『唯我独尊』~兵庫スイングスマイリーズ・小西美加投手 vol.1
兵庫スイングスマイリーズ・小西美加投手
1983年4月18日生まれ(26歳) 166cm ?kg 右投げ右打ち 背番号未定
50メートル6.8秒 遠投80メートル
北嵯峨高―龍谷大短大 京都市出身 大阪府在住
資格:応急処置対応認定、普通救命講習終了、初級スポーツ指導員、レクリエーションインストラクター
・大学ソフトボール日本選手権(インカレ)3位
・第2回女子野球ワールドカップ準優勝
・第3回女子野球ワールドカップ優勝
女子硬式野球クラブチーム・大阪BLESS主将。IBAF(国際野球連盟)女子ワールドカップに2度出場。昨年8月に愛媛・松山で行われた第3回大会ではチームに貢献し初優勝した。同年11月にわかさスタジアム京都で行われた、日本女子プロ野球機構(GPBL)トライアウトを受験し合格(129人中30人)。12月に京都アストドリームス、兵庫スイングスマイリーズの両チームから、投手の部でドラフト1位の重複指名を受け、自らの抽選の結果、兵庫に入団することが決まった。現在はリーフラス株式会社に勤務し、ベースボールスクール・ポルテで子供たちに野球指導をしているが、2010年2月から女子プロ野球選手としての第一歩を踏み出す。硬式5年、軟式4年、ソフト5年の球歴を持つ。
※インタビューは1月14日に行いました。
―この度は、女子プロ野球ができるということでおめでとうございます。2010年4月から10月まで、わかさスタジアム京都などで試合が開催されます。京都出身者は小西さんただ一人ということで取材させていただきます。
ありがとうございます。京都出身が私だけなのは知りませんでした。
―硬式球が当たると痛いです。ケガをしませんか?
実は、この前ピッチャー返しを足に受けてしまって、初めてマウンドで倒れてしまいました。でも、内緒です(笑)。今のチームの子だけ知っています。
―大丈夫ですか?
色だけ残っていますが、痛みはもうありません。
―気をつけてくださいね。女子硬式野球は、競技人口が約600人ということです。京都ではどこにチームがあるのかもわからないのですが、大阪に女子硬式野球クラブチーム・大阪Blessを設立された経緯を教えてください。
私が設立したように言われますが、実際は違います。元キャプテンでもあるのですが、(今は上司の)上田玲さんが監督となり、私と大学生の3人でつくりました。でも、私は一緒に手伝ったという感じです。最初は借りられるグラウンドもなくて、奈良の五條市まで行ってマネージャーや3人で練習していました。それが何回か続いたのですが、やはりメンバーがもっと集まらないと練習できないので、ソフトをやっている友達や、上田監督の出身校である大阪国際大ソフト部の人たちを誘ってやっていました。硬式を使うのも、元々野球をやっていた人たちなので大丈夫でした。
―チームは何年目ですか?年間に何試合くらいしますか?
今で6年目です。練習試合を含めると約20試合です。公式戦の大会は全国、西日本、クラブ選手権の3つがあります。それから中学生のボーイズリーグの小さなリーグ戦に参加します。
―大会で優勝したことはありますか?それから、女子硬式のチーム数はどれくらいですか?
全国大会ではまだないです。でも、西日本とクラブ選手権で計2回優勝しました。高校は6校(埼玉栄、花咲徳栄、駒沢学園女子、蒲田女子、神村学園、福知山成美)、大学は4校(尚美学園大、平成国際大、中京女子大、南九州短大)、クラブは約30チームくらいあります。
※中京女子大は、日本女子野球協会には未加入。2006年春より愛知大学野球連盟、愛知大学野球リーグ5部に所属。2007年から一部学部で男女共学となったことから、2009年秋からは男女混合チームとなり、2010年春に4部に昇格することが決まった模様。(2010年春、至学館大へ名称変更)
―クラブチームの良さはどんなところですか?
高校や大学の部活動と違うのは、いい意味での「バカ」ができるところですね。しばられず、自分の想いで、思い切りできるところだと思います。
―大阪Blessの活動でよかったところ、楽しかったところは?
