『唯我独尊』~東山高軟式野球部・牧紘平主将(捕手) vol.2
―そして、東山高に入学されます。印象はありましたか?
男子校だというイメージくらいで(笑)。軟式があるのも知りませんでした。
―最初は硬式野球部に入っておられたと聞きました。
はい。当時は尾迫監督の1年目でした。国語の先生なんですが、野球がすごくうまくて。佛教大時代は京滋大学野球リーグで4年のときに右打者で首位打者を獲って、遊撃手でベストナインに選ばれ、最優秀選手賞で表彰されたそうです。
その時代は神宮で活躍した近大の黄金期でした。二岡(広陵―日ハム)、藤井(近大附属―近鉄、楽天)、宇高(PL学園―近鉄―横浜、引退)がいて強かったです。尾迫監督は岡島さん(巨人―日ハム―レッドソックス)が3年のときの1年生で、ソフトバンクの斉藤さん(南京都)と同期ですね。(西川監督談)
※1997年に近大は史上初のアマチュア五冠を達成した。(関西学生春のリーグ戦、秋のリーグ戦、全日本大学野球選手権、明治神宮大会、社会人選手権優勝チームとの全日本アマチュア野球王座決定戦の五大会で優勝)
―1年夏の東山の戦績は?
ベスト16で南丹に負けました。西京極ではスタンドで応援していました。
―いつ頃退部されたのですか?
10月頃です。色々あって…。ずっと軟式に行きたかったです。一歩を踏み出すタイミングだけでした。
―硬式から軟式野球部に入るのに抵抗はなかったですか?
同じクラスだった軟式野球部の杉本君(京都ファイアーバーズ)が親しみやすくて仲が良かったのですが、軟式野球部のことをよく話してくれて…。やりたくない野球をやっていても面白くないし…。思い切って親に話してみました。
―硬式の東山は楽しくできませんでしたか?
入学したての1年春は府大会で準優勝でした。立命館が優勝だったのですが、応援するのが好きで、その大会はむっちゃ楽しかったです。でも、決勝で大敗してしまったのです。…それからちょっとずつ意識も変わってきて…。
―どう変わってきたのですか?
…野球に対する厳しさならよかったのですが、そうではなかったので。
―良かったら話してくれませんか?
…辞める直前のことなんですが、新チームが始まって1年対2年で紅白戦をしたのです。そしたら1年が勝ってしまって…。みんないいプレーしたのです。
―なるほど。それで何かあったわけですか?
…別に暴力があったわけではないですけれども、活躍した人が集められたりして…。いい人もいるがひねくれた人もいましたね。
―……書いてもいいですか?
はい、むしろ書いてもらいたいくらいです。そのために言うのですから。
―わかりました。いじめではないけど不本意だったということですね。
はい、そんな感じです。先輩が厳しいのは当たり前やけど、何か違うやろと…。それが主な理由です。
―いつ軟式野球部に?
10月からです。硬式とは雰囲気が違って、純粋に楽しかったです。毎年2、3人くらい硬式から軟式へ移っているようですし、あまり抵抗もなかったし、あまり変わらなかったです。割とみんなと仲がよかったですし。自然な流れとも思います。でも、硬式をやっていなかったら、今の自分はないと。
―硬式で仲の良かった人は?
主将の吉田君とは仲が良くてよくしゃべる関係でした。
―硬式でどんなことを学びましたか?
基礎練習ですね。キャッチボールのやり方など、一から硬式で教えてもらって、キャッチャーのことや技術面でも知らなかったことを教えてもらいました。
―例えばどんなことですか?
配球やピッチャーの考え、試合展開のことですが、それまであまり考えたことがなかったです。
―もう少し詳しくお願いします。
配球ではカウントの作り方です。バッターが上位なのかクリーンアップなのかなど、状況に応じて変えることの大事さです。それは軟式でも同じです。そういうことを覚えようと思ったきっかけになりました。
―そこにおられるので恥ずかしいかもしれませんが、西川監督と出会って高校での軟式が始まるわけですね?
西川先生は31歳で、選手目線で考えてくださるし、考え方も若いので僕らもやりやすいです。とにかく何でも話をしています。
―硬式の尾迫監督は32歳ですよね?
硬式は100人くらいいますし、レギュラーの方にいることが多かったから関わりがなかったです。だから監督の考えも1年だったのでわかりにくかったという気がします。
―軟式野球部は何人くらいですか?
1年から3年までで夏前の時期で20人くらいです。だから、西川監督も一人ひとりに気を配れるし、野球から離れても歳が近いので話も聞いてくれます。もちろん野球の時は一線を引くけじめはがっちりつけていますが。エースの森本とのコミュニケーションの取り方など軟式をやっていないとわからないことを教えてもらいました。
―西川先生は社会や体育の先生なのですか?
いえ、他の仕事をもっておられます。東山軟式野球部のOBなのですが、仕事が終わってから練習に来てくださっているので頼もしいです。
―他に指導して下さるのですか?
坪井部長ですね。西川先生に比べると来られませんが、数学の先生で監督の同い年です。仲はいいですけど、二人が敬語で話しているので面白いです(笑)。やっぱりタメ口で話そうか、ということになったらしいですが、やっぱり違うかったみたいで一日で戻りました(笑)。
つづくvol.3へ
―そして、東山高に入学されます。印象はありましたか?
