、4点取られましたが、完投しました。5-4で勝ちたいチームに勝てました。人生の中で嬉しかったし、印象に残りました。


―関西独立リーグのトライアウトもその頃あったのですよね?

2日後に広島カープの入団テストがあって、その試合前は100球を目途に交代だったのですが、「交代するか?」と聞かれて「行きます」と言いました。テストはどうでもいいと思ったくらいで、勝ちたいという気持ちが強くなっていました。結局140球くらい投げて、テストはダメでした(苦笑)。肩も張っていたけど、一応受けに行くと言いました。市民球場もいいですが、マツダスタジアムは嬉しかったです(笑)。


―もしかしたら、その広島の入団テストでは、当時京都国際高の申成鉉(シン・ソンヒョン)君が受けて合格したのでは?

そうですね。投手なのでよく覚えてないですが。投手だけで20~30人くらい受けてましたので。


―プロテストは初めてですか?

いえ、その前年も受けましたし、今年も9月に受けました。高3のときも冷やかし的に受けて、今までで計4回受けました。誰でも受けられますし、その日に合否が発表されます。


―どんな内容なのですか?

遠投(90メートル以上)と50メートル走(6.5秒以内)、あとピッチングですね。ストレートと変化球です。記録は発表されません。


―他の球団を受けたことありますか?

今年は全3球団受けました(笑)。広島と横浜、巨人です。チームメイトの洪と横川と一緒に関東まで車で行きました。9月のシルバーウィークの時ですが、どちらも50人ずつくらい受けてました。そのときは事故による渋滞があって、14時間半もかかりました。サービスエリアでキャッチボールをしたりして(笑)。洪は日本語は大丈夫なんですが、免許を持っていないし、横川も運転できないので僕一人で運転しました。3人とも不合格でしたけども(笑)。

―入団テストの日程をどうやって知るのですか?

8月頃、各球団のHPに載ります。


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―そう言えば、関西独立リーグではドラフト1位で大阪に指名されましたよね?

テストを受けた感じで受かったとは思いましたが、まさか1位とは思いませんでした。真っ直ぐは自信があったのですが、コントロールと変化球は自分よりもいい投手がいると思いましたし。


―元巨人の石毛ピッチングコーチに何か言われたりしましたか?

そんなに言われたことがありません。あまり言わない人ですし、要所だけ言ってくれて、試合後のミーティングで、ですね。シーズン中ということもあって言われなかったのかもしれませんが。聞くこともそんなにはなかったです。


―ところで、毎日放送の「せやねん!」という番組に神戸以外の全チームが出演しているのをたまたま観たのですが、朝日放送の「ナイトスクープ」にもチームで出演なさったのですか?

神戸は明石と試合があってテレビに出られなかったような気がするのですが。「ナイトスクープ」は1月か2月に小学生の夢が主審で、試合をやってあげよう、という企画でした。


―ローテーション投手はベンチに入らなくていい時があるのですか?

いえ、全試合ベンチ入りしました。記録を取ったりします。


―話が変わりますが、アルバイトはされたことはありますか?

ファイアーバーズの時にスポーツジムや居酒屋で働いたことはあります。居酒屋は朝5時まであった日もあって2ヶ月ぐらいで辞めましたけど。ジムは練習のない日にトレーニングできるので。


―初動負荷のトレーニングができるのは、関西では高槻と難波の2ヶ所だけなのですか?効果はどうなのですか?

そうだと思います。高槻よりも難波の方が大きいジムです。動きやすくなるし、疲労もたまりにくいし、力も入りやすいです。明確なものはないですが、全体的によくなっているし、徐々に向上していると思います。鳥取のメニューを参考にして、野球のために通っています。最初が悪すぎたので急によくなった感じはしますが、みんなにもすすめたいくらいです。他の人がどんなことをしているのか知りませんが、自分のやるべきことをやるだけなので、シーズン中でも週に4~5回、3時間はトレーニングします。今はオフなので週7回です。


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『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.5

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.5


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―ピッチングで走ることは重要ですか?

シーズン中は週1回ですね。ポール走を15~20本流して走ります。今はあまり走っていません。走ればいいとは思っていないからです。持論ではありますが、走らなくても投げられます。走ったらいいというのをちゃんと説明できる人がいないです。みんなが思っているほど走らなくていいし、それよりもトレーニングなどやることがあります。ルームランナーはいつもやりません。


―シャドーピッチングはどうですか?

大学のときはやりましたが、今はやらないですね。フォームを固めるコツを掴むためにやっていましたが、こうしたら腕を振れるというのがわかってきました。でも、今は腕を振る必要がなくなったというか、体重移動のコツでわかるようになりました。だから、解決したのでむやみに腕を振らないようにしています。肩は消耗品だという考えです。投げ込みはほとんどしなくなって、やる時もありますが、150球くらいですね。


―ファイアーバーズの時から変わったことは?

今のチームトレーナーは19歳なのですが、接骨院によく行くようになりましたね。他にもマッサージや鍼にも行きます。1ヶ所だけじゃなくて色々な所に行くようになりました。先生ごとに理論や見方が違って、行き詰った時に1人だけの先生に頼っても脱出できないので。


―本を読んだりして勉強するのですか?

本は読まずに聞くばっかりです。トレーナーや先生など色んな人の話を聞きます。


―球種は何がありますか?

スライダー、カーブ、フォーク、シュート系ですね。左も右も投げます。


―関西独立リーグでプレーするメリットを教えてください。

試合が多いということと、経験が積めるということですね。今年の成績(9勝4敗、防3.06)には満足していないですが。


―何がよくなかったですか?

週1回の登板の調整法が後半になってできるようになりました。それと、ピッチングスタイルです。段々と形になってきましたが、真っ直ぐと変化球の組み合わせがピッチングになっていなかったです。試合中に自分と戦ってしまうところがあって、ストライクを投げないといけないとか、悪いイメージのことは考えないほうがいいです。あとは経験と自信がつけばそういうのもなくなると思います。


―大阪は優勝でしたね。おめでとうございます。ビールかけの映像をテレビで観ました。

ビールかけが一番楽しかったです!!ビールは住之江商店街からの差し入れでした。瓶ビールは割れて危なかったですが、取りに行ったらまだ半分も残ってたり、プールに全員で飛び込んだりしていい思い出になりました。


―野球以外での活動も多かったのでは?

そうですね。試合の案内ビラを配ったりしましたが、人通りの多い梅田や天王寺ではなかなか受け取ってもらえなかったりしました。本拠地の住之江では人が多くてよく応援してもらいました。優勝がかかっている時とか。


―プロということでサインはたくさんしましたか?

自分では50枚くらいのような…(苦笑)。洪君がサインが多かったです。サインの練習もしましたが、みんなうまくてもっとやっておけばよかったと思いました(笑)。


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―ファイアーバーズ出身の選手との対戦はどうでしたか?

近藤(明石)や小野(神戸)との対戦はやりやすかったです。山門(大阪)は同じチームですし。


―正直言って、ファイアーバーズを出にくくなかったのですか?

結果4人も抜けましたが、監督も「トライアウト受けるの誰?」という感じだったので、引け目はなかったです。前年も受けていたので背中を押してもらったし、「行け!」と言われました。誰も養成所とは思っていませんが、もっと、ちょっとでも上のレベルに行くためのチームとして、スタッフの中にそう考えてくれる人たちがいるのがよかったのです。


―プロを意識しているということですね?

高1のときも広陵を知らなかったくらいで、甲子園にも興味がなくて。最近、3年前くらいから高校野球を観るようになったくらいですし、甲子園や神宮よりもプロに行くためにと。観るならプロ野球でしたから。勝ちたいとは思いますけど。


―難しかったことはありますか?

これは言っていいのか、…募金活動は難しかったです。もちろん好意的に捉えていますし、ファンあってのことで応援もしてもらいましたが、結果的には苦しくあまり集まらなかったです。それに自主トレやトレーニングしたい時にできなかったというのもありました。


―シーズンオフですが、これからどうされますか?

今が正月みたいなもので、12月から体を作りたいと思っています。1月は鳥取に行きます。


―トレーニングにかかる費用は?

学生だったときは、1日に1万2千円から1万5千円だったのですが、今は社会人料金で1日に1万8千円くらいです。4日ぐらいを予定しています。それだけの価値があります。


―その後はアメリカに行くのですよね?

はい。ウィンターリーグに参加しようと思っています。より上のレベルでできるチャンスがあると飛びつくべきだと。まだどのプランで行くか決まっていません。そういうプランがある会社に頼むか、個人で行くかどうかですね。


―そう言えば、滋賀大から横浜に育成選手で入団した関口選手(今週日ハムにトレード)は、アメリカに渡って短期間でたくさんの試合に出場したりして腕を磨いたそうですね。

実はここでよく会う人が、関口選手と同じ横浜のプロテストを受けて最後の2人に残ったのですが、その人は3打数2安打だったのに対し、関口選手は3三振だったのに受かったと嘆いていました(苦笑)。要は若さと才能があると。走ったら速いし、遠投や飛距離もすごいということで。


―ウィンターリーグで結果がついてきたら、アメリカに行くこともありですか?

日本に越したことはありませんが、行くのだったらメジャーでマイナー契約でも…。


―チャレンジ精神が旺盛ですね。

根拠のない自信があるからです。いつか他の人も超えられない選手になりたい。今まで迷うことはあっても挫折はしていないし、こんなのは絶対に無理と思ったことがないんです。NPBやメジャーで投げたいという気持ちだけです。才能がないと思ったらやめた方がいいです。


―今取り組んでいることは?

体重を増やしています。ちょっとずつ増えました。体も大きくなって、中学3年間で20センチも身長が伸びましたし、高校時代は68キロでしたから今は10キロも違います。


―京セラドームで行われた関西独立リーグの開幕戦で、大阪の先発投手を務めましたね。緊張しましたか?、それと、吉田えりちゃんはどうでしたか?

その質問ですね(苦笑)。…言うことないですね(笑)。17歳にしてはすごいし、もっとコントロールは悪かったです。ナックルは揺れているので、ストライクが入ればなかなか打てないと言っていました。開幕戦は特に緊張しませんでした。それよりも京セラドームのマウンドの高さにびっくりしました。


―関西独立リーグと社会人野球の最大の違いは?

お客さんがいることですね。


―今後の豊富を一言お願いします。

そうですね。…もしかしたらアメリカに行けるのであれば、日本には戻らずやっていきたいという気持ちも思っています。今は契約が切れている状態なので保留している状況というか、保障されているわけではないので、もし大阪で枠が空いていたら…とか四国に行った方がチャンスがあるのかなという気もしますし、…絶対にアメリカというわけでもなく、あくまで今から考えるということですけれども(笑)。


―そうですね(笑)。…もし行けるとしたら、2月からのアメリカでのウィンターリーグ、頑張ってください!

これから決めることになりますが、アメリカに行く目標を持ちつつ、話がダメになれば3月でも4月でも戻ってくることになると思います。今後は未定ですが、一旦広島に帰ります。どうなるかまだ自分でも考えてみたいと思います。


おわり




※『唯我独尊』とは、「自分一人が特別にすぐれているとうぬぼれること。ひとりよがり」という意味ではなく、「この世の一人ひとりが主人公。」といった意味で捉えています。

※土肥投手がアメリカに行くかもしれないという情報を聞き、取材をさせていただきました。急なお願いや答えにくい質問にも応じて下さって大変感謝しております。来年はどこに所属されるかわかりませんが、みなさんの応援もよろしくお願いします。




<関西独立リーグ表彰>


【投手部門】

★ 最高殊勲投手  大阪 岸  

★ 最高防御率   大阪 岸  1.43

★ 最多勝     明石 百合  13

★ 最多セーブ   大阪 遠上  21

★ 最多奪三振   大阪 岸   146


【打者部門】

★ 最高殊勲選手   紀州 朴言孝(パク・オンヒョ) 

★ 首位打者     紀州 朴言孝 .333

★ 本塁打王     大阪 硯野   6

★ 打点王      神戸 若林   41

★ 盗塁王      大阪 山門   30




(参考HP)

株式会社ワールドウィングエンタープライズ

動作改善トレーニングのCLUB ONE (クラブワン)

申 成鉉(シン・ソンヒョン)

関口雄大

大阪ゴールドビリケーンズ

関西独立リーグ

ジャパン・フューチャーベースボールリーグ

『唯我独尊』~佛教大・大野雄大投手 vol.1

『唯我独尊』~佛教大・大野雄大投手 vol.1

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佛教大・大野雄大投手(3年) 1988年(昭和63年)9月26日京都市生まれ

左投げ左打ち 182cm73kg

背筋力200キロ 握力左右60キロ 遠投115メートル 50メートル 6秒2

 小学5年から修道スポーツ少年団で野球を始める。藤森中では3年夏に京都市大会で優勝。京都外大西高では2年夏の甲子園で準優勝(登板なし)を経験する。3年春の選抜大会では、先発としてマウンドに上がった。佛教大入学後、春季リーグ開幕試合にリリーフとして登板。3年からエースに。リーグMVP2回(最優秀投手1回・ベストナイン2回)。11月初めに行われた関西地区大学野球選手権大会で優勝し、MVPを獲得する活躍を見せた。明日14日開幕の明治神宮大会に出場。来秋のドラフト候補の一人として注目を浴びている。


※インタビューは8月下旬に行いました。



―インタビュー、よろしくお願いします。いきなりですが、高校時代を観戦していてバッティングもいいと思っていたのですが、京滋大学野球リーグはDH制で打席に立つことがありませんね。

こちらこそ、よろしくお願いします。バッティングは好きです。秋の関西選手権に出場すれば打席に立つことになりますので楽しみにしています。


―背番号が19番ですね。思い入れとかありますか?