中心選手になってからですが、中学生、高校生を引っ張っていくところです。主将になってからは練習メニューの管理をしたりするので、より自分でつくるチームと感じられました。また、選手としての自分のプレーも伸ばしていくので、両方やることは贅沢でした。
―女子で硬式をプレーしようと思ったきっかけは?
少年野球をやっていて、小6のときに中学ボーイズリーグのセレクションを男子のチームメイトと受験しました。
―そうですね。女子でも小学6年生なら、男子よりも背が高かったり運動能力でも上だったりしますね。
監督さんなどから「自分(君)が一番うまい」と冗談でも言ってもらえました。テストの評価も一番よかったし、うれしくて調子に乗りました(笑)。男子よりも早くレギュラー取れるって。…でも、後から「女はダメだ」と言われて…。それは最初に聞いてたんですよ。聞いてたけど、それでも野球がうまければ入らせてくれると思っていたので…。それが悔しくて、どうやったら練習させてくれるのかと思いました。公式戦は男子しか出られないし、前例もなかったので。でも、女子の全日本代表のセレクションを受けたいと思っていて。
―…男子との差はいつ頃に実感するようになりましたか?
中2か3ぐらいからやっとボーイズの練習生として認められましたが、女子なので特別メニューでした。気まぐれで練習に行かない日もありましたし。やっぱり中3のときに男子とのレベルの差を感じました。筋力、体格、パワー、スピード。そのときに初めて限界を感じました。高校野球でもう違うな、レギュラーが取れないし、トップにはなれないと感じ始めましたね(笑)。
―実際に試合を観て、そう思いましたか?
当時、北嵯峨の野球部にいた兄の練習試合を観に、高校のグラウンドへ行ったときですね。(男子を)抜かすことはできない、けど…すごいなあと。
―お兄さんも後に日本代表に選ばれるほどでしたが、野球を続けているのは、お兄さんとよくキャッチボールをしていた影響が大きいのですか?
兄は父とはバスケットやキャッチボールをしたりしていましたけど、自分はお手伝いをしたりして少年野球を見学したりしていました。兄とはあまりしていません。だから、私はどちらかと言うと、バスケットをやっていた5歳上の姉の方がよくキャッチボール(ボール遊び)の相手をしてくれました。それに、幼稚園のときからよくボール遊びをしてくれたりしたので、小3か小4ではボールクラブで球技を習っていました。
―では、中学のときの部活は?
中学は陸上部です。でも、陸上部に入っても、高校へ行ったら野球をやるつもりだったので、そのための体力づくりと考えていました。
―どんな種目をしていたのですか?
短距離ですね。主に100メートルや200メートル、ハードルをやっていました。そして、中3になってから投てきに。
―ええっ?…投てき?砲丸投げですか?まさかやり投げですか?
ええと、円盤投げをするようになりました。ハードルは大会で決勝手前まではいけたのですが、…種目を変えようかという話にもなって。
―どれくらい遠くへ投げられましたか?
25メートル前後、ですね。市大会は1位でしたが、府下大会では、残念ながら6位で近畿大会には行けませんでしたけど。
―どうして円盤投げに転向したのですか?
信頼していた陸上部の先生が、中3のときに産休から戻ってきて、「投げろ!」と言ってもらえました。だから中3になってから円盤投げを始めたのです。府下大会の1ヶ月後にあった記録会では、プラス5メートルの28、29メートルの記録で1位でした。だから、もっと早く言ってくれと思いましたね(笑)。
―本当にそうですね(笑)。もっとすごい記録が出たかもしれません。
その先生は面白い先生で有名でした。陸上のことも今までやってきた専門の経験があるので何を言っても説得力があり、ついていきたい感じでした。先生は「産休中は責任を持って教えることができないからむやみに勧められなかった」と言っていましたけどね(苦笑)。
―小西さんを観ていて、野球がどうこうというよりも運動能力がとても優れていると思いました。子供と少し遊びでドッジやサッカーをしたときのその動きだけでも大変なものだと。いつも体育の成績は「5」でしたか?右利きなのに左投げのフォームも自然でしたが。
体育の成績で「5」以外を見たことがないですね(笑)。すっごい負けず嫌いなのですよ。だから、もしできなくてもできるまで何回でもやります。ダルビッシュが左で投げているのを観ましたが、小5ぐらいのときに「私も左でやろう」と思って、今は字も左でも書けますし、はさみも左でも使えます。自転車に乗るのは右からしか乗れないのですが。いや、何というか左でなんでもできてしまうところがありますね。
―バランス感覚が優れているのですかね。それに小西さんはパワフルですね。雰囲気ですが、女子ゴルファーで似ている人いますね?名前が出てこないけど…。
それは…たぶん古閑美保さんですね(笑)。よく言われます(笑)。
―そうです、そうです(笑)。雰囲気が似ていますね。古閑さんも少年野球をやっていて、確か馬原(ソフトバンク)からホームランを打ったと聞きました。
へえ~、そうなんですか。私、小さい頃からスポーツ全般が得意ですね。卓球は遊びですけど得意ですし、バスケは小3から小6まで、野球も小3から小6までやっていて、サッカーは小6で学校の部活で、ボールクラブも小4からやってました。
―ボールクラブって何ですか?また、水泳はどうですか?
