『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.2


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―誰かライバルらしき人がいたのですか?

いいえ、高校から大学に行って野球を続けたのは1人か2人で、高校時代にライバルというような人はいませんでした。


―大学は京都の大学に入学されます。

大学は、高校を選ぶときと同じで行けるところに行ったという感じです。入れそうな大学へ。地元だと先輩がいるのでそこへは行きたくなくて、あまりいいイメージもなかったので。


―そのときの京都学園大の印象については?

そこそこ強い大学じゃないかなあと。一つ年上で二つ学年が上の梅原さん(金光大阪高―広島カープ―徳島インディゴソックス)が広島カープにドラフト3位で指名されるのですが、その前より「プロ注目」と大学野球の雑誌で何か見たのがきっかけじゃなかったですかね。どうだったかな(苦笑)。


―浪人していたのですか?

はい。福岡の大学を受験したのですが…落ちてしまって。予備校に行っていたわけではなくて中3のときに教えてもらっていた家庭教師に付いてもらいました。京都学園大は監督さんもよかったし、グラウンドもきれいで。何より京都はいいイメージがありました。


―失礼ですが、学園大では目立って活躍がなかったようなのですが。

亀岡に住んで、3年の春にはベンチ入りしましたが、3年の途中で退部しました。大学は卒業しました。


―確か宮内投手(大阪学院高―京学園大―新日鐵広畑)と同世代ぐらいなのでは?

宮内君は1つ年下だけど同級生でした。チームの中ではすごかったです。


―春のリーグ戦で佛教大に勝って、全日本大学野球選手権で神宮に行かれましたよね?

はい。でも、神宮では1回戦で名城大に1-4で負けました。清水投手(中日)がすごかったという記憶があります。確か13奪三振だったと思います。


―大学野球はあまり面白くなかったですか?

大学3年までベンチに入りたくなかったのです。


―詳しく教えてください。

ストレートを磨いて、3年から実践していこうという考えだったのです。今から考えれば無駄だったと思うのですが、体を作ってから勝負をしたかったという思いです。


―何か理由があったのですか?

練習が終わってからでも高槻でトレーニングしていました。とりあえずストレートを速くしたいという課題があって…。


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―どういうことですか?

高校3年の夏休みに鳥取のジムに行ったのですが、フォームを改造すると球が速くなったのです。


―鳥取というのは…、初動負荷の?

はい。初動負荷論の小山さんのジムです。小山さんに会って指導を受けたところ、すぐにストレートのMAXが10キロくらい速くなったのです。


―高3の夏は126キロだったということは、136キロになったのですか?

はい。1週間で10キロ速くなりました。


―何がポイントだったのですか?

ほとんど体重移動のやり方です。コツを掴んだら簡単でした。トレーニングというよりはフォームの改造で良くなったのですが、いいフォームを作るためにトレーニングがあります。鳥取のジムに行けば、絶対に球が速くなるとは言い切れませんが、プロの選手や多くの大学生、高校生が通っています。


―これまでに誰かプロの有名な選手に会ったことがあるのですか?

山本昌(中日)さんや岩瀬(中日)さんにあいさつしたくらいですが(笑)、藤井(今週日ハムから巨人へ)さんも見たことがあります。


―この高槻でわざわざトレーニングする理由はそれですね?

詳しくはわかりませんが、最初に小山さんが高槻市にマシンを提供したかアドバイスしたと聞いています。


―なるほど。それでそのトレーニングが日課のようになっていると。

トレーニングを積んでフォームを変えていけば、ストレートが速くなると思ったのですよね。だから大学では自分の思うよりも早くベンチに入っちゃうと自分の練習ができないし、ストライクを投げないといけないし、変に他のトレーニングをしたくなかったのですよ。フォームをどんどん変化させていきたかった時期でした。


―それこそ同級生で活躍し出した宮内投手に対するあせりとかなかったのですか?

特になかったですね。1、2回生のキャンプのときは、監督にわざと「ケガで投げられない」と言っていたくらいでした。


―ちょっと驚きです(苦笑)。

そうかもしれませんね。それで、試合で投げられるようになって、3年春にベンチに入ったのですが、公式戦の試合に寝坊して集合時間に2時間も遅刻してしまって外されてしまいました。


―それが辞めた原因につながるのですね?

…目標が違っていたのでしょうね。監督や先輩、周りの人と考え方も方向性も違っていました。自分の先行きやプロとかに関心があって、プロに行きたいから野球をやっていて、選手権に勝ちたいという気持ちではなく、冷めた自分がいましたね。練習も試合も面白くなかった。自分では集団行動が苦手で、個人種目の方が合っているとは思います。


―まあ、強いて言えばピッチャーは個人種目に感じないでもないですが。

明確には覚えていませんが、ベンチを外されて、そこから秋も全然投げさせてもらえなくなりました。3年秋のリーグが終わったくらいにもそれまでにも何回かそういう集団行動的なことを言われたことがあって…。


―それで退部することになるのですね。

夏くらいからファイアーバーズの話を聞いていたのでそっちに行こうかなと思いました。退部して、冬からファイアーバーズにお世話になることになりました。


つづくvol.3へ