特にはありません。入部当初は13番で、2年春にこの番号が空きましたので(投手として)ええ番号やなあと思ってもらいました。


―小学生のときからピッチャーだったのですか?

学童野球チームの中では既に投手は決まっていましたし、左利きということでライトかファーストを守っていました。冬の寒い練習の時に、ドッチボールをすることがあって、投げる球が速いということから監督に投手の指名をされました。けれど、思い通りにストライクが入らなくて四球ばかりでした。少年野球の監督は熱血漢タイプで、「思いっきり(力いっぱい)投げろ!」とよくベンチからマウンドまで声が飛んで来ました。「腕を振れ!」ということだったんですけど、どうもノーコンから脱出できませんでした。監督は、すごく恐い存在でしたけど、野球を基本から教えてくれました。それまでのどの遊びよりも楽しくて、のめり込むほど野球を好きにさせてくれた人でもあります。


―今は四球で自滅するようには見えませんね。

ストライクが入るようになり始めたのは、中学2年で自主トレをするようになってからです。毎晩、野球部の仲間3人で、素振りやランニングをしていました。始めは遊びの感覚でやっていたと思いますが、たまたま同じように自主練で走っている先輩の姿を数回見かけるようになり、自然と取り組む気持ちも変わって行きました。一緒に自主トレが出来る仲間がいたこと、真剣に取り組む先輩がいてくれたことで自分も成長出来たと思います。


―中学では府大会で優勝されてますね。

中2の夏は京都市大会、京都府大会も共に優勝でした。メンバーに入っていましたが登板はなかったです。中3の夏はエースで市大会に優勝しました。準優勝チームの西賀茂中と一緒に府大会に進みましたが、藤森中は1回戦で峰山中に負け、西賀茂中は優勝しました。西賀茂中のエースは後に西高でチームメイトとなる林一茂(大阪ゴールドビリケーンズ)です。


―藤森中は今でも強いですね。関西学院大の萩原選手(1年、大阪桐蔭高)ともプレーしたことがあるのですか?

この夏も市大会でベスト4だったそうです。当時の監督は、今でもまだ指導されています。体育の先生で元々は水泳の指導をされていましたが、野球の知識は豊富でした。萩原君は小中共に同じ学校でしたが、一緒にやったことはないです。彼は硬式のチームだったと思います。


―中学のとき憧れていた投手はいますか?

平安の服部さんです。中3のときダルビッシュとの対戦を観て憧れました。その後、たまたま河原町で見かけたことがあって、「有名人!」と思うせいかオーラを感じました。


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―中学で実績を残して、高校は京都外大西に入学されましたね。

公立で実力のある「鳥羽高に行きたい」と顧問の先生に志願してセレを受けました。それと外大西の三原監督が中3の春ぐらいから僕を観ていてくれたそうで、推薦の話をいただきました。でも、当時は高校野球のことを何も知らず、正直、“京都外大西”と言われても自分の中では、ピンときませんでした。顧問の安江先生から三原監督の今までの実績や功績を聞き「すごい人やから」と勧めて下さり、お世話になることにしました。一緒の西高へ行くことになった同級生の吉田は、一年の秋からレギュラーで3番を打って活躍していました。3年では4番で主将でした。


―軟式から硬式へ。今まで故障したことはないのですか?

中3の夏は連投が続き、引退した頃に肘を痛めました。それでも手術する必要もなくて引退から高校入学までのオフ期間で自然治癒しました。軟式から硬式になっても僕の場合は特に問題はありませんでした。引退してから硬式球を投げて徐々に慣らしたことが良かったのかもしれません。


―京都外大西は毎年投手陣がすごいという印象です。練習では相当投げるのですか?

高校では毎日ピッチングで100球から150球は投げていました。登板する試合3日前だと100球、2日前だと50球、前日は30球前後くらい投げます。投手は1学年10人弱でした。


―試合で投げ始めたのは?硬式出身者との違いを感じましたか?

1年秋の練習試合からです。硬式出身で同学年は北岡(立命大)や平林(同志社大)、中川(関大)が南山城ドラゴンズで、最初からうまいと感じました。他にもセンスのある選手が多かったけど、あんまり気にしてなかったです。


―軟式出身は?

主力では西賀茂中出身の林(大阪ゴールドビリケーンズ)や主将だった西田ですね。藤森中は4つの小学校から生徒が集まるマンモス中学校だったので、グラウンドも広く、顧問の先生が監督以外にも5人もいて指導も充分に受けられましたし、前にも触れた通り、先輩や仲間にも恵まれ練習する環境が整っていて、総合的にとても良かったと思います。


―藤森中は強いですが、実力者がいたのですか?

特に飛び抜けた実力者はいませんでしたが、チーム力はあったと思います。中学での一番の思い出として残っているのは、3年の夏の初戦の試合。その試合は(ピッチングが)大荒れで大量失点し、最終回を迎えたところで、1-7と大差で負けていました。先攻で2死になった時、「あと1死...これで中学野球は引退か」と頭をよぎりました。でも、そこからバッターがねばり8点取って逆転したんです。逆転した裏に1点返されましたけれど、逃げ切って奇跡的(神がかり的)に勝つことが出来ました。その後もチーム力でトーナメント戦を勝ち進み、初戦敗退しかけたチームが優勝まで出来たことは今でも心に残る凄い夏の思い出です。ちなみに初戦の高野中には、西山(京都成章―立命大)や、ベンチには1つ下の西村(京都外大西―同志社大)がいました。


つづくvol.2へ

『唯我独尊』~佛教大・大野雄大投手 vol.2

『唯我独尊』~佛教大・大野雄大投手 vol.2

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―それで、話は戻って高校時代に。いよいよ投げるようになりましたね。背番号17番でした。

公式戦は、高校2年の春が初登板でした。夏は2回戦の園部戦、4回戦の日吉ヶ丘戦に先発しました。


―その夏の決勝で乙訓に勝って京都大会を制し、全国大会では駒大苫小牧に負けましたが準優勝しました。同学年の北岡、後輩の本田(明石レッドソルジャーズ)両投手の活躍の中、甲子園では登板がありませんでした。

全国大会で登板させる信頼感を持てていなかったと思います。三原先生は実力のある選手をどんどん使っていきますから。


―同じ2年の坂本投手は甲子園で先発しました。北岡君、本田君は甲子園のスターに。

甲子園で自分も「投げたい」という思いはもちろんありました。1つ下の本田が注目されて「うらやましいなあ」とも思いましたが、自分の実力がないのだから「仕方ない」と自分の中で考えていました。けれど、「秋はやってやろう」と、その甲子園のベンチで心に誓っていました。


―秋に三原監督が勇退し上羽監督に代わります。そして、甲子園での疲れの残る北岡君、本田君に代わり京都大会ではもはやエース級の活躍でした。

秋の大会では、投げていく過程で自信を積むことが出来ました。投げないと自信がつかないのだと気付きました。結果も自然と残るようになっていました。


―決勝の平安戦では先発しました。まだ失点のないところで降板しましたが、北岡君、本田君が打たれてしまいました。二人を出せという球場のムードもありました。準優勝でした。

継投があの頃の西高の通常策になっていましたし、二人の実力は認めるところで、その二人が打たれるのは仕方がないことです。


―そして、近畿大会に進出しましたが、全く登板がありませんでしたね。

投げられなかったことが印象として残っています。投げたかったし、使ってほしいとは思いました。特に智弁和歌山戦には。


―智弁和歌山には負けましたが、近畿大会でベスト4に残りセンバツ出場が決まります。それでセンバツの1回戦、東海大相模戦で先発します。

やっと重要な試合で投げられる「よし!」と思いましたが、すごく緊張もしました。負けたら、打たれたらって・・・嬉しいのが半分、不安と緊張が半分でした。


―先発したのでもっと投げると思っていましたが、それが東海大相模戦でも早い段階で降板することになりました。

それは監督の采配(策)なので仕方ない部分です。確かにもっと投げたかったけれど、続投して打たれたかもしれなかったですから。ただ、僕を応援してくれる多くの人から「代わるのが早かったんじゃない?」と言ってもらいましたので自信に繋がりました。


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―3年春の大会です。準決勝の京都成章戦に敗れ、3位決定戦の立命館戦に先発し、15奪三振でした。その後、京都選抜チームの背番号1に選ばれ、米国チームと対戦します。

春の京都大会では北岡に負けないくらいのピッチングができました。それまで、西高では「エースは北岡」という雰囲気があり(事実、北岡には勝てない部分があり)エースにはなれませんでしたが、日米親善大会の京都選抜チームでは1番をもらうことが出来て嬉しかったです。1番、一度は付けてみたかったから。


―夏の大会では背番号10でしたね。リリーフした準々決勝の京都すばる戦のピッチングは素晴らしかったです。

エースは北岡ですので、1番はあきらめていました。準々決勝までに1度先発して、京都すばる戦はリリーフで登板しましたが、試合展開で登板することになっただけで、トーナメント表から「平安戦いくぞ」と言われていました。でも、平安は4回戦で成美に負けて、それで準決勝の成美戦に先発しました。


―すばる戦で何かを乗り越えた、一皮向けた印象があります。社会人の東宇治クラブの選手の中に、そのときのすばるのメンバーに入っていた選手がいて、当時のボールの印象について最近聞いてみましたが、「すごかった」と言っていました。

それは自分ではわかりませんが、とにかく勝ちたい、準々決勝の、「このままでは終われん」という意識でした。


―最後センター前の当たりを弾いてなかったら…。

グラブに当たって幸いショートゴロになりました。当たっていなかったら同点でしたね。

―その試合では、序盤にリードを許しましたが、終盤に同じ中学の吉田君が逆転の走者一掃を打ちましたね。

あの場面で吉田に回ってきたのは何かあると感じました。2人に推薦が来て、同じ高校でプレーできたので。中学の時は二人だけで遊ぶということはなかったけど、野球部の仲間の中にはいつも一緒にいましたから。


―そして、準決勝の成美戦に先発。決勝の3ランホームランを打たれてしまいました。

あれは、ウエストボールがど真ん中にいってしまいました。西高のピッチングコーチとしては真鍋さん(部長)に見てもらっていました。でも、試合後、あの3ランのことを言われると思っていたら、打たれる前の過程のことを言われました。


―詳しく教えてください。

3ランを打たれるその前にセンター前ヒットがあったのですが、あの回は、1人目が四球で、2人目が2ストライクと追い込んでいるのに、けん制球を多投していたんです。それで真鍋さんに「けん制いらんやろ」と。それがバッターに余裕を与えて、2人目にセンター前に運ばれた。だから、そのセンター前ヒットのことを言われました。そして、次打者カウント1-0からあのコースにいってしまいホームランを打たれました。野球はそういうことがつながってると思いました。


―結果、成美に2-4で敗れました。3連覇がなくなり、今まで一緒にやってきた北岡君や本田君に対してはどういう気持ちでしたか?失礼なことを聞いてすみません。

北岡や本田には悪いという気持ちはなかったです。最後の夏は「自分が甲子園に連れて行く!」と思っていました。けれど、準決勝で負けて、すごく悔しかったです。でも最後は、チームのみんなと笑い合えたし、やりきった感がありました。それに、これからは毎日クラブないし自由が待っているって、ね。でもね、最近思うんですが、高校球児は甲子園へは行ったほうがいいと。


つづくvol.3へ

『唯我独尊』~佛教大・大野雄大投手 vol.3

『唯我独尊』~佛教大・大野雄大投手 vol.3

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―それは、なぜですか?北岡君や本田君はモテモテになったとか?(笑)

人生が変わります。なんやかんや言っても、球児はみんなあれを目指してやっているし、出場すれば、同じ野球人に認めてもらえるということです。大学でも野球を続けていてそれを肌で感じることが多くなりました。北岡や本田が(写真撮られたりして)モテるのは、それは仕方ないです(笑)。


―失礼しました(笑)。外大西は昨年も今年の夏も成美戦で痛いところでホームランが出ましたね。

僕も観に行っていたのですが、試合終了後、挨拶に行ったら上羽監督に「お前からホームランを打たれて負けている」と言われました(笑)。


―それにしても、外大西の投手陣は素晴らしいですね。いっぱい取ってくるとか言われたりしているようですが、どうですか?育つ秘訣とかありますか?

他のチームと比べても、西高は京都人と枚方ぐらいまでの範囲で特別に地方から集めているということはないです。投手陣は自前で鍛えさせられます。


―西高といえば、打撃力というよりも守備や機動力ですね。

主に守備力のチームという点で投手がしっかりしてくるのかもしれません。


―やっと大学の話です。ここまで長くてすみません(苦笑)。佛大に入ったきっかけは何ですか?