キックベースなどの球技をやります。水泳は人並み以上には泳げます。とにかく負けず嫌いですし、前はスイミングコーチで教えたこともありますよ。
―すみません。野球の話でした(笑)。ええと、投手として球種は何がありますか?決め球は何ですか?
カーブ、スライダー、チェンジアップです。決め球はまっすぐです。変化球ならカーブです。
―まっすぐに自信があるのですね。ドラフトの動画を観ましたが、「MAX130キロを目指す」と仰っていました。正直、今の球速はどれくらいですか?
MAX120キロいかないくらいですね。毎日投げすぎたら伸びないと思っていますし、それよりも下半身の安定が重要です。足もお尻ももっと大きくならないと粘りが出ないです。重心が低いままで、もっと歩幅を広げたいです。そのためには、走りこみやトレーニングを欠かさずしたいです。これからは今よりももっと練習できるし詰め込めるので、球速は今より上がるだろうと思います。
―バッティングをしている写真(Web記事)が出ているので拝見しましたが、自信もおありですね。
バッティングは好きです。1チームに15人しかいないので、野手として出ることもあるでしょう。
―ライバルの選手がいれば紹介してください。外国人でもいいですよ。
特にいないですね。強いて言えば、プロではないのですが、尚美学院大の西朝美さんです。全日本のキャッチャーです。体格がいいので飛距離もすごくて。投げる時は闘争心をかき立てられます。外国人は、この人はと思う人は、アメリカにいるのですが、ちょっと名前がわからないです。ほんとにリーチが長くて、どこに投げたらいいのかと。投球術がないのでパニックになりました(苦笑)。あとはBlessを一緒につくった上田さんですね。2つ上ですけど、他の人にない能力があって対戦が楽しかったです。結構打たれてしまいました(苦笑)。
つづく
兵庫スイングスマイリーズ・小西美加投手
1983年4月18日生まれ(26歳) 166cm ?kg 右投げ右打ち 背番号未定
50メートル6.8秒 遠投80メートル
北嵯峨高―龍谷大短大 京都市出身 大阪府在住
資格:応急処置対応認定、普通救命講習終了、初級スポーツ指導員、レクリエーションインストラクター
・大学ソフトボール日本選手権(インカレ)3位
・第2回女子野球ワールドカップ準優勝
・第3回女子野球ワールドカップ優勝
女子硬式野球クラブチーム・大阪BLESS主将。IBAF(国際野球連盟)女子ワールドカップに2度出場。昨年8月に愛媛・松山で行われた第3回大会ではチームに貢献し初優勝した。同年11月にわかさスタジアム京都で行われた、日本女子プロ野球機構(GPBL)トライアウトを受験し合格(129人中30人)。12月に京都アストドリームス、兵庫スイングスマイリーズの両チームから、投手の部でドラフト1位の重複指名を受け、自らの抽選の結果、兵庫に入団することが決まった。現在はリーフラス株式会社に勤務し、ベースボールスクール・ポルテで子供たちに野球指導をしているが、2010年2月から女子プロ野球選手としての第一歩を踏み出す。硬式5年、軟式4年、ソフト5年の球歴を持つ。
※インタビューは1月14日に行いました。
―この度は、女子プロ野球ができるということでおめでとうございます。2010年4月から10月まで、わかさスタジアム京都などで試合が開催されます。京都出身者は小西さんただ一人ということで取材させていただきます。
ありがとうございます。京都出身が私だけなのは知りませんでした。
―硬式球が当たると痛いです。ケガをしませんか?
