『唯我独尊』~佛教大・大野雄大投手 vol.1
佛教大・大野雄大投手(3年) 1988年(昭和63年)9月26日京都市生まれ
左投げ左打ち 182cm73kg
背筋力200キロ 握力左右60キロ 遠投115メートル 50メートル 6秒2
小学5年から修道スポーツ少年団で野球を始める。藤森中では3年夏に京都市大会で優勝。京都外大西高では2年夏の甲子園で準優勝(登板なし)を経験する。3年春の選抜大会では、先発としてマウンドに上がった。佛教大入学後、春季リーグ開幕試合にリリーフとして登板。3年からエースに。リーグMVP2回(最優秀投手1回・ベストナイン2回)。11月初めに行われた関西地区大学野球選手権大会で優勝し、MVPを獲得する活躍を見せた。明日14日開幕の明治神宮大会に出場。来秋のドラフト候補の一人として注目を浴びている。
※インタビューは8月下旬に行いました。
―インタビュー、よろしくお願いします。いきなりですが、高校時代を観戦していてバッティングもいいと思っていたのですが、京滋大学野球リーグはDH制で打席に立つことがありませんね。
こちらこそ、よろしくお願いします。バッティングは好きです。秋の関西選手権に出場すれば打席に立つことになりますので楽しみにしています。
―背番号が19番ですね。思い入れとかありますか?
特にはありません。入部当初は13番で、2年春にこの番号が空きましたので(投手として)ええ番号やなあと思ってもらいました。
―小学生のときからピッチャーだったのですか?
学童野球チームの中では既に投手は決まっていましたし、左利きということでライトかファーストを守っていました。冬の寒い練習の時に、ドッチボールをすることがあって、投げる球が速いということから監督に投手の指名をされました。けれど、思い通りにストライクが入らなくて四球ばかりでした。少年野球の監督は熱血漢タイプで、「思いっきり(力いっぱい)投げろ!」とよくベンチからマウンドまで声が飛んで来ました。「腕を振れ!」ということだったんですけど、どうもノーコンから脱出できませんでした。監督は、すごく恐い存在でしたけど、野球を基本から教えてくれました。それまでのどの遊びよりも楽しくて、のめり込むほど野球を好きにさせてくれた人でもあります。
―今は四球で自滅するようには見えませんね。
ストライクが入るようになり始めたのは、中学2年で自主トレをするようになってからです。毎晩、野球部の仲間3人で、素振りやランニングをしていました。始めは遊びの感覚でやっていたと思いますが、たまたま同じように自主練で走っている先輩の姿を数回見かけるようになり、自然と取り組む気持ちも変わって行きました。一緒に自主トレが出来る仲間がいたこと、真剣に取り組む先輩がいてくれたことで自分も成長出来たと思います。
―中学では府大会で優勝されてますね。
中2の夏は京都市大会、京都府大会も共に優勝でした。メンバーに入っていましたが登板はなかったです。中3の夏はエースで市大会に優勝しました。準優勝チームの西賀茂中と一緒に府大会に進みましたが、藤森中は1回戦で峰山中に負け、西賀茂中は優勝しました。西賀茂中のエースは後に西高でチームメイトとなる林一茂(大阪ゴールドビリケーンズ)です。
―藤森中は今でも強いですね。関西学院大の萩原選手(1年、大阪桐蔭高)ともプレーしたことがあるのですか?
この夏も市大会でベスト4だったそうです。当時の監督は、今でもまだ指導されています。体育の先生で元々は水泳の指導をされていましたが、野球の知識は豊富でした。萩原君は小中共に同じ学校でしたが、一緒にやったことはないです。彼は硬式のチームだったと思います。
―中学のとき憧れていた投手はいますか?
平安の服部さんです。中3のときダルビッシュとの対戦を観て憧れました。その後、たまたま河原町で見かけたことがあって、「有名人!」と思うせいかオーラを感じました。
―中学で実績を残して、高校は京都外大西に入学されましたね。
公立で実力のある「鳥羽高に行きたい」と顧問の先生に志願してセレを受けました。それと外大西の三原監督が中3の春ぐらいから僕を観ていてくれたそうで、推薦の話をいただきました。でも、当時は高校野球のことを何も知らず、正直、“京都外大西”と言われても自分の中では、ピンときませんでした。顧問の安江先生から三原監督の今までの実績や功績を聞き「すごい人やから」と勧めて下さり、お世話になることにしました。一緒の西高へ行くことになった同級生の吉田は、一年の秋からレギュラーで3番を打って活躍していました。3年では4番で主将でした。
―軟式から硬式へ。今まで故障したことはないのですか?
中3の夏は連投が続き、引退した頃に肘を痛めました。それでも手術する必要もなくて引退から高校入学までのオフ期間で自然治癒しました。軟式から硬式になっても僕の場合は特に問題はありませんでした。引退してから硬式球を投げて徐々に慣らしたことが良かったのかもしれません。
―京都外大西は毎年投手陣がすごいという印象です。練習では相当投げるのですか?