特にどこの大学に行きたいという強い希望はなかったのですが、関西六大学リーグ連盟所属ということと、学舎が家の目の前で通学が楽ということで龍谷大学がいいかなぁと考えていたことがあります。上羽監督や真鍋部長からは佛教大学を強く勧められました。


―社会人は考えませんでしたか?

「社会人になって通用すると思えない」と言われて。「選手を大事に使ってくれるのは佛大」とも言われました。


―佛大に入った当時はどうでしたか?

1年春からベンチ入りさせてもらいました。当時は藤原監督でしたが、上羽監督や真鍋部長がなぜ佛大を勧めてくれたのか理由がわかりました。大事にされました。1年の春の開幕試合、最終イニングだけですが登板させてもらいました。入学してすぐの開幕試合から登板させてもらえることは大変珍しいと思いますので。練習量は高校の方が多かったです。大学は自主練習が多く、人数も減りました。


―高卒でプロ入りする話もあったのですか?

「あっても『本人のために大学に行かせる』という返事をしていた」と言われます。当時は3球団が夏の前に練習場まで観に来てくれました。実は今日もスカウトの一人が来ていました。その人は3年春の3位決定戦(立命館戦)での15奪三振を観てくれたそうです。本当は平安と京都成章の決勝がお目当てだったそうですが。


―大野投手と言えば、その独特のピッチングフォームですね。観ていて故障しないかなとか直さないのかなとか思ったりします。

今までにも元ピッチャーの人に指導を受けてきたけれど、自分の投げたいフォームで投げています。「そんなフォームでよく投げられるなあ」と言われたりしますが、故障せずに来られたのは幸いです。


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―大変失礼な質問ですが、今甲子園で活躍中の花巻東の菊池君とか観ていてどうですか?

すごいピッチャーだと思います。プロに行くために何をしないとあかんのか知っていると思います。


―今年の高校球児は140キロ後半とか普通に投げますね。

本当ですね。びっくりします。僕よりも天性がある選手に対しては、それはそれで一つの個性と捉え、あえて「追い越さなければ」とは思わないですね。でも、同い年で騒がれているハンカチ王子の斎藤君は、僕は抜けるし抜きたいと思っています。


―他にできれば同い年で、意識している有名な選手か左ピッチャーはいますか?

目標としていて対戦したいのは東洋大の乾投手ですね。今回日本代表にも選ばれていますが、勝ちたいです。佛大の1つ上の先輩が兵庫県出身で、乾投手とは中学で同じボーイズに所属していたらしく、「お前も変わらんから自信持て」と言ってくれました。向こうは東都のベストナイン(08年春、最優秀投手&ベストナイン)ですけど(笑)。ストレートのMAXでは1キロ勝っています。


―今日に備えて、全日本大学野球選手権の中京大戦のビデオを昨日観てきました。見事な5安打完封でしたが、けん制球が少ないのと、2ナッシングから勝負に行き過ぎるかなと思いました。

さっきも言ったように成美戦のあの頃からけん制はあまりしなくなりました。2ナッシングからは年々勝負にいけるようになりました。確かにマニュアルでは2-0からは1球外すのですが、リーグ戦ではどんどん攻めていこうと思っています。


―今のストレートのMAXは147キロですか?どうやって速くなりましたか?

高校時代はMAX140キロだったので今は7キロアップしました。高校時代の体重が66キロで今は7キロアップしたから、そのせいもあるかと思います。不思議と比例しています。


―何かこだわりとか験担ぎとかありますか?

ええと……試合の朝にシャワーを浴びることが習慣になっています。それと…試合の朝にコーヒーゼリーを食べることですね。それは高校2年の秋からです。


―それは、……もしかして冷蔵庫にストックしてあるのですか?

いいえ、その日の朝にコンビニに買いに行きます。メーカーも決まっているんですが、たまにないコンビニがあるんですよ。そのときは不安になります。そういうときは他のデザートにします(笑)。


―お時間取らせてしまってどうもありがとうございました。そう言えば、5リーグオールスターの時に言っていた収得したばかりのフォークはあれから投げましたか?

フォークは温存です。東洋大の乾投手もまっすぐとスライダーだけしか投げないらしいのです。本当はチェンジアップがあるそうなんですが。先輩から「大学生ぐらいはそれで抑えろ」と言われていました。それで、自分もまっすぐとスライダーだけで中京大打線を抑えられたことは自信になりました。今は片思いですが、ライバル(目標)を持つことは励みになります。僕もライバル視してもらえるように頑張ります。今日はありがとうございました。今後とも応援よろしくお願いいたします。


おわり



※『唯我独尊』とは、「自分一人が特別にすぐれているとうぬぼれること。ひとりよがり」という意味ではなく、「この世の一人ひとりが主人公。」といった意味で捉えています。

※あれから3か月。大野投手のストレートのMAXは151キロをマーク。その上、今季与えた四球はたったの2つとコントロールも安定し、成長を遂げています。明日14日開幕の明治神宮大会での活躍が期待されます。佛教大は初戦で創価大と九州産業大の勝者と大会3日目に対戦します。




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(参考HP)

佛教大学硬式野球部硬式HP

日本学生野球協会:明治神宮大会

『唯我独尊』~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.1

『唯我独尊』 ~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.1

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京都ファイアーバーズ・山上直輝投手

1983年7月29日生まれ(26歳) 178cm 75kg 左投げ左打ち

京都府舞鶴市出身 高岡第一高―高岡法科大―富山ベースボールクラブ


 第72回センバツで甲子園に初出場する。同学年に2001年ドラフトで8巡目指名された高橋聡文(中日)投手がいる。(ちなみに第72回センバツでは京都勢は鳥羽高がベスト4へ進出。東海大相模高が優勝、智弁和歌山高が準優勝だった。)


―まず、チームに入団した経緯をお聞かせください。

チームは今4年目なんですが、3年前の秋にトライアウトを受けました。峰山で行われて、榊原さん(前監督)にその日のうちに合格を伝えられました。3人の応募の中で3人が合格しましたけど(笑)。


―どんなテストだったのですか?

ブルペンでピッチングをしただけなのですが、竹内さん(現監督)に「たぶん、合格ですよ。1球だけすごいスライダーがありました」と言われました。


―竹内さんは今は監督ですね。同い年なんですね?どうですか?

むしろやりやすいです。でも、野球の時は敬語で話します。それ以外は友達として接していて、たまに飲みに行ったりもします。


―竹内監督は近江高の出身で先発投手として活躍されました。甲子園では準優勝。それで西武ライオンズに入団されました。

もちろん、知っています。甲子園のときはテレビで観ていました。(ピッチャーの)3人はすごいなあ、と。特に左の島脇投手の印象が強いです。


―元プロ野球選手の竹内監督から学ぶことは多いですよね。

そうですね。今までは野球を深く知らなかったと。ただやっていただけで、良かった、悪かっただけしか思えなかったですね。ファイアーバーズに来て、より野球は深いし、面白いと知りました。そういう面で監督に感謝しています。野球に関しては聞く一方で、次につながるアドバイスをもらっているので、日々成長している気がします。チームメイトにも考え方とか色々聞けて良かったです。


―野球を始められたきっかけは?

友達に誘われてスポーツ少年団に入りました。少年野球ではエースでした。


―中学時代は、福知山成美の長岡投手と同じボーイズの舞鶴ベースボールクラブのご出身ですね。

それが長岡君のことは全然覚えてないんですよ。練習に顔を出してピッチャーも何人か見たはずなのに(苦笑)。先輩では阪神の杉山投手もそうです。僕とは入れ替わりでした。そのときは投手ではなかったそうです。ボーイズは市内では舞鶴ベースボールクラブだけしかないです。中学のクラブは陸上部でした。駅伝のときだけの活動でしたが。(笑)


―舞鶴ベースボールクラブでの実績などについて教えてください。また京都のボーイズではどこが強かったですか?

特にこれといってないですね。そう言えば、1つ上の内海さん(敦賀気比高―東京ガス―巨人)や同い年の今江(PL学園高―ロッテ)のいた京都田辺と府大会決勝で対戦したことがあります。負けましたけど、守備固めでファーストを守ったのは覚えています。当時の京都田辺は別格でした。


―エースだったのですか?

エースは萩野(若狭高―富山大―福井ミリオンドリームス)で、次が高橋(高岡第一高―中日)で僕は3番手でした。左が3人でした(笑)。一つ下では横山(福知山成美―近鉄―オリックス)がキャッチャーをやってました。横山はよく打つし体もでかくて、肩も強くて、3年生の中に溶け込んでいました。


―ずっとピッチャーというわけでもないのですか?

小中はファーストや外野もやっていましたが、主に控えの投手でしたね。中学の時でもまだ小さかったです。


―高校は富山県の高岡第一高に入学されます。2年時に第72回(2000年)センバツ大会に初出場されてますね。チームの成績はどうでしたか?

1年夏は県大会で準優勝でした。1年秋は北信越大会まで勝ち進んで、準決勝で金子(トヨタ自動車―オリックス)のいた長野商に1-2のサヨナラで負けました。高岡商が同じくベスト4で、3位決定戦に勝ちました。でも、北信越のセンバツの枠は2校でした。結果として北信越大会で優勝し、明治神宮大会で準優勝した敦賀気比と長野商が選ばれました。でも、…それが3月になってから敦賀気比に不祥事があって…、補欠校に選ばれていたおかげで繰り上げでセンバツに出場することになったのです。


―ええっ?そうだったんですか?…で、調べたのですが、甲子園では…投げなかったのですよね。

はい、投げていません。ベンチにも入ってなくて、バックネットのところでボールボーイをやりました。初戦で国士舘に0-2で負けました。2時間くらいで終わりました。1つ上の島崎さんが完投したのですが、1回戦負けです。国士舘の先発はカープの小島(国士舘高-国士舘大-広島)さんでした。3安打で完封されました。


―投手としてはどうでしたか?1年から教えてください。

1年の秋の予選でベンチに入りました。が、それ以降はひじが痛くて投げられませんでした。2年の秋に左ひじを手術しました。最後の夏はベンチにも入っていません。


―中日ドラゴンズで活躍中の同僚、高橋投手のことをお聞かせください。

高橋は中学の時ひじを痛めていたので、高校へ入学する時は野手としてでした。バッティングもよかったですから。ピッチャーに戻ったのは2年の春で、いいのは中学の時から知っていたのでヤバイと思いました。野手で行くというから安心していたのに(笑)。高岡第一に高橋と一緒に行ってどうかとは思いましたが、振り返ってみてもやはりそれでも行ったと思うし、一緒に野球ができて良かったです。


―センバツではボールボーイをしたのですか?

本当はスタンドで応援したかったのですが、じゃんけんで負けました(笑)。春なので寒くてジャージを一枚上に着て。バックネットからマウンドに行ってロジンバックを置いて帰ってきたり…。そのときマウンドから甲子園の風景を見て感動しましたね。


―土は持って帰りましたか?

甲子園練習の時、持って帰りました。当時はひじ痛でキャッチボールもできない状態で、もう来られないかもしれないと。


―同僚の高橋投手のことをもう少し聞きます。

センバツ後の2年の春にエースの島崎さん一人だけの状況になって、高橋はピッチャーを再開しました。左で140キロの速球と大きなカーブを武器に三振を取るタイプでした。3年夏の1回戦ではノーシードでしたが、優勝候補の富山商と対戦しましたが、3-0で完封しました。確かスカウトも来ていたと思います。でも、僕はプロに行けるレベルとは思ってなかったですね。近すぎてわからなかったかもしれない。大事な時にケガをして、本当は長いイニングを投げられない状態でもありました。県大会決勝では、下級生が先発して、大事なところで高橋が登板しましたが、滑川に負けました。その滑川も甲子園では1回戦で金沢に負けました。


―その3年夏の甲子園で日大三が優勝して、竹内監督がいた近江が準優勝したということですね。

そうですね。近江で投げていた竹内監督とこうやって一緒のチームでやることになるなんて不思議な感じがします。



―ところで、高橋投手は打者としてはどうだったのですか?

センバツでは確か3打数ノーヒットだったと思います。でも、バッターでプロに行くのかなあと思っていました。3年の夏前にスカウトが観に来ていて、ケガでピッチングが見てもらえないので、監督が試合に代打で出したことがあります。そのとき初球をライトにホームランを打ってしまいました。打者でもいけると思っていました。


―プロの1軍のマウンドで投げている姿を観た感想を教えてください。

テレビで観てたら、球速が150キロ近くになり、10キロもアップしていました。「そんなに速かったっけ?」と思いました(笑)。



つづくvol.2へ

『唯我独尊』~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.2

『唯我独尊』 ~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.2

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―それではお話を聞いた限りでは、高校時代は公式戦では投げていないということですか?

ほとんど投げていませんね。…もしかしたら1イニングぐらい投げたかもしれません。


―ひじがずっと痛かった?