実は、この前ピッチャー返しを足に受けてしまって、初めてマウンドで倒れてしまいました。でも、内緒です(笑)。今のチームの子だけ知っています。
―大丈夫ですか?
色だけ残っていますが、痛みはもうありません。
―気をつけてくださいね。女子硬式野球は、競技人口が約600人ということです。京都ではどこにチームがあるのかもわからないのですが、大阪に女子硬式野球クラブチーム・大阪Blessを設立された経緯を教えてください。
私が設立したように言われますが、実際は違います。元キャプテンでもあるのですが、(今は上司の)上田玲さんが監督となり、私と大学生の3人でつくりました。でも、私は一緒に手伝ったという感じです。最初は借りられるグラウンドもなくて、奈良の五條市まで行ってマネージャーや3人で練習していました。それが何回か続いたのですが、やはりメンバーがもっと集まらないと練習できないので、ソフトをやっている友達や、上田監督の出身校である大阪国際大ソフト部の人たちを誘ってやっていました。硬式を使うのも、元々野球をやっていた人たちなので大丈夫でした。
―チームは何年目ですか?年間に何試合くらいしますか?
今で6年目です。練習試合を含めると約20試合です。公式戦の大会は全国、西日本、クラブ選手権の3つがあります。それから中学生のボーイズリーグの小さなリーグ戦に参加します。
―大会で優勝したことはありますか?それから、女子硬式のチーム数はどれくらいですか?
全国大会ではまだないです。でも、西日本とクラブ選手権で計2回優勝しました。高校は6校(埼玉栄、花咲徳栄、駒沢学園女子、蒲田女子、神村学園、福知山成美)、大学は4校(尚美学園大、平成国際大、中京女子大、南九州短大)、クラブは約30チームくらいあります。
※中京女子大は、日本女子野球協会には未加入。2006年春より愛知大学野球連盟、愛知大学野球リーグ5部に所属。2007年から一部学部で男女共学となったことから、2009年秋からは男女混合チームとなり、2010年春に4部に昇格することが決まった模様。(2010年春、至学館大へ名称変更)
―クラブチームの良さはどんなところですか?
高校や大学の部活動と違うのは、いい意味での「バカ」ができるところですね。しばられず、自分の想いで、思い切りできるところだと思います。
―大阪Blessの活動でよかったところ、楽しかったところは?
中心選手になってからですが、中学生、高校生を引っ張っていくところです。主将になってからは練習メニューの管理をしたりするので、より自分でつくるチームと感じられました。また、選手としての自分のプレーも伸ばしていくので、両方やることは贅沢でした。
―女子で硬式をプレーしようと思ったきっかけは?
少年野球をやっていて、小6のときに中学ボーイズリーグのセレクションを男子のチームメイトと受験しました。
―そうですね。女子でも小学6年生なら、男子よりも背が高かったり運動能力でも上だったりしますね。
監督さんなどから「自分(君)が一番うまい」と冗談でも言ってもらえました。テストの評価も一番よかったし、うれしくて調子に乗りました(笑)。男子よりも早くレギュラー取れるって。…でも、後から「女はダメだ」と言われて…。それは最初に聞いてたんですよ。聞いてたけど、それでも野球がうまければ入らせてくれると思っていたので…。それが悔しくて、どうやったら練習させてくれるのかと思いました。公式戦は男子しか出られないし、前例もなかったので。でも、女子の全日本代表のセレクションを受けたいと思っていて。
―…男子との差はいつ頃に実感するようになりましたか?
中2か3ぐらいからやっとボーイズの練習生として認められましたが、女子なので特別メニューでした。気まぐれで練習に行かない日もありましたし。やっぱり中3のときに男子とのレベルの差を感じました。筋力、体格、パワー、スピード。そのときに初めて限界を感じました。高校野球でもう違うな、レギュラーが取れないし、トップにはなれないと感じ始めましたね(笑)。
―実際に試合を観て、そう思いましたか?