高校では毎日ピッチングで100球から150球は投げていました。登板する試合3日前だと100球、2日前だと50球、前日は30球前後くらい投げます。投手は1学年10人弱でした。
―試合で投げ始めたのは?硬式出身者との違いを感じましたか?
1年秋の練習試合からです。硬式出身で同学年は北岡(立命大)や平林(同志社大)、中川(関大)が南山城ドラゴンズで、最初からうまいと感じました。他にもセンスのある選手が多かったけど、あんまり気にしてなかったです。
―軟式出身は?
主力では西賀茂中出身の林(大阪ゴールドビリケーンズ)や主将だった西田ですね。藤森中は4つの小学校から生徒が集まるマンモス中学校だったので、グラウンドも広く、顧問の先生が監督以外にも5人もいて指導も充分に受けられましたし、前にも触れた通り、先輩や仲間にも恵まれ練習する環境が整っていて、総合的にとても良かったと思います。
―藤森中は強いですが、実力者がいたのですか?
特に飛び抜けた実力者はいませんでしたが、チーム力はあったと思います。中学での一番の思い出として残っているのは、3年の夏の初戦の試合。その試合は(ピッチングが)大荒れで大量失点し、最終回を迎えたところで、1-7と大差で負けていました。先攻で2死になった時、「あと1死...これで中学野球は引退か」と頭をよぎりました。でも、そこからバッターがねばり8点取って逆転したんです。逆転した裏に1点返されましたけれど、逃げ切って奇跡的(神がかり的)に勝つことが出来ました。その後もチーム力でトーナメント戦を勝ち進み、初戦敗退しかけたチームが優勝まで出来たことは今でも心に残る凄い夏の思い出です。ちなみに初戦の高野中には、西山(京都成章―立命大)や、ベンチには1つ下の西村(京都外大西―同志社大)がいました。
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佛教大・大野雄大投手(3年) 1988年(昭和63年)9月26日京都市生まれ
左投げ左打ち 182cm73kg
背筋力200キロ 握力左右60キロ 遠投115メートル 50メートル 6秒2
小学5年から修道スポーツ少年団で野球を始める。藤森中では3年夏に京都市大会で優勝。京都外大西高では2年夏の甲子園で準優勝(登板なし)を経験する。3年春の選抜大会では、先発としてマウンドに上がった。佛教大入学後、春季リーグ開幕試合にリリーフとして登板。3年からエースに。リーグMVP2回(最優秀投手1回・ベストナイン2回)。11月初めに行われた関西地区大学野球選手権大会で優勝し、MVPを獲得する活躍を見せた。明日14日開幕の明治神宮大会に出場。来秋のドラフト候補の一人として注目を浴びている。
※インタビューは8月下旬に行いました。
―インタビュー、よろしくお願いします。いきなりですが、高校時代を観戦していてバッティングもいいと思っていたのですが、京滋大学野球リーグはDH制で打席に立つことがありませんね。
こちらこそ、よろしくお願いします。バッティングは好きです。秋の関西選手権に出場すれば打席に立つことになりますので楽しみにしています。
―背番号が19番ですね。思い入れとかありますか?
特にはありません。入部当初は13番で、2年春にこの番号が空きましたので(投手として)ええ番号やなあと思ってもらいました。
―小学生のときからピッチャーだったのですか?
学童野球チームの中では既に投手は決まっていましたし、左利きということでライトかファーストを守っていました。冬の寒い練習の時に、ドッチボールをすることがあって、投げる球が速いということから監督に投手の指名をされました。けれど、思い通りにストライクが入らなくて四球ばかりでした。少年野球の監督は熱血漢タイプで、「思いっきり(力いっぱい)投げろ!」とよくベンチからマウンドまで声が飛んで来ました。「腕を振れ!」ということだったんですけど、どうもノーコンから脱出できませんでした。監督は、すごく恐い存在でしたけど、野球を基本から教えてくれました。それまでのどの遊びよりも楽しくて、のめり込むほど野球を好きにさせてくれた人でもあります。
―今は四球で自滅するようには見えませんね。
ストライクが入るようになり始めたのは、中学2年で自主トレをするようになってからです。毎晩、野球部の仲間3人で、素振りやランニングをしていました。始めは遊びの感覚でやっていたと思いますが、たまたま同じように自主練で走っている先輩の姿を数回見かけるようになり、自然と取り組む気持ちも変わって行きました。一緒に自主トレが出来る仲間がいたこと、真剣に取り組む先輩がいてくれたことで自分も成長出来たと思います。
―中学では府大会で優勝されてますね。
中2の夏は京都市大会、京都府大会も共に優勝でした。メンバーに入っていましたが登板はなかったです。中3の夏はエースで市大会に優勝しました。準優勝チームの西賀茂中と一緒に府大会に進みましたが、藤森中は1回戦で峰山中に負け、西賀茂中は優勝しました。西賀茂中のエースは後に西高でチームメイトとなる林一茂(大阪ゴールドビリケーンズ)です。
―藤森中は今でも強いですね。関西学院大の萩原選手(1年、大阪桐蔭高)ともプレーしたことがあるのですか?
