『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.1

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大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 1984年6月6日生まれ(25歳)

広島工業大高―京都学園大―京都ファイアーバーズ

181cm 79kg 右投げ右打ち B型 背番号14

広島市出身、大阪市住之江区在住



社会人クラブチーム・京都ファイアーバーズからトライアウトを経て、今年始動した関西独立リーグの大阪ゴールドビリケーンズにドラフト1位で入団する。大阪市内のミズノ本社で行われた4球団合同ユニフォーム発表会に出席。女性初のプロ野球選手、吉田えり投手の初登板が話題で、観衆1万人を集めた3月27日の開幕戦では大阪の開幕投手を務めた。今シーズンは9勝4敗、防御率3.06の成績を残し、大阪を初代年間優勝に導いた。しかし、大阪は関西独立リーグを脱退。来年は三重スリーアローズと2球団で、JFL(ジャパン・フューチャーベースボールリーグ)をスタートさせる。
 

※インタビューは11月23日に行いました。



―よろしくお願いします。なぜここ高槻でトレーニングしているのですか?

こちらこそ、よろしくお願いします。いつもは難波にある民間の会員制ジムでトレーニングするのですが、月曜日がお休みなので、今日はここに来ています。


―随分時間をかけたトレーニングですね。

特別メニューなんです。費用は全部で月1万円くらいはかかりますね。空いている日はなるべくトレーニングしています。マシンが置いてあるのでここまで来ます。


―大阪の住之江区にお住まいですが、他の選手も大体そうなのですか?

そうですね、半分くらいは住んでいるんじゃないでしょうか?地方から来た人は、みんなバラバラで同じマンションではないですが。大阪在住の人は実家通いです。


―遠征の際は移動が大変ですね。

住之江公園野球場なら自転車で行けるのですが、和歌山や明石に行く時はバスが出ます。自分で行く時は、交通費は自己負担になるので、ガソリン代はもちろん高速料金と駐車料金がかかります。万博公園なんかは1200円もかかります(苦笑)。なので乗り合わせていくこともあります。


―普段の練習は?

試合のない日は堺市で練習します。朝から昼までです。


―残念ながら、大阪は給料カットで月給8万円になりましたね。

7月からそうなりました。最初はアルバイトはしてはいけないことになっていましたが、8月からよくなりました。でも、働いているのは1人か2人くらいです。


―契約上、問題はないのですか?2010年は月給が8万円プラス出来高払いになり、8ヶ月の支払いが2ヶ月短縮になるようですが。

今のところは払えないけど、今後少しずつでも支払ってくれる方針だそうです。家族から仕送りのある人はいいですが、相当苦労している人もいます。一応、仕送りをもらっているので、僕は恵まれています。


―いつ給料が半分になることを知りましたか?

それが…ニュースの方が早くて、親から連絡がありました。「もし、そうなったら送るから」と言ってくれました。


―ご両親は息子さんに理解がありますね。どんな方ですか?

親は放任主義で教育されたというような記憶がありません。たまに「ちゃんとご飯を食べているか?」と言われるぐらいで、協力的してもらっていますし、応援もしてくれています。広島から3、4回来てくれました。父親は特に熱心ですかね。


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―子供の頃は少年野球をしていたのですか?

少年野球はしていません。野球は遊びでするぐらいで本格的にはしてなかったです。小学校でソフトボールのチームに3か月だけ入っていましたが、理由も覚えてないけどやめました。そのチームは強くて、野球ではなくみんなソフトをしていた印象です。中学から野球を始めて、軟式野球部に入っていました。


―広島出身ということはカープファンですか?

そうですね。小学1年のときに広島カープが優勝して以来ですね。大野豊さんが好きで、憧れていました。独特なフォームでかっこよかったです。


―中学時代は?

ピッチャーとセカンドをしていました。全学年合わせて30人くらいで強くはありませんでした。広島市の大会では1回戦で負けるくらいのレベルでした。エースではなくて、公式戦ではセカンドで出ていました。エースは横浜から引っ越してきた子で、球が速かったです。高校は広島商に行きましたが、途中でやめたそうです。


―高校は広島工業ですか?甲子園に出たこともありましたかね?

それは県立の工業高校ですね。5回ぐらい甲子園に行っていると思います。阪神の新井さんの出身校です。僕は私立の広島工業大高校です。野球がやりたかったので、本当は広島商に行きたかったのですが、練習などが厳しいという話も聞いてて、受験しましたが…、勉強ができない面もあったので。そのときは強豪の広陵を知らなかったほどで…。


―工業科なのですか?高校の練習は厳しかったですか?

いや、普通科です。練習も普通と思います。公式戦のベンチには1年の秋に入りました。投手の中では球は速い方で、マックスは124キロぐらいですが、監督から期待されていました。でも、コントロールは悪くて試合には出られませんでした。


―高校での活躍は?

初回に四球を3つ出したり暴投したりで、信用の問題がありましたね。3年間公式戦で投げたのは、中継ぎで2試合のみです。しかも、春と秋の話で敗戦処理に近かったというか…、だから夏は全く投げていません。


―厳しい時代だったんですね。

3年夏の3か月前から本当にストライクが入らなくて、1回に1個か2個は必ず四球を出すくらいの感じだったので、エースでは投げられないなあと思っていました。最後の夏は1回戦で、1-2で負けました。


―その高校は強かったのですか?

練習試合ではコールドで勝った相手なのに…。公立では中の下くらいでしょうか。これに勝ったら如水館と試合ができる、強いチームと試合ができると勝つ気満々だったのですが、まさかの1回戦負けでした。


―野球をここでやめようとは思いませんでしたか?

野球は当たり前のように次も続けようと思っていました。…根拠はないけど、自信だけはありました。いつかプロになると。


―背番号は10ですか?

背番号は11でした。背番号10は2年生でした。


―この夏の広島の優勝校は?

広陵です。巨人の西村投手が2年でした。決勝を観に行ったのを思い出しました。



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