男子校だというイメージくらいで(笑)。軟式があるのも知りませんでした。
―最初は硬式野球部に入っておられたと聞きました。
はい。当時は尾迫監督の1年目でした。国語の先生なんですが、野球がすごくうまくて。佛教大時代は京滋大学野球リーグで4年のときに右打者で首位打者を獲って、遊撃手でベストナインに選ばれ、最優秀選手賞で表彰されたそうです。
その時代は神宮で活躍した近大の黄金期でした。二岡(広陵―日ハム)、藤井(近大附属―近鉄、楽天)、宇高(PL学園―近鉄―横浜、引退)がいて強かったです。尾迫監督は岡島さん(巨人―日ハム―レッドソックス)が3年のときの1年生で、ソフトバンクの斉藤さん(南京都)と同期ですね。(西川監督談)
※1997年に近大は史上初のアマチュア五冠を達成した。(関西学生春のリーグ戦、秋のリーグ戦、全日本大学野球選手権、明治神宮大会、社会人選手権優勝チームとの全日本アマチュア野球王座決定戦の五大会で優勝)
―1年夏の東山の戦績は?
ベスト16で南丹に負けました。西京極ではスタンドで応援していました。
―いつ頃退部されたのですか?
10月頃です。色々あって…。ずっと軟式に行きたかったです。一歩を踏み出すタイミングだけでした。
―硬式から軟式野球部に入るのに抵抗はなかったですか?
同じクラスだった軟式野球部の杉本君(京都ファイアーバーズ)が親しみやすくて仲が良かったのですが、軟式野球部のことをよく話してくれて…。やりたくない野球をやっていても面白くないし…。思い切って親に話してみました。
―硬式の東山は楽しくできませんでしたか?
入学したての1年春は府大会で準優勝でした。立命館が優勝だったのですが、応援するのが好きで、その大会はむっちゃ楽しかったです。でも、決勝で大敗してしまったのです。…それからちょっとずつ意識も変わってきて…。
―どう変わってきたのですか?
…野球に対する厳しさならよかったのですが、そうではなかったので。
―良かったら話してくれませんか?
…辞める直前のことなんですが、新チームが始まって1年対2年で紅白戦をしたのです。そしたら1年が勝ってしまって…。みんないいプレーしたのです。
―なるほど。それで何かあったわけですか?
…別に暴力があったわけではないですけれども、活躍した人が集められたりして…。いい人もいるがひねくれた人もいましたね。
―……書いてもいいですか?
はい、むしろ書いてもらいたいくらいです。そのために言うのですから。
―わかりました。いじめではないけど不本意だったということですね。
はい、そんな感じです。先輩が厳しいのは当たり前やけど、何か違うやろと…。それが主な理由です。
―いつ軟式野球部に?
10月からです。硬式とは雰囲気が違って、純粋に楽しかったです。毎年2、3人くらい硬式から軟式へ移っているようですし、あまり抵抗もなかったし、あまり変わらなかったです。割とみんなと仲がよかったですし。自然な流れとも思います。でも、硬式をやっていなかったら、今の自分はないと。
―硬式で仲の良かった人は?
主将の吉田君とは仲が良くてよくしゃべる関係でした。
―硬式でどんなことを学びましたか?
基礎練習ですね。キャッチボールのやり方など、一から硬式で教えてもらって、キャッチャーのことや技術面でも知らなかったことを教えてもらいました。
―例えばどんなことですか?
配球やピッチャーの考え、試合展開のことですが、それまであまり考えたことがなかったです。
―もう少し詳しくお願いします。
配球ではカウントの作り方です。バッターが上位なのかクリーンアップなのかなど、状況に応じて変えることの大事さです。それは軟式でも同じです。そういうことを覚えようと思ったきっかけになりました。
―そこにおられるので恥ずかしいかもしれませんが、西川監督と出会って高校での軟式が始まるわけですね?
西川先生は31歳で、選手目線で考えてくださるし、考え方も若いので僕らもやりやすいです。とにかく何でも話をしています。
―硬式の尾迫監督は32歳ですよね?
硬式は100人くらいいますし、レギュラーの方にいることが多かったから関わりがなかったです。だから監督の考えも1年だったのでわかりにくかったという気がします。
―軟式野球部は何人くらいですか?
1年から3年までで夏前の時期で20人くらいです。だから、西川監督も一人ひとりに気を配れるし、野球から離れても歳が近いので話も聞いてくれます。もちろん野球の時は一線を引くけじめはがっちりつけていますが。エースの森本とのコミュニケーションの取り方など軟式をやっていないとわからないことを教えてもらいました。
―西川先生は社会や体育の先生なのですか?
いえ、他の仕事をもっておられます。東山軟式野球部のOBなのですが、仕事が終わってから練習に来てくださっているので頼もしいです。
―他に指導して下さるのですか?
坪井部長ですね。西川先生に比べると来られませんが、数学の先生で監督の同い年です。仲はいいですけど、二人が敬語で話しているので面白いです(笑)。やっぱりタメ口で話そうか、ということになったらしいですが、やっぱり違うかったみたいで一日で戻りました(笑)。
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