1年秋にひじが痛くなってきて…、県内の病院で痛み止めの注射を打ってもらってやっとできるかどうかでした。でも、安静にしていれば直ると思っていました。結局、痛くて、病院の先生には「この状態では投手をあきらめろ、野球をあきらめろ」と言われました。どこの先生にも「せめてピッチャーはやめた方がいい」と言われましたね。


―それで、手術をしたのが2年の秋だったんですか?

はい。それまでにスポーツ系の病院を4ヶ所くらい回ってたのですが、どこも「手術しても痛みが変わらないかもしれない、直るかわからない」と言われました。それで中学の時に高橋が見てもらっていた大阪のスポーツ・ドクターのところに行きました。それまでにも探していたのですが見つからず、「いいよ」と言ってくれたので行きました。そしたら、「手術しよう。治らんと思ったら手術せえへんから。スケジュールはいつが空いてるの?」と聞かれました。そして、2ヶ月間も入院してリハビリしました。ちょうど富山国体の行われた時期ですね。日本新薬やNTT西日本、近大、近鉄の選手も入院してました。とにかく、ひじが痛くてもいつかは治ると思ってましたし、それで野球をやめたいと思ったことは一度もなかったですね。でも、ケガをしている期間が長く、僕の高校野球は、高校1年の夏までに終わったというのが実感です。


―手術してから復帰したのですよね?ひじの調子は?

ベンチに入れるように頑張りましたが、練習試合では投げたら打たれました。3年の春季大会後、メンバーに入り遠征で福井高校に行ったときに、舞鶴のボーイズチームで同級生だった4番にセンターに弾丸ライナーでホームランを打たれてしまいまして、それ以来試合に出られなくなったように思いますね(苦笑)。それでも監督には「(ひじは)痛くありません」と言ってました。甲子園に出たかったので。


―聞いていいのかどうか…、ひじは具体的にどういう症状だったのですか?

レントゲン写真を見たら、親指の爪ぐらいの大きさの骨が外に出ていました。MRI検査では靭帯から出血していて、後ろにいた先生が2、3人寄って来て、また離れて小さい会議が開かれました(苦笑)。関節ねずみと靭帯や神経の損傷の3つという感じでしょうか。今でもピンで固定していますし、靭帯がゆるいのをつり橋みたいに締めています。今でも痛くないわけではないですが、これくらいならみんなやっていると思うレベルです。痛いけど全力で投げられた時は本当に嬉しかったです。投げている時は痛くても、日常生活に支障はないですね。手術後は薬も飲んでいなかったし、今はもう「完治した」と言っていいと思います。


―ありがとうございました。大変参考になります。しつこいですが…手術に抵抗はなかったですか?

はい。でも、高校の監督は手術を勧めなかったですね。勧めることができなかったようです。昔社会人野球の三菱自動車川崎で指導されていたのですが、選手が手術して復活できなかったことがあったそうです。でも、僕はそのとき手術したら投げられるようになるとずっと思ってました。今では手術してよかったと本当に思います。


―今はもうその病院には行ってないのですか?

高校の時は頻繁に大阪まで行ってました。でも、高校から大学2年までに3ヶ月に1回、半年に1回、1年に1回と段々減っていきました。それ以降は1回も行ってないですね。


―大学は、高岡第一高系列の高岡法科大に入学されます。

監督に「セレクションを受けたりして他のところに行っても、試合に出てエースとして投げている方がみてくれる人はみてくれるぞ」と言われました。


―大学ではどんな感じでしたか?

それが、大学の時でもそれほど納得できる結果が出ませんでした。だから社会人野球に進むのですが…。


―先発ローテーションに入ったりしなかったですか?

2年秋から投げるようになって、3年春からローテーションには入りました。でも、負けてばっかりでした。10勝もしていないけど、10敗はしたと思います。


―北陸大学野球連盟でのチーム成績は?

入学前の秋は優勝だったみたいですが、4年春の2位が最高でした。大抵は福井工業大か金沢学院大が優勝しました。福井大が2部に落ちて、1部に上がってきた金沢星稜大学が、星稜高の系列校なのですが、強くてリーグ戦が混戦になってしまいました。


―4年春の2位のときは?

その時は勝ち点制ではなくて、リーグでは10試合の内の何勝何敗で競うのですが、7勝3敗でした。その内の2敗は自分で…。打たれた試合と援護のなかった試合でしたけど、毎試合なんでこんなしょうもないピッチングしかできないんやろ?、やればできるのに、とずっと思ってました。相手チームの監督にも「未完成」と言われる始末で…。チームに迷惑をかけていたので、打たれた時は何か言われてると思ってました(苦笑)。


―投手はチームに何人くらいいたのですか?

部員が40人で10人くらいは投手でした。背番号は18番でした。


―大学時代、新聞に取り上げられたりしたことはありますか?

富山の北日本新聞に写真付きで取り上げられたことがあります。4年の春に優勝候補だった福井工大に0-2で負けたときのことです。ヒットは5安打に抑えたし、ピッチングとして悪くはなかったですが、何をしゃべったかは覚えていません。でも、監督のコメントは覚えていて、確か「打線に援護がなかった。山上はよく投げた」でしたが、自分では2失点でもそうは思わなかったです。結果的に福井工大が8勝2敗となり優勝。チームを優勝決定戦に持ち込めなかったですから。

―4年秋は?

4年の秋は試合には出ずにベンチにだけ入ってました。社会人野球のセレクションを受けたこともあったので。普通は4年は春で引退して、上に行く人は秋も各チーム1、2人くらいはベンチに残ります。


―セレクションはどこを受けたのですか?

京都のニチダイを受けましたが、結果不合格でした。確か投手では西岡君(甲賀健康医療専門学校)が受かったと後で聞きました。


―それで、就職して富山ベースボールクラブに入団されるのですね。

はい。でも、仕事が3交代制で練習に出られない日があって…。本当はずっと富山でやろうと思ってました。30歳を過ぎて体が動かなくなったら、定年まで働いて…、と思ってましたが、まさか1年でやめることになろうとは思いませんでした。


―クラブチームから会社を紹介されるのですよね?

そうです。ホームグラウンドを持っていて環境も良かったので。…でも、会社に就職してもクラブと会社は別物なので、僕に理解が足りていないところがありました。自分からもっと練習や試合に参加できるように働きかけることができませんでした。野球で会社に来ている、と言えれば、もっと練習したい、と主張すればよかったのですが、そうもいかなくて…。野球にたまに行くことになって面白くなくなっていって…、もしかしたら自分から面白くない方向にもっていったのかもしれません。会社はそのクラブの一番のスポンサーだったのですが…。


―つまり、他のみんなと同じように仕事をしていて、3交代制で練習に行けなかった。会社では練習に行くように指示がなかったり、社員の人たちにも野球のための援助、理解が浸透してなかったということですね。でも、そもそも会社員でも3交代制の勤務ではなかなか難しいですよね?

そうですね…(苦笑)。野球をやりたいから入社したのですが、仕事自体に興味があるわけではないし、「3交代でもいいですか?土日もありますよ」と言われて、それを安易に了承してしまったのが悪かったです。そこでチームに相談もしてみましたが、「そこで頑張れ!」と。


―それでは一番大事な練習ができないから大変です。ちなみにどんな仕事だったのですか?

仕事の内容はオペレーション業務で、情報処理やプログラム開発、運用、管理というような分野でした。わかりやすく言うと、銀行のATMのシステムオペレーターやデータ処理といった感じです。


―…難しそうですね?僕にはよくわかりません(苦笑)。

いい会社だったのですよ。給料もとても良かったですし、残業もありませんでした。ただ休みがバラバラで、土日が必ず休みではなかったのです。だから、野球ができなくなって、それでクラブチームにいずらくなったというか、…大学や会社、クラブチームの迷惑を考えろよと色々と言われたりもしましたけど…。チームもいい仕事場を紹介するけど…といったスタンスで…。結局そんな状況で4月から野球は二の次になったということです。やるべきことが後手後手になってしまったのもあります。


―それで残念ながら会社も辞めることになってしまうんですね?

チームを辞めるのはいいとしても、なんで会社まで辞める必要があるの?と言われましたけれども…。確かに働くという点ではいい会社でしたけど…。野球がやりたいから。それでも1年間は説得されてファイアーバーズの練習に参加しながら会社で働いていました。


―ところで、その時期にクラブ選手権に出場したのですね?西武ドームに行ったのですか?

西多摩クラブに勝って、オール足利クラブに負けたのをベンチで観ていました。そのときは足利市民球場でした。試合にも出ないで、今までで一番やる気を失くしていた頃と思いますね。試合にも出たことがありませんでした。


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『唯我独尊』~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.3

『唯我独尊』 ~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.3

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―それで、富山から京都のファイアーバーズに来ることになったのですか?

正直、拾ってもらったという感覚です。ダメなら高校の監督に相談しようと勝手に思っていました。


―すごいことやと思います!出身地の舞鶴周辺でプレイするのならまだわかりますが…。

後から竹内監督にも「やる気があるから受けに来たのやろ?なかったらできひん。まだできると思ったからセレクションを受けたんやろ?」と言われました。富山は出るしかなかったけれども、舞鶴にはチームもないので。


―どうやって京都ファイアーバーズを知ったのですか?

それが富山ベースボールクラブにいたときに練習試合をしたのです。もちろん投げてないですが。そのときサムライ・ベアーズの選手が残っていて、アメリカ帰りでNOMOベースボールクラブにも勝つなど強いチームの印象でした。そう言えば、リリーフで竹内監督が投げていて「球速いなあ」と思いました。そんなこともあって、インターネットか何かでトライアウトの情報を得て、応募用紙をダウンロードしました。地元の京都で、当時は榊原監督(浜松商―中央大―日本楽器―阪神―日本ハム)だったし、ファイアーバーズに入れば自分もレベルアップできるかなと思いました。


―それで竹内監督と知り合うわけですね。

竹内監督は経験豊富で、同い年に感じないところがあります。監督がまた投げるようになったら、負けるかもしれません(笑)。でも、まだ投げてほしいし、それを観たい。一緒にキャッチボールをしている時が、他の人とする時よりも楽しいです。


―ファイアーバーズに辿りついてよかったですね。

今やっとほぼ自分の野球ができるようになりました。



―大学では18番だった背番号が今は24番ですが、何か意味がありますか?

最初は6番でした(苦笑)。近藤君(明石レッドソルジャーズ)が辞めるちょっと前に交換しました。チームメイトも時々「ピッチャーなのにおかしい」と言ってくれて、変えてあげんとあかんという雰囲気になりました。あきらめかけていましたけど(笑)。


―6番はおかしいです(笑)。投手としては24番でも違うかなあと思います。

一番最初は14番がいいなあと思っていました。今中(元中日)投手が好きだったので。同じ左でスローカーブに惹かれました。


―今はサイドハンドで投げていますが、以前はオーバースローだったのですか?

そうですね。ファイアーバーズに来て2年目から横にしました。それまでは上から普通にスローカーブとまっすぐを投げていました。


―変えるのに勇気が要りませんでしたか?

働きながら富山から京都まで往復している時は、1ヶ月に1、2回しか来られませんでした。とにかく練習に参加できませんでしたから、たまに来て投げても調子が悪く、コントロールも今ひとつで…。このまま上から投げていては試合に出られない。ひじを下げてみようと思ったのがきっかけです。


―会社もなかなか辞められない状態だったんですね?

会社には辞めると言っていたのですが、部署内での他の人の人事異動があったので引っ張られました。「人がどうしても…」と言われて半年経ちました(笑)。それでもう1回頼んでようやく「わかった」と快諾してもらえました。


―それにしても、富山から京都まで半年も通っていたというのは驚きです。時間もお金もかかったでしょう?電車ですか?

車で来てました。最短4時間半で往復6000円くらいかかってました。ガソリンはもちろん別途です。昼からの練習なら朝8時に出る感じです。今ならETCで1000円ですが、途中までお金のかからないルートを使ってから高速に乗ってました。そうすると、5時間ちょっとかかります。10回以上往復しましたが、野球に行くことに関してはつらくありませんでした。


―北信越BCリーグは考えなかったのですか?

会社を辞めた次の年にリーグができたのですが、トライアウトを受けて北信越に行っても到底ムリと思ってました。だから挑戦する意識もなかったですね。元チームメイトが3人入りましたが。


―そういう苦しい状況で野球を辞めようとは一度も思わなかったですか?

野球が好きなのが1番ですね。それとまだまだ不完全燃焼というのもありました。高校や大学を引退した時も、技術がまだ天井ではないと思っていましたし、そう思えるところもありました。もっとできるのにと、うまくなれるはずと今も思い続けています。限界が来て、これ以上うまくならないと思えば辞めていたかもしれないし…。もし、辞めるチャンスがあったとしたら富山の社会人クラブの時だったと思いますが、もっとできるのにここで辞めるという選択肢は選べなかったですね。実際に周りのみんなから見ても、仕事を辞める際に「そうか、それはわかる。でも、会社も辞めるの?」と言われました。でも、自分ではそう思いませんでした。仕事的に問題があったわけでもありません。


―いつから城陽市にお住まいなのですか?