この夏も市大会でベスト4だったそうです。当時の監督は、今でもまだ指導されています。体育の先生で元々は水泳の指導をされていましたが、野球の知識は豊富でした。萩原君は小中共に同じ学校でしたが、一緒にやったことはないです。彼は硬式のチームだったと思います。
―中学のとき憧れていた投手はいますか?
平安の服部さんです。中3のときダルビッシュとの対戦を観て憧れました。その後、たまたま河原町で見かけたことがあって、「有名人!」と思うせいかオーラを感じました。
―中学で実績を残して、高校は京都外大西に入学されましたね。
公立で実力のある「鳥羽高に行きたい」と顧問の先生に志願してセレを受けました。それと外大西の三原監督が中3の春ぐらいから僕を観ていてくれたそうで、推薦の話をいただきました。でも、当時は高校野球のことを何も知らず、正直、“京都外大西”と言われても自分の中では、ピンときませんでした。顧問の安江先生から三原監督の今までの実績や功績を聞き「すごい人やから」と勧めて下さり、お世話になることにしました。一緒の西高へ行くことになった同級生の吉田は、一年の秋からレギュラーで3番を打って活躍していました。3年では4番で主将でした。
―軟式から硬式へ。今まで故障したことはないのですか?
中3の夏は連投が続き、引退した頃に肘を痛めました。それでも手術する必要もなくて引退から高校入学までのオフ期間で自然治癒しました。軟式から硬式になっても僕の場合は特に問題はありませんでした。引退してから硬式球を投げて徐々に慣らしたことが良かったのかもしれません。
―京都外大西は毎年投手陣がすごいという印象です。練習では相当投げるのですか?
高校では毎日ピッチングで100球から150球は投げていました。登板する試合3日前だと100球、2日前だと50球、前日は30球前後くらい投げます。投手は1学年10人弱でした。
―試合で投げ始めたのは?硬式出身者との違いを感じましたか?
1年秋の練習試合からです。硬式出身で同学年は北岡(立命大)や平林(同志社大)、中川(関大)が南山城ドラゴンズで、最初からうまいと感じました。他にもセンスのある選手が多かったけど、あんまり気にしてなかったです。
―軟式出身は?
主力では西賀茂中出身の林(大阪ゴールドビリケーンズ)や主将だった西田ですね。藤森中は4つの小学校から生徒が集まるマンモス中学校だったので、グラウンドも広く、顧問の先生が監督以外にも5人もいて指導も充分に受けられましたし、前にも触れた通り、先輩や仲間にも恵まれ練習する環境が整っていて、総合的にとても良かったと思います。
―藤森中は強いですが、実力者がいたのですか?
特に飛び抜けた実力者はいませんでしたが、チーム力はあったと思います。中学での一番の思い出として残っているのは、3年の夏の初戦の試合。その試合は(ピッチングが)大荒れで大量失点し、最終回を迎えたところで、1-7と大差で負けていました。先攻で2死になった時、「あと1死...これで中学野球は引退か」と頭をよぎりました。でも、そこからバッターがねばり8点取って逆転したんです。逆転した裏に1点返されましたけれど、逃げ切って奇跡的(神がかり的)に勝つことが出来ました。その後もチーム力でトーナメント戦を勝ち進み、初戦敗退しかけたチームが優勝まで出来たことは今でも心に残る凄い夏の思い出です。ちなみに初戦の高野中には、西山(京都成章―立命大)や、ベンチには1つ下の西村(京都外大西―同志社大)がいました。
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2010春季一部リーグ勝敗
順位 チーム 試合 勝 負け 引 勝点 勝率
1 佛教大 12 10 2 0 5 .833
2 京学大 12 9 3 0 4 .750
3 大谷大 13 6 7 0 3 .462
4 花園大 15 5 9 1 1 .357
5 京教大 14 5 9 0 1 .357
6 びわスポ 14 4 9 1 1 .308
最優秀選手賞 大野雄大
ベストナイン投手 大野雄大
投手ベスト7
試合 勝 負 回数 1. 大野雄大(佛教大4) 8 7 1 66
2. 瀬良駿介(京教大3) 7 3 2 48⅓
3. 白濱尚樹(京学大1) 6 1 0 22
4. 桐木陽介(大谷大3) 9 4 2 56⅓
5. 松下剛史(花園大4) 9 4 1 54
6. 増田竜也(大谷大4) 7 1 3 26⅔
7. 浦本翔斗(びわスポ3) 10 1 5 56⅔