当時、北嵯峨の野球部にいた兄の練習試合を観に、高校のグラウンドへ行ったときですね。(男子を)抜かすことはできない、けど…すごいなあと。
―お兄さんも後に日本代表に選ばれるほどでしたが、野球を続けているのは、お兄さんとよくキャッチボールをしていた影響が大きいのですか?
兄は父とはバスケットやキャッチボールをしたりしていましたけど、自分はお手伝いをしたりして少年野球を見学したりしていました。兄とはあまりしていません。だから、私はどちらかと言うと、バスケットをやっていた5歳上の姉の方がよくキャッチボール(ボール遊び)の相手をしてくれました。それに、幼稚園のときからよくボール遊びをしてくれたりしたので、小3か小4ではボールクラブで球技を習っていました。
―では、中学のときの部活は?
中学は陸上部です。でも、陸上部に入っても、高校へ行ったら野球をやるつもりだったので、そのための体力づくりと考えていました。
―どんな種目をしていたのですか?
短距離ですね。主に100メートルや200メートル、ハードルをやっていました。そして、中3になってから投てきに。
―ええっ?…投てき?砲丸投げですか?まさかやり投げですか?
ええと、円盤投げをするようになりました。ハードルは大会で決勝手前まではいけたのですが、…種目を変えようかという話にもなって。
―どれくらい遠くへ投げられましたか?
25メートル前後、ですね。市大会は1位でしたが、府下大会では、残念ながら6位で近畿大会には行けませんでしたけど。
―どうして円盤投げに転向したのですか?
信頼していた陸上部の先生が、中3のときに産休から戻ってきて、「投げろ!」と言ってもらえました。だから中3になってから円盤投げを始めたのです。府下大会の1ヶ月後にあった記録会では、プラス5メートルの28、29メートルの記録で1位でした。だから、もっと早く言ってくれと思いましたね(笑)。
―本当にそうですね(笑)。もっとすごい記録が出たかもしれません。
その先生は面白い先生で有名でした。陸上のことも今までやってきた専門の経験があるので何を言っても説得力があり、ついていきたい感じでした。先生は「産休中は責任を持って教えることができないからむやみに勧められなかった」と言っていましたけどね(苦笑)。
―小西さんを観ていて、野球がどうこうというよりも運動能力がとても優れていると思いました。子供と少し遊びでドッジやサッカーをしたときのその動きだけでも大変なものだと。いつも体育の成績は「5」でしたか?右利きなのに左投げのフォームも自然でしたが。
体育の成績で「5」以外を見たことがないですね(笑)。すっごい負けず嫌いなのですよ。だから、もしできなくてもできるまで何回でもやります。ダルビッシュが左で投げているのを観ましたが、小5ぐらいのときに「私も左でやろう」と思って、今は字も左でも書けますし、はさみも左でも使えます。自転車に乗るのは右からしか乗れないのですが。いや、何というか左でなんでもできてしまうところがありますね。
―バランス感覚が優れているのですかね。それに小西さんはパワフルですね。雰囲気ですが、女子ゴルファーで似ている人いますね?名前が出てこないけど…。
それは…たぶん古閑美保さんですね(笑)。よく言われます(笑)。
―そうです、そうです(笑)。雰囲気が似ていますね。古閑さんも少年野球をやっていて、確か馬原(ソフトバンク)からホームランを打ったと聞きました。
へえ~、そうなんですか。私、小さい頃からスポーツ全般が得意ですね。卓球は遊びですけど得意ですし、バスケは小3から小6まで、野球も小3から小6までやっていて、サッカーは小6で学校の部活で、ボールクラブも小4からやってました。
―ボールクラブって何ですか?また、水泳はどうですか?
キックベースなどの球技をやります。水泳は人並み以上には泳げます。とにかく負けず嫌いですし、前はスイミングコーチで教えたこともありますよ。
―すみません。野球の話でした(笑)。ええと、投手として球種は何がありますか?決め球は何ですか?
カーブ、スライダー、チェンジアップです。決め球はまっすぐです。変化球ならカーブです。
―まっすぐに自信があるのですね。ドラフトの動画を観ましたが、「MAX130キロを目指す」と仰っていました。正直、今の球速はどれくらいですか?
MAX120キロいかないくらいですね。毎日投げすぎたら