今年の1月からです。去年の半年間は舞鶴の実家から練習に通っていました。
その間、設備会社でバイトしたり、親戚のおじさんのお手伝いをしていました。でも、チームに「近くに引っ越したい」と言ったら、アルバイト先まで紹介してもらいました。


―住んでいるところも紹介されたのですか?

実家に帰ったチームメイトの部屋に入れ替わりで住んでいます。


―アルバイトの話が出てきましたが、大学の時はどうでしたか?

コンビニで週に4日、夜の9時から深夜の1時まで、4時間ずつくらい働きました。それからゴルフ場で球拾いですね。すぐに終わりました(笑)。基本的には接客はあまり好きではないですけど、昼間は練習もあるので、今は夜だけ焼肉屋さんに勤務しています。他にも練習のない週2回は昼に自営業のチームメイトのお手伝いをさせてもらっています。


―仕事もあるので、練習も時間が取れないですね。

そうですね。バイトで疲れますが、野球に支障がないようにしているつもりです。特に暇な時間もないので、毎日走ったりするなど個人ではほとんど練習もできていないですね。


―趣味が車とHPにありましたが、ドライブする時間もないですね?

ドライブしたらガソリンが減るので(苦笑)。今までずっと海が近いところに住んでいたので、時々海が恋しくなります。


―好きな言葉はありますか?

うーん、…「日々是努力」です。高校の監督さんが常に言ってました。怖かったけど、尊敬していました。


―ジンクスや願掛け、習慣のようなものはありますか?

うーん、…ファウルラインの線を右足から越える…ですかね。自分で勝手に決めてやっています(笑)。1つ決め事をしておいたらいいかなあと。毎回同じことをするとリズムができるので。


―好きなプロ野球選手は?阪神ファンですか?

阪神ファンです。好きな選手…うーん、中日の高橋聡文ということにしておきましょう(笑)。同じ左ピッチャーだし、テレビで観た時は自然と応援してしまうし、打たれてほしくないですからね。


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『唯我独尊』~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.4

『唯我独尊』 ~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.4

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―ストレートのMAXはどれくらいですか?

大学のときは137キロでしたが、今はもう少し遅くて130キロ前後と思います。今はもう素直なまっすぐは投げていません。右打者のインコースは、入れる感じでカット気味の回転をつけるイメージで、アウトコースはシュート回転で浮き上がるイメージで投げていますし…。要はベースから離れていくボールを投げている感じです。


―サイドに変えて、実際はどうですか?

ストレートに関しては、横からの投げ方がわかってきました。実際の球速はわかりませんが、感覚的には上からよりもいいボールがいってるはずです。だから、今のところ変えてよかったと思っています。実は、高校のとき、横から投げたらひじが痛くなかったので、監督から「横から投げたら」と言われたのですが、プライドがあって嫌でした。でも、今回は自分で決めたことなので、それほど何も思わなかったですね。


―球種は何がありますか?

スライダーやチェンジアップなどです。スライダー、というよりも今はスラーブに近いですね。だから、縦横のスライダーというよりはボールゾーンに投げる速いスライダーを覚えたいです。今は練習中でもうそろそろ試合で投げたいところですが、自分ではまだしっくりと来ていません。色んな人に聞いて試していますが、投げ方がまだわかっていなくて、変に手先が器用なのかひねってしまいます。チェンジアップは効果的かどうかわかりませんが、タイミングはずれているはずです。遅い球、イコールスライダーと思われないように、ゆるい球でも左右の変化を有効に使っています。打席でバッターが迷ってくれればと思って。


―コントロールはどうですか?

いい方ではないと思いますし、むしろ自信がないくらいです。ストレートでも変化球でも関係ないですね。小中は特に悪かったです。いつも大体4つくらいは出します。(苦笑)大学2年か3年くらいに9イニングで9個も出したのが自己ワーストで、そのときは160球で完投しましたが。無四球は今まで一度もないと思います。


―振りかぶりますか?左足を置くプレートの位置を試合中に色々変えたりしますか?

最初からセットで投げていますが、大学が終わるまでは振りかぶっていました。クラブチームに入って練習する日も時間も少ないので、「振りかぶる」のと「セット」の2つとも練習することが難しくなりました。試合中、セットだけで投げれば1つだけしか練習しなくてもいいという考えもあります。それから、周りのことを考えると、他にも投手がいる中で僕だけどちらも練習しているわけにはいきません。投げる場所はずっと同じところから投げていますので変えません。


―聞くところでは実際、人に気を遣っていてはいい投手になれない、というスカウトの人の考えもあるようなのです。よくわかりませんが、マウンドの整備を後輩にやらせるぐらいでないと大物感がないとか…。あくまで聞いた話ですが。

高校のときにケガしてからはむしろ裏方中心で、みんなが終わってから練習していましたし…。…大学のときは、エースとして結果が伴わなくて、整備くらいはしっかりしないと、と周りの人にせめて態度から見せようと思いました。後輩もそれに気づいてくれたみたいで動きが早かったり、早く終わらせようとしてくれたことがあったのを覚えています。


―いいお話ですね。僕はどちらがプロに近づける性格なのかわかりませんが、後者であってほしい気もしますね。何か練習に対することでこだわりの部分はありますか?よく走る方ですか?

そうですね…。練習以外ではあまり走りませんね。走っても3キロぐらいまでです。ランニングをしても球が速くなるという考えはないので、重要視していません。それなら、スクワットしながら前進するとか、投球に直接関係する動きをします。…それから、シャドーピッチングではタオルを持ちません。


―タオルを持たないのですか?常識的には持つことになっているのですよね?

常識的にはそうかもしれませんが、僕の場合、持つと腕の振りが遅くなるのです。腕の振りを速くするのがシャドーピッチングの目的なのに…。鏡があれば鏡を見て、何も持たずに腕を振ります。


―もう少し詳しく聞かせてください。

シャドーピッチングはフォームを安定させるのと球を速くさせるためにします。腕の振りが速いと球速が上がります。大学1年のときに「投手を教えることに定評がある」と監督から言われて、関東にある私立高の練習にお邪魔したことが2回あります。友達の家に1週間も泊まって。そこで「シャドーはタオルを持たずにやる」と聞いて実践してみたら、成果が出たのですよ。球速までは正確にわかりませんが、投げていて感覚が違いました。ボールが伸びている感じがしました。色んな練習メニューがあった中で、そのシャドーピッチングが一番印象に残っています。でも、富山ベースボールクラブ時代は、雨が降って体育館で僕だけタオルを持ってなかったら怒られましたけど(苦笑)。ピッチングをしてひじを壊した人がいても、シャドーピッチングでひじを壊した人はいませんし。どちらも正解なのかもしれませんが、僕は今でも持たずにやっています。タオルありはいいフォーム、なしは球速アップの説が…。冬場は指先に血が溜まってパンパンになりますが、引いていくのを待ちます。「練習よくやった!」という気にもなります(笑)。


―他に練習のこだわりの部分はありますか?プロテインは飲みますか?

そうですね…。筋トレは特にやらないです。…本当は嫌いなだけです(笑)。腹筋、背筋はやりますね。…ボールを部屋で持つとか触るとか…。プロテインは飲みません。


―また、ひじ痛の話で恐縮ですが、どうして痛くなったと思いますか?

単にオーバーユース(over use)です。体自体が全然できていませんでした。自分には投げ過ぎでひじが耐えられなかったのだと思います。チームでも体が大きくなくて、2番目に小さいくらいでした。高橋も小さくていつも背比べをしていました。高橋は中学でひじを痛めて、高校は野手で入りました。僕は高校1年の秋には、常に痛くて、痛くない日はなかったです。


―ピッチングではどんな練習を意識してしていますか?

右バッターのインコースばかり投げる練習をしています。外は体を切らなくていいので投げるのが楽なのです。


―最近のご自身のピッチングについてはいかがですか?

今のピッチングを大学の時にしていれば、10敗はしていないと思いますね。
間合いやけん制も含めて、投げるコツを覚えた気がします。思い描いたボールを投げられる確率が上がりました。でも、投げ込みを多くしたわけではないのですよ。ひじが痛い分、どうやって投げ込みせずに成長するかをいつも考えていましたし、今も考えています。だから、練習でも球数をそんなには投げていません。


今年で言えば、ピッチングに関して大ケガをしていなくて、点を取られても最少失点でこらえきれています。その辺の試合を作るに関しては自信があります。この試合が良かった、ということもないですけれど、平均的にどんな試合でも崩れていない。1イニングでの大量失点もありません。都市対抗の府予選で戦った三菱の時は、調子があまりよくありませんでした。球が走ってなかったと思います。


―他には?

正捕手がいない状況ですが、キャッチャーが代わったからといって、ピッチングが変わるようではダメだなと。ベース盤の上での勝負ですから。


―自身のピッチングスタイルについては?

のらりくらりといくタイプなので、代え時がわかりにくいと言われます。エースではないけど、2番手で置いておきたいタイプとも。だから、プロで言えばですが、メジャーの上原や川上ではなく、山本昌(中日)や内海(巨人)とか。チームに左投手がいないもので。実は右バッターの方が投げやすいです。


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『唯我独尊』~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.5

『唯我独尊』 ~京都ファイアーバーズ・山上直輝投手 vol.5

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―高校や大学、社会人の練習はどんな感じでしたか?

高校の時は与えられた練習をやっている感じでしたが、大学では自分で考える練習と与えられる練習の割合が6:4か7:3かになりました。社会人やクラブチームでは、それはもう8:2か9:1になります。練習時間は今が一番短いです。練習の日数も時間も増やしてほしいと思いますが、今が一番充実していますね。


―社会人野球のレベルについてはどうですか?

大学野球よりも今の方が全てのチームにおいてレベルが高いですね。大学の頃はベストボールさえ投げればそのボールは誰にも打たれませんでした。でも、社会人では打たれます。つまり、大学の頃は、勝負の前に僕がダメな時に打たれたような気がするのですが、社会人では、その時よりも成長している状態なのに調子が良くても9人の中の誰かに打たれることがあります。個人対個人でも、チームとして戦っている場合でも勝てなかったりします。ベストピッチを打たれる時も社会人ならありえます。いい球がいっても打たれるということです。


―社会人でのベストピッチングは?

まだできていないですね。何でしょうか、それを追い求めています。まだ天井が見えません。まだ完全燃焼できていないからかもしれません。投球で言うと、一球指先にかかっても後でもっと指先にかかる時があります。ピッチング的にもすごく良くても、もっといい時があるのです。これかな?と。これがベストかもしれないと思っていても、現時点で最高と思っていても、指先にバッチリかかったら、さっきよりもいいと思ったり、このピッチングの出来が最高というのが、まだわからないのですよね。


―いまいち僕には言っている意味が難しいのですが、つまり、ベストピッチングがないというのは…常に記憶が上書き保存されていっているということですか?

…何というか、発展途上中なのです。毎回投げる度に新鮮なのです。今までで一番いいボールよりも、いいのです。過去に思い描いたボールよりも、それがあったとしても、またしばらくしたら、そのうちですかね?比較的すぐにいい球がいくようになるのです。出発点が低いのもありますが、行き詰まらないし、限界を感じていないし、自分が楽しみなのですよ。


―感覚的にですが、1<2<3<4…という感じなのでしょうか?

そんな感じです。常に4位くらいに自分がいるような…。野球ができる喜びを感じています。今年よりも来年がいいと、そういうものだと思っています。今はこの力でももう1年やればもっとうまくなる自信がありますね。ファイアーバーズに来た当初は、結果が出ませんでした。みんなが使えないと思ったはずです。でも、今はダメな時でも、この力でもうまくなると思うのです。だから、今が精一杯の力だとは思っていないのですよね。精神的に若いというか、ただ高望みしていないだけなのかもしれませんが。


―不思議な捉え方ですね?監督には何と言われますか?

バッターが三振しても、思い通りの球でなかったら、何?おかしい!と思いますね。監督には「土肥(大阪ゴールドビリケーンズ)はファイアーバーズや関西独立リーグから、あわよくば直接プロへと考えているが、山の場合はファイアーバーズで試合にリリーフで出て…、それからロングリリーフをして…、それでエースになって…と次のレベルへ段階を経てこうなりたいと、長い期間をかけて成長していくタイプやなあ」と言われました。


―ご自身の性格についてはどうですか?あと、嫌いな食べ物はありますか?

気が長いです。めったに怒りませんし、のらりくらり、さっきも言ったように2番手タイプですかね(笑)。でも、野球に関してはあまり言うことを聞かないですかね。大学の時もフォームのことで言われましたが、納得できるところはやろうとしたけど、いつの間にか元に戻りましたから。嫌いな食べ物はないですね。


―何か最近印象に残っている試合はありますか?ターニングポイントとか?

…そうですね。監督の後で投げるのがつらかったですね。緊張もしました。監督でさえ、こんな上のレベルの人でも打たれているのに、と。打たれたことで覚えているのは、去年の日本新薬戦で監督が5点も取られてしまって、その後に投げたのですが、僕も5点取られました。悔しいし、技術的に難しいと自分を思いかけた瞬間でした。もしかしたら、これはヤバイと。それから抑えたことで覚えているのは、去年の三菱戦で監督が4点取られて、僕がリリーフしたのですが、3イニング無失点に抑えて逆転勝ちしたことがありました。


―どっちが先ですか?他に印象的だった試合は?

日本新薬戦が先で、三菱が後です。公式戦です。あとは去年の秋季大会の1回戦でリッツと対戦した時です。先発が監督で、2イニングリリーフしました。勝ちました。それと2回戦のOBC戦ですね。その日は関西独立リーグのトライアウトとかぶってエースだった土肥君もいなかったので、初めて大事な試合で先発することになりました。8回4失点でしたが、自己最長のイニングを投げられたことは大きかったです。結果的には負けましたけど。

2008年6月8日 対日本新薬(公式戦)●0-11 竹内、山上-八木(5回コールド)
2008年9月23日 対京都ダイヤフェニックス(公式戦)○5-4 竹内、山上-岩村
2008年11月2日 対Ritsベースボールクラブ(公式戦)○5x-4 竹内、山上、河田、土肥-岩村
2008年11月3日 対OBC高島(公式戦)●0-6 山上、岩村-八木

 
―竹内監督はリッツ戦以降に投げましたか?

それ以降は投げていませんね。


―今年の都市対抗府予選の三菱戦では、下位打線に打たれてしまいましたね。

それが悩み事なのですが、いつもクリーンアップにはほぼ打たれなくて、首を傾げてベンチに帰っていくのですが、1、2番や8、9番に打たれるのです。こちょこちょやられるというか。うまく打ちたいタイプにかわそうとするとやられるみたいです(苦笑)。


―今の目標は何ですか?

日本選手権の府予選では、エースとして2勝しないといけません。去年エースだった土肥君には負けないです。いなくなって成長したと思いますが、それで弱くなったとは言われたくないので。


―監督も「頼りにしている」と言っておられますね。

「環境がそうさせたのか、先輩がいなくなって独り立ちした。やらないといけない状況になったからや!」と監督がそのようなことを冗談っぽく言います。もう何の練習をしていても言われませんし、監督から教わったピッチングのコツをほぼ実践しています。


―他に、将来的な目標はありますか?

社会人野球で都市対抗や日本選手権に出場したいですし、土肥君(大阪ゴールドビリケーンズ)が大阪に行って活躍しているのを見ると急にうらやましくなりました。野球をしてお金をもらえる環境に行きたくないと言えばウソになりますね。


―関西独立リーグについて思うことは?

関西は1年目の割にはほとんど取り上げられていないように感じます。北信越は、富山サンダーバーズが優勝争いをしている時は、富山新聞にカラーで一面で大きく取り上げられます。それに加えてスポーツ欄にも取り上げられて、選手はヒーロー的扱いを受けるのでやりがいを感じられるでしょう。


―元ファイアーバーズの選手もそれらのリーグでたくさん参加していますね。

「試合数をこなしているので個人的な成長はしているけれども、ファイアーバーズの方が楽しかった」と聞きます。アマチュアは1勝したり1敗したりの感情や選手らのチームワークも違うという意味かなと。


―(引退後の)将来的な夢はありますか?

昔から漠然と考えていたのは、高校野球の監督という職業に就いてみたいですね。野球を教える立場になりたいです。だから、教員をしたいなあと思います。でも先生というよりはやはり指導者がしてみたいですね。それで、以前教職の資格が取れる学校のパンフレットを取り寄せたりもして、どれくらい費用がかかるのかを調べたりしたのですが、入学を決断できるかどうかですよね。勉強している先輩を見て、僕もチャンスがあるかもと思っています。最近母校の試合を観たら、昔とは違うところがあるなあと時の流れを感じました(笑)。


―今までに何か賞などを受賞されたことはありますか?

大学時代に大学2チームと社会人2チームで交流戦をするのですが、2試合投げて、社会人の伏木海陸運送戦で8回まで0点に抑えて優秀選手賞をもらったことがあります。


―長いインタビューありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。僕で良かったですか?


―はい、もちろんです。色んな話が聞けて楽しかったです。期待しています。



おわり


※『唯我独尊』とは、「自分一人が特別にすぐれているとうぬぼれること。ひとりよがり」という意味ではなく、「この世の一人ひとりが主人公。」といった意味で捉えています。

※インタビューは9月上旬に行いました。日本選手権府予選は残念でした。10月31日に府秋季大会が開幕。ファイアーバーズは、11月1日にニチダイグラウンドで三菱自動車京都ダイヤフェニックスと対戦します。



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(参考HP)

Take it easy!! 京都ファイアーバーズ #18 竹内和也 応援サイト

KYOTO FIRE BIRDS 京都ファイアーバーズBCの日記&連絡ボード2009

エコロベースって知ってる?

 5月にエコロベース大会があって、それには競技者として参加した。エコロベースというのは、「超軟式野球」というらしいが、要は「野球」を超軟弱化させたものである。老若男女問わずプレーできる。ボールは軟らかいし、バットも軽く、グローブはラクロスのラケットのようなものを使う。

 やってみて思ったのは、よくできているということだった。点差がつきにくいと思う。10人でプレーする形式をとっていたのだが、1人は二遊間のところの守備に就く。打順がそのまま守備位置になり、イニング毎にローテーションで守備位置が回る。僕は背番号が「5」で打順は5番で、守備は三塁手から始まり、次は遊撃手、次は左翼手とずれていった。もし、誰か特別にうまい人がいてもずっとその守備位置に就くことはできない。野球やソフトボールは、投手や捕手を中心に、二遊間と中堅手をセンターラインとして守りを重視するスポーツだ。そこの能力が高ければ、不用意な失点はある程度防げるものである。だから、守備がローテーションで回ってしまっては、なにかと不便なのだ。それが面白く感じた。ある意味で革命を起こしている。

 野球やソフトボールをやったものであればわかると思うが、守備位置によってグローブの形が違う。一塁手や外野は長く、内野は短い。投手が最もオールラウンドなもので、捕手は捕手しかできない太さである。しかし、エコロの場合は、全守備で同じラクロスのミット?のようなものを使う。だから、グラブさばきがいらない。ミットは10個でいいのでイニングが終わると、守備位置にミットを置いて、ベンチに帰る。手ぶらで帰るその姿がなんかかわいい。

 投手は下投げでホームベースの後ろの地面にある四角の的を狙ってワンバウンドさせなければならない。よって、速球を投げることができない。ワンバウンドさせるにはゆっくりとした放物線を描くしかない。だから、必然的に打撃戦になるから、バッティングがすこぶる面白い。僕なんかは3打数2安打2本塁打(1三塁ゴロ)だった。左翼手のすぐ後ろに線が引いてあるのだ。それを越えればホームラン。誰でも打てそうな距離(男子45m、女子35m)のため、野球経験を特に問わない。ダイヤモンドをゆっくりと回る経験を2回もさせてもらった。ベンチに帰ってくればハイタッチの応酬。ヒーローになってなんだか照れた。これだから、非力な女性でも当たればホームランが打てる可能性もある。女子の部は外野がやや前だった。女性でホームランを打ってしまうとこの喜びはもっと大きいだろう。夕食にもう一品出してしまいたくなるほど嬉しいと思われる。

 このように純粋な楽しさがあって、守備に責任が少ないのがいい。よく草野球なんかでは後々、自分がやってしまったエラーが敗因となってしまい、全責任を負わされた気持ちになることがある。守備位置がローテーションであれば、三塁手や遊撃手をずっと守っていなければならないということで背負う不安は少なくなる。僕がたまにソフトボールに参加すると、野球経験があるということで三塁をやらされることが多かった。が、打球が速過ぎて目茶苦茶恐い。「もっと前」と言われることがあって、顔面に当たったらとびびって守ったこともある。しかし、エコロのボールはまるでクッションのような軟らかさで、子供に思い切り投げてぶつけてもケガ一つしないくらいだ。痛くないということが楽しさを増す。「こんなに軟らかいの?」と感心するくらいだ。(ボールはウレタン製)

 スライディングや盗塁、バントも禁止。ファーストストライク見逃しはツーストライクに。スリーストライク目のファウルは打者アウトになる。1イニングで5点入ればチェンジになるので、ビッグイニングはない。だから、守備時間が長すぎるということもない。ゲーム自体を40分から50分に設定してあるので、早く終わる。それなのに3打席も回ってきた。本当に打撃の力による打撃戦のまま決着がつくという結果がなぜかすがすがしいし、守備の責任はほとんど皆無で、打てないから負けたという責任の所在のはっきりしたところがなんとも痛快だった。

 しかし、野球やソフトボール経験者は物足りない感が残る。こんなのでいいのかと、疑いたくなる気持ちが出てきても仕方がない競技とも言える。技術の見せ所も特別ない。全打席ホームランで当たり前なのだ。だが、やっぱり僕は楽しかった。誰がうまいとか下手とかが問われない野球が妙に新鮮だった。これは本当に革命的だった。自分がいかに野球を「間違い探し」という点で見ているかということにも気づかされたように思う。野球に正解を求めているのである。正解を押し付けているのである。それが野球の難しさといったところだろうか。なんかよくわからない説明になって申し訳ない。自信をなくしているプレーヤーはエコロベースもどきな野球をやってみればわかる。平安や成美や外大西や立宇治や…のような競争の厳しそうなチームは一度、このように守備位置をローテーションで回すような野球をやってみれば、純粋な野球の楽しさがわかると思う。全員が投手や捕手を経験してみれば、見えてくることもあるかもしれないと勝手に想像したりする。新しい感覚が発見されるかもしれない。

 ところで、女子の部のときに、頼まれてもいないのに写真を撮ってあげた。打席でバットを構えている写真やスイングしている写真など所有していないと勝手に思ったから。それを出場選手に配ったらそれなりに喜んでもらえた。それはそれは不思議がられたが、女子の部は3位になったので、その栄誉を簡単にまとめたものを写真付きで回覧板で回してもらった。去年と来年の体育委員には悪いが。また、エコロベースは京都が発祥の地だった。いつか機会があれば、このようなスポーツが生まれたいきさつを取材してみたいものだ。きっと野球の楽しさと苦しさのどちらも知っている人たちの手で考案されたにちがいない。



NPO法人日本エコロベース協会

体育役員に選ばれて

 この秋に試合を観に行けなかった理由の一つとして、地域自治会の体育役員に選ばれたことが挙げられる。班の世帯数から10数年に一度回ってくる役員なのだが、今年がそれに当たった。

 役員には会長や副会長、会計や書記、防災に情宣、体育があり、それぞれ請け負う担当が決まっている。それで3月に体育役員になってしまった。

 体育役員だけは2人。春から冬まで1か月ないし2か月に一度のペースで日曜日に体育行事が開かれる。これまでにあったのはエコロベース(超軟式野球)やソフトバレー、ゲートボール、区民運動会。この先はグラウンドゴルフやラージボール(卓球)が予定されている。もちろん一番の行事は区民運動会だ。

 何が大変かと言えば、出場メンバーを集めることに尽きる。なかなか出場してくれる人が集まらない。日頃からそれらに参加したことがあり、近所の人たちと親しくしていればまた違うのかもしれないが、そうではない。だから、どこに何歳ぐらいの人が暮らしているのかさえわからなかった。

 回覧板を回しても反応はめっぽう薄い。こんなに娯楽の多い時代にみんなが感心を寄せる行事とは言いにくく、高齢化している世帯が多い上に、地域と関わりを持ちたがらない人たちの方が多い。結果的には人は集まったが、出場してくれる人はたいてい小学生の子供がいるお母さんだったり、毎年のように出場してくれるちょっと親切なおじさんばかりで恐縮した。

 体育委員を引き受けたときも、色んな人に心配された。他の担当であれば、もう少し楽ができたかもしれないと今なら考えられるが、一番若かった僕が「体育はできません」なんて跳ね返していたら、他の年配の方に申し訳ない思いもした。書記よりも体育の方が性に合っている。いざとなれば自分が出場すればいいと思った。なるほど、仕事で忙しくしている人であればつらいかもしれない。結婚していれば奥さんと分担したりすることもできたであろうが、何せ単身なものでそれもできない。うちの場合は両親に頼ることができないので、その選択はなかった。僕が頑張るしかなかった。まあ頑張れたのでよかった。

 体育委員が2人なのも的を得ている。競技当日以外でも抽選会や説明で毎月一度は集まりがある。そのうえ自治会の集まりもある。例えば、地蔵盆をどうするかとかで会議を開いたりもするから、まるで二重に会議に出席しなければいけないような感じがするからだ。そして、何よりも自治会として人数が集まらなくて棄権という事態は避けなければいけない。2人がかりでないと1人では荷が重過ぎる。思い切り頭を下げる気持ちでぶつかっていくしか方法もない。弁当も無料だとアピールする。「すんませんねえ」は軽く100回は言っただろう。

 年間のメインイベントである区民運動会は球入れやら綱引きなどと、とにかく人数が必要な団体競技が多い。若いお父さんにも出てもらわなければならない。最後のリレーに至っては男女6名ずつ計12人も集めなければいけなかった。毎年出場してくれる人たちは大体決まっているようだったが、選手集めの要領がわからない。回覧板には名前を書いてもらえないことが多いので、結果的に、思いつくだけの、出てくれそうな人の家を訪問して頼み込むことになる。幸い無事に運動会を終えることができたが、終わったかと思えば、次はグラウンドゴルフの人数集めに動き出さなければならない。

 だから、この秋の野球観戦はちょっと難しかった。もちろん、全く行けなかったかと言えばそうではないし、9月ならば行ける日もあった。しかし、もし行ってしまったら、どうなっただろうか。次も行きたくなるのに決まっている。どこが勝ったか負けたかで、スケジュールも変わるかもしれない。それがあまりに自分にとって負担になりそうだったので、それならばこの秋は観戦を辞退、もしくは自粛するしかなかった。もしどこかで行けば、次も行きたくなるという煩わしさを抑えるしかなかった。そして、またこれを読んでいる人たちに要らぬ期待を持たせるのもどうなのか、とも考えた。自分でもつらい気持ちがあったが、あきらめるしかないなと、地域の人と一緒に芋を掘りながら空を見上げた日もあった。

 実際には6月に、体育委員で休んではいけないにもかかわらず、「仕事」ということで、ソフトバレーをボイコット、というか都市対抗の近畿予選、甲賀の大事な試合と重なってしまい、運良く都合良く西京極へ行ってしまった。やってしまったが、この試合を観に行かないわけにはいかなかった。そういう状況だった。試合が終わり、家に帰ってきてスーパーに買い物に行こうと自転車に乗っていたら、ちょうど他の役員二人に道で会ってしまった。「優勝して祝勝会してるからおいで!!」。勝利を喜び合いながら飲む、あのビールのなんとも言えない味とその場の居ずらさはなかった。

 ということで、大変申し訳ない感じもするが、この秋は野球はすべて辞退、せっかくの運動会も下から3位だった。どちらも残念だった。
 

立命館宇治、センバツ当確へ!

 みなさま、お久しぶりです。なんとか生きています。

 それよりも立命館宇治高が秋季近畿大会ベスト4へ進出し、来春のセンバツ甲子園大会への出場がほぼ決まりました。選手らや卯瀧監督、石川部長、保護者&関係者のみなさん、おめでとうございます。


 この夏に龍谷大平安、秋に立命館宇治が府大会で優勝。なんと6年前に僕が高校野球を観るようになったときと全く同じでとても驚きました。そのときの立宇治はセンバツの開幕試合で準優勝した愛工大名電に1点差で競り負け。次のセンバツではぜひ同じ愛知の中京大中京を夏の平安の分も加えて倒してください。…と対戦することを予言しておきましょう。

 その立宇治の監督である卯瀧監督ですが、この夏の4回戦で京都成章に負けたときは、とても悔しそうでした。声を掛けることしか頭にない僕は、それでも卯瀧監督に挨拶だけでもと思い、粘りに粘ってバスの前で名刺を渡しました。試合の内容の悪さ(タイムリーヒットなしで3失点)に監督の表情は曇ったまま。20年ほど前に北嵯峨が甲子園初出場を決めた決勝の試合を太陽が丘に観に行ったことを告げてもあまり効果もなく、後から監督に挨拶に来たスーツ姿の人たち3人に「ブサイクな試合で」と言われたときに、ようやく事の大きさに気づかされ…。肝を冷しました。試合が終わって30分も経たない内にバスは出発。これから学校に帰ってすぐに練習するんだろうな、とすぐわかりました。(それからスタンドに帰って京教のマネージャー4人を探したというところにつながります。)

 そんな立宇治がこの秋に優勝。夏は下級生主体のチームでもあったことからこの結果に驚くことはありませんが、近畿大会でベスト4というのは、やはり卯瀧監督の指導の賜物というしかないでしょう。この秋は一度も球場に行きませんでしたので、何を語れるわけでもありませんが、すごいです。


 ところで、この秋は球場には行っていませんが、インタビューを2つしました。原稿は完成しているのですが、まだ掲載許可が下りていません。下り次第掲載致しますので、もうしばらくお待ちください。その二人は共に左投手です。僕がこれまでおそらく最も観てきたピッチャーと全く観たことがなかったピッチャーの二人です。どちらも甲子園に行きました。

 それから、ある高校球児を今、追いかけています。その選手はちょっと複雑な事情を抱えています。取材した内容をまとめて作品にして賞に応募してやろうと企んでいます。こんな人が僕の目の前に現れるとは思ってもいませんでした。なので、作品にしたいという気持ちが出てきたわけです。この件についてはまだどうなるか自分でもわかりませんが、ここに載せられるとしたら来年の7月以降になるだろうと思います。

 この秋はほとんど試合も観なければ、写真撮影も全くしていないので、ここに載せられる新しい情報は何もありません。その代わりと言ってはなんですが、この夏の京都大会で観た試合が途中で止まっていますので、その内容を更新したいと思っています。ものすごくスローなペースになるでしょうが、取材して「載せる」と言っておきながらそのままになってしまっているし、あれからもう3か月も経っているので、今なら本音で書いてもいいかなと思います。あの選手があのときこんなことを言っていたということをみなさんにお伝えしたいと考えています。

 

第91回全国大会1回戦3日目第2試合:龍谷大平安 1-5 中京大中京

■龍谷大平安、初戦で中京大中京に完敗   先発・縄田、魔の2回

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1回表無死

1番青木が三遊間を破るレフト前ヒットで出塁する



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1回裏一死三塁

4番堂林の飛球を捕ってすばやく返球するライト・前田
 


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2回裏二死二塁

先発縄田が一挙4点を失い、背番号11の出村へ投手交代する



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4回表無死

4番橋本が三塁線を破る二塁打を放つ



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6回表無死

2番妻鳥がレフト前ヒット(2安打目)を放つ



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強打の中京大中京を相手に好投する出村投手


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7回二死一塁

8番出村がライト前ヒット(2安打目)を放つ



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7回二死一塁

出村のヒットで三塁に滑り込む一走・浦谷



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9回二死

代打・松田が左中間へ二塁打を放つ



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1回戦で中京大中京に1-5で敗れた龍谷大平安の選手たち


09年08月12日(水)
(大会3日目第2試合)

@甲子園

▼1回戦


龍谷大平安

101 101 111 H 7 E1

001 000 000=1

050 000 000=5


162 001 01× H11 E1

中京大中京


(平)縄田、出村―橋本
(中)堂林―磯村


▽三塁打:伊藤(中)
▽二塁打:橋本、松田(平)山中、金山、河合、伊藤(中)

▽盗塁:青木(平)
▽失策:青木(平)堂林(中)
▽暴投:堂林2(中)
▽試合時間:2時間6分


【戦況】

 09年センバツ8強で、夏の甲子園通算勝利数1位の中京大中京に挑んだ龍谷大平安(3位)だったが、先発縄田が2回につかまり4長短打で4失点しマウンドを降りると、救援した出村も適時打を浴び、序盤に5点をリードされた。反撃したい龍谷大平安だったが、3回に妻鳥の二ゴロ併殺崩れの間に1点を返しただけで、その後は堂林の巧みな投球術の前に屈した。原田監督就任後、甲子園での夏の初戦敗退ははじめて。


【感想】

 中京大中京・堂林がこんなにも変化球を多投する投手とは思ってなかった。悔しいが打たれた以上に打てなかった印象が残る。まずは1回の橋本のセンター前への飛球をダイビングキャッチされたのが痛かった。打線はとにかく打たされた。自分のスイングをさせてもらえなかった。そして、左腕・縄田が左打者に強烈な打球(三塁打1、二塁打2)を放たれた上に、右打者2人(9番、1番)には片手1本で外野手の前に運ばれたのが痛かった。縄田に託したい原田監督の投手交代のタイミングは当然遅れる。代わった出村は4番堂林にタイムリーを打たれたが、その後は甲子園ならではの緊張感の中、予想以上に本領を発揮し中京大中京を0に押さえた。それだけに打線の奮起を期待したかったが、クリーンアップ3人が1安打に抑えられる重いムードで、連打のない散発の7安打と抑えられ、強力打線と謳われた平安だったが、1得点を挙げたのみに終わった。

 寂しいことだが、昨秋を辞退したチームだったために、この夏に間に合わせるのが精一杯だったとも言える。6年ぶりの甲子園で選手たちは一つ満足しただろう。相手は今春のセンバツ8強で悔しい思いをしていた中京大中京。体の大きさも違ったが、やはり想いの強さとここ一番に畳みかける集中力。中盤に1点でも2点でも入っていれば、終盤に面白い展開になったかもしれないだけに残念だった。だが、京都大会を力で勝ちあがった龍谷大平安に未練はない。京都勢の2年連続初戦敗退も意外でならない。中京大中京にはぜひ決勝までいって、菊池投手のいる花巻東と当たってほしいところだ。
 



【龍谷大平安】

4  青 木  4-1
8  妻 鳥  3-2-1
9  前 田  4-0
2  橋 本  4-1
3   中   4-0
7  斎 藤  3-0
 H 松 田  1-1
5  浦 谷  3-0
1  縄 田  0-0
 1 出 村  3-2
6  坂 本  2-0

        31-7-1

振4球1犠2併2残6


縄 田 回12/3打12球41安6三0球1失5責5
出 村 回61/3打22球71安5三2球0失0責0 


【中京大中京】

6  山 中  4-2-2
4  国 友  3-0
5  河 合  3-1-1
1  堂 林  4-1-1
2  磯 村  4-0
7  伊 藤  4-3
 R7盛 政  0-0
3  柴 田  3-0
9  金 山  3-3-1
8  岩 月  2-1

        30-11-5  

振2球1犠3併1残5


堂 林 回9打34球110安7三4球1失1責0





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ドリコムブログ お問い合わせの件に関しまして

ドリコムブログサポートセンターにお問合せいただき誠にありがとうございます。

お問い合わせの件につきまして、ご不便をおかけいたしまして申し訳ございません。
また、先日の障害によりユーザーさまに多大なるご不便ご迷惑を
おかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。

今後ともみなさまに安心してお楽しみいただけるよう
サービスの向上に努めてまいりますので、ドリコムブログをよろしくお願いします。


株式会社ドリコム カスタマサポートセンター ドリコムブログ窓口



とのことでしたので、なんとか復旧いたしました。
更新作業ができずに、こちらもぼうっとしていましたので
これからまた徐々にやっていきたいと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。

若林千尋

ドリコムブログ不具合について

 皆様ご迷惑をおかけしております。

 ドリコムブログの不具合により、新規投稿などのサービスが利用できない状況が続いておりましたが、なんとか復旧しましたのでお知らせいたします。

 ただまだ完全に修正できたわけではなく、大変落ち込んでおります。長期休暇になる度におかしくなってしまうので、大変あきれています。



http://support.drecom.co.jp/blog/
 

龍谷大平安、1回戦は中京大中京と

 龍谷大平安は大会3日目の第2試合で中京大中京(愛知)と対戦が決定。最近京都代表が愛知代表と夏に戦ったのは、 続きを読む

明日は第91回抽選会の日

 少しご無沙汰しておりましたが、再開いたします。今日週刊朝日増刊号の甲子園を買って来ました。それでちょっとショックなことがありまして…、実は…龍谷大平安って、

※ここから先は高校野球ファンの方や心臓の弱い方は読まないでください。
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第91回京都大会決勝:京都教育大附属高校第43期マネージャー4人のお話

★京都教育大附属高校硬式野球部第43期マネージャー4人のお話 を元に構成
 (フォーセット望さん、堀のぞみさん、礒部爽さん、山田愛実さん)


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第91回京都大会決勝:龍谷大平安・前田特集

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第91回京都大会決勝:平安OB・辰己さん(会社員&専属カメラマン?)のお話

★平安OB・辰己さん(会社員&専属カメラマン?)のお話

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第91回京都大会決勝:龍谷大平安OBらの喜びの声

●龍谷大平安硬式野球部OBらの喜びの声


★服部さん(日本大―日立製作所)

 (6年ぶりの優勝に)自分が2年のとき以来、(夏は)甲子園に行ってないし、夏に京都へ帰ったときは試合や練習を観に行ったりして後輩を励ましてきた。ほんとによくやってくれた。嬉しかった。(同じ左腕の縄田投手について)しんどいなりに暑いなりにしっかり抑えてくれた。あのピッチングでサヨナラ勝ちできたと思う。

 3回戦での服部、東北・ダルビッシュの投げ合いはもはや伝説。特にカーブの切れが凄まじかった。 続きを読む

第91回京都大会決勝:龍谷大平安、9回逆転サヨナラ劇

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一死 1番青木がセンター前ヒットで出塁 続きを読む

龍谷大平安、6年ぶりの夏甲子園

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観戦に来ていたOBらに手を振る龍谷大平安・原田監督と優勝メダルの選手たち





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第91回京都大会組み合わせ:27日(月)<決勝>の結果

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第91回京都大会組み合わせ:26日(日)<準決勝>の結果

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第91回京都大会準決勝の展望

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準決勝第一試合の中止決定 (三塁前にできた「水たまり」)


 今日行われる予定だった第一試合、鳥羽対龍谷大平安の試合は2回雨天ノーゲームとなり、第二試合、京都外大西対福知山成美も中止となったため、翌日順延になりました。夏の大会で試合中の午前に大雨が降って試合が流れたことは意外で、夕方の通り雨で中断後、試合再開のパターンと違うことに驚きました。この1日が幻となったことは準決勝まで勝ち進んだ4校にとってどのような意味合いを持つことになるのでしょうか。


【鳥羽】

 8年ぶりの4強、鳥羽は西川投手が平安打線ちょうど一巡と対し、3安打1失点。紫野戦で204球を投じてから中一日の登板だったので、疲労感があるのは否めない。先発のマウンドに上がったことで、明日の登板まで丸々一日休んだことにはならず、平安打線はより容赦のない攻撃を仕掛けてくることは必至だろう。西川投手としては右打者への外の変化球を生かすためインサイドにボール球を投げ込みたい。西川投手の踏ん張り次第で秋山、小林、小椋のクリーンアップなど打線も活発化することが予想される。紫野の左腕・山田投手と対戦したことで、明日、平安が左の縄田投手を先発させてきたとしても、それほどの威圧感は感じないだろう。西川投手が踏ん張って紫野戦で身につけた粘りで後半勝負をかけたい。公立高校のハンデは見当たらない。


【龍谷大平安】

 6年ぶりの優勝を目指す平安は打線が好調で、西城陽戦、塔南戦で特に下位打線など右打者がセンターからライトへ打ち返したり、ここぞの場面では引っ張る打撃ができるところが魅力だ。塔南の好投手・森脇を攻略した自信も大きい。平安が勝つなら先制攻撃が大事だが、このチームは粘りの打撃がモットーで、終盤に追いつき勝ち越す集中打も期待できる。どちらにも対応できそうなところが強み。鳥羽の西川投手でも抑えきれる保障はどこにもない。今年は特に長打力も秘めている。しかし、投手力と言えば、疑問の残る平安だ。なぜ背番号1の縄田投手がこの準決勝の大一番で先発してこないのかが理由が不明なところ。3、4回を2年生酒居や出村で凌いで、試合を読みながら縄田に継投するパターンを想定している以外に答えが見つからない。明日縄田投手の先発完投ができるか、またできないとしたら、そこが弱みだと言えそうだ。しかし、優勝に対する飢餓感が平安を押し出すことに違和感はない。



【京都外大西】

 外大西は抜群の投手力、守備力、機動力といえる。特に投手陣の豊富さは随一。今大会は熊谷、満薗、中村、1年生佐藤と登板しているが、誰が明日先発しても無理がないようにも思えてしまう。打撃力の点で満薗投手を起用したいところだが、決勝を見据えるならばこれまで一番投げているエースをあえてリリーフに、の選択もありうる。成美の左打者を抑えるなら、左腕・中村先発が妥当とも思える。右の杉本、深瀬、福本、西元、岡上にはインサイドへの攻めが有効だろうか。打線は1番中川主将が不調な点が気になるが、3番辻、4番斎藤が鍵を握る。東山戦では尾崎がスタメン起用に3安打と気を吐いた。1年生の前田にもタイムリーが出て、特別に打撃力は目立たないが、選球眼で塁に出たり、転がす打球を打てるのが、相手守備の思わぬ失策、悪送球などにつながり得点できそうだ。7年連続ベスト4はこの辺が支えている。昨夏の大敗をばねに、3年生7人がチームを牽引し鼓舞できるかが見ものだ。


【福知山成美】

 3季連続の甲子園を目指す福知山成美はエース長岡の出来次第。今日1日休養できたところが吉と出るか。成美は北嵯峨、京都学園、花園、京都成章と接戦続きでさらにこれからも勝ち抜いていける力が残っているか疑問が残る。「京都の横綱」は不動と位置されているだけに、序盤の失点が打線にプレッシャーをかける可能性がある。「長岡は打てない」という説は徐々に崩れてきている。調子も今ひとつか。不用意な失策は避けたいところだ。打線は上向きで、昨夏ほどでないにしろ、昨秋に比べては長打力も期待できる。右打者もさることながら、左打者の田嶋、細野に期待が持てるのだが、中村投手が先発してくるようなら、それはそれで右打者が襲い掛かりそうだ。ここらで打線が奮起せず長岡頼りになりそうだと苦しくなる。しかし、優勝候補筆頭の呼び声が高い成美に特別な弱点は見つからない。ただそんなにうまくいくものなのかだけが気掛かりな点だが、先制点を挙げられれば勝機が見えてくる。







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第91回京都大会準決勝2回雨天ノーゲーム:龍谷大平安

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第91回京都大会準決勝2回雨天ノーゲーム:鳥羽

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第91回京都大会組み合わせ:24日(金)の結果

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第91回京都大会組み合わせ:23日(木)の結果

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京都共栄・植村監督のお話

●京都共栄・植村監督(29)のお話

 (3回戦で日星に2-4で敗退して)6回裏に盗塁を失敗したところが勝負を分けた。大きな流れを向こうに与えた。それまでは打ってアウトだったが、ランナーがアウトになったのは初めてだったから。(投手の)荻野は良かった。最終回は1年生の岡本(セフティバントや盗塁)が気持ちでいってくれた。バットを振る思い切りの良さもある。試合はよくできたが、自分がまだ監督2年目で無我夢中なので、記者の人に采配のことを聞かれてもはっきりと覚えていなかったり、試合中に自分が監督だということまで忘れてしまう時がある。でも歳が近いので一緒に戦うのがいかに大事か、声を出すことが大事かを彼らが勉強させてくれている。3年生には「お疲れ様」と言ってあげたい。




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第91回京都大会組み合わせ:準々決勝以降

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第91回京都大会組み合わせ&結果:4回戦以降

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立命館・西堀選手のお話

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●立命館・西堀選手(東城陽中)のお話

 (7回は敬遠気味に歩かされたが)ある程度はわかっていた。(1番打者に見えないが)元々の打順は3番で、7月5日の練習試合から1番になった。相手投手の配球を考えるタイプで、1番は単純に、楽に考えられ読みやすい。朝日新聞の座談会に上羽監督から「パンチ力がある」と自分の名前が挙がった。警戒されていたと思う。



●立命館・西堀選手のお父さんのお話

 試合が終わって、ダッグアウト横の通路で息子と出くわした。そのとき本人が「勝負してほしかった」と泣きながら漏らしてきたので私も思わず泣いてしまった。外大西は勝つためにやっているのはわからなくはないが、自分の息子のことになると…。7回の二死二塁で、全部外角に外してきた。南丹戦でのバント攻撃も…。敬遠策は、ある場面ではあると思うが…スポーツマンらしくフェアプレイを、と思わなくもない。息子を思えば思うほど残念でならない。


 (保護者会長として)中学のとき、息子が硬式をやっていたことで、父親として色々と考え、他とも比較したが、立命館に入学させてよかったと思う。立命館は伝統的にか子供たちも自分が出られなかったり、ケガしたとしてもやめようとせずに最後までいてくれたことがうれしい。生徒73人で今日は保護者の方たちが120人くらい来てくれて本当によかった。中学から上がって来ている子供が多いように思えるかもしれないが、高校で硬式を握るのは毎年10人以下くらい。


●立命館・西堀選手のお兄さん(大学院生)のお話

 試合の観点は父と一緒だ。最後8回ぐらいになって、今までの色んな積み重ねを思い出して涙が出そうになった。練習を観に行ったり、土日もこんなに(手で背丈を表現)小さい頃から一緒にキャッチボールしたり、練習していたのを思い出した。自分は中学の時は8番打者だったからか、父から高校で野球をするのを反対されたのでできなかった。だからこそ、弟には甲子園に行ってほしかった。






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立命館・中本投手のお話

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●立命館・中本投手(立命館中)のお話

 リリーフはなれてなかったが、プレッシャーはなかった。今日の調子は良かった。松川がピンチになればいけるように準備していた。まっすぐが速かったし、変化球も低めにいってたと思う。満塁で最後、高めに浮いてしまった。秋は肩を痛め、春先は調子を落とした。全員で気持ち良く戦えたし、負けた実感はない。上でも野球をやりたい。外大西に頑張って優勝してもらいたい。






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立命館・中村監督のお話

●立命館・中村監督(京教大)のお話

 (7回二死二塁のチャンスで西堀君が歩かされ悔しがっていると聞いたが)あの子が歩かされる展開は考えていた。自分が打てなくてもチームが勝たないと…。今まではつないで打てたときもあったが…。

 (左の松川君が先発について)松川、中本の二人で、と外大西戦に向けてやってきた。一人では勝とうと思っていなかった。左の松川を先に、右の中本を後にすることで勝とうと、相手にプレッシャーをかけたかった。

 (松川君の制球が悪かったが)固かった。これだけで評価されたくない、もっといい部分がある。(実力の)5割も出ていないし、もっといい球を放る。(中本は)春先から調子が悪かった。(二人共)上でやってほしいし、努力次第で伸びる。

 (試合で予定と違っていたのは)前半ビハインドで後半追いつくところが、前半の早い回で追いついたのが、違っていたといえば違った。(笑)向こう(外大西)もずっと本気で戦っていたが、先制点を取られても、後半勝負と思っていた。投手陣は粘り強く投げたが、5回までに同点になって…、もっと相手を追い詰めていく展開にしたかった。(満薗君に打たれた)満塁のあの場面は2ナッシングに追い込みながら、ボールが高めに浮いた。その前に四球で塁を埋めてしまった。攻撃面でいい当たりは正面をついたし、8回の松川のピッチャーゴロをうまく捕られたり、センターのダイビングキャッチも。その前にもサードのファインプレーもあった。

 (秋は準優勝だったが)秋は怖いものなしで、勢いだけでやってきたが、夏が本当の力。マークもされる。お互いががぶり四つの結果だ。もう終わりなのか、続けさせたかった。3回戦で終わりなのは…。今日のために精一杯準備していた。この試合がターニングポイントで、勝てたら次からは1回戦のつもりで戦うつもりだった。チームとしては負けた気がしていない。

 (外大西が負けるとしたら今日の予感もしたが)そう言ってもらえれば。環境が整っていない中でうまくやれる方法を模索しながらやっている。あのようなチームとこれだけの試合ができるのだから野球は面白い。指導者になることを考えて大学(京教大)に入った。強豪校の強いのを倒していきたい、と府立工や乙訓、京都成章らの監督といつも話している。







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京都外大西関係者のお話

●中川主将のお姉さんのお話

 高校の試合は今日初めて観に来ました。中学のときもほとんど観てません。(今日はノーヒットだったが)ヒットが出なかったのは私のせい。お姉ちゃんが見えて緊張していたと周りに言われたからもう来ません。(お姉さんもスポーツは何かしていたか)勉強一筋です。…冗談です。(笑)(ユーチューブで弟さんの動画が観られることに)ええっ?知りません。7つ年下だから、あまりしゃべらないけど、自慢の弟です。

http://www.youtube.com/watch?v=i6OWMw9i6HQ



●保護者Aさんのお話

 秋は立命館に0-5で負けた。春の西舞鶴戦が転機。西舞鶴、龍谷大平安戦で尾崎君が打ってくれた時から、チームに粘り強さが出てきたように思う。子供たちにあせりがなくなってきている。腰を据えて戦えるようになった。前までは9回あっても攻撃が4、5回しかないようだった。強い!いい試合ができるようになった。





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京都外大西・上羽監督のお話

●京都外大西・上羽監督(駒澤大)のお話

 (投手の継投について)考えてはいたが、試合の流れであんな風(満薗君の完投)になった。

 (試合を振り返って)苦しいけれども、それはいいことでもある。

 (立命館は左の松川君が先発だったが)外大西は左ばっかりなので。もちろん右の中本君ではなく左の松川君が投げてくることも想定していた。だから読み間違いということでもない。



 (外大西出身の投手が活躍していることに)大野(佛大)や北岡(立命館大)、新開(三菱自動車京都ダイヤフェニックス)も西村(同志社大)も本当にうれしいこと。特に控えだった子が頑張ってくれて非常にありがたいことだ。高校時代からまじめに頑張っていた。頑張っていればいつ花が咲くかわからないことを証明してくれた。






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第91回京都大会3回戦:立命館 2-3 京都外大西

■京都外大西、秋のリベンジ  昨秋準優勝、立命館姿消す

★第91回京都大会3回戦:立命館 2-3 京都外大西

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京都外大西 7回裏二死満塁

7番満薗君がライト前に勝ち越しのタイムリーヒットを打ちました
(立命館 2- 京都外大西)
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第91回京都大会組み合わせ&結果:4回戦以降

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第91回京都大会3回戦:西城陽 9-5 福知山

■西城陽、17安打9得点で快勝  福知山、5安打5得点も実らず

★第91回京都大会3回戦:西城陽 9-5 福知山

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西城陽 5回表二死一塁

7番大本君が左翼線にタイムリーツーベースヒットを放ちました
(西城陽 -3 福知山)
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第91回京都大会組み合わせ:4回戦以降

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第91回高校野球京都大会3回戦までの組み合わせ&結果

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第91回京都大会組み合わせ:4回戦以降

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第91回高校野球京都大会組み合わせ&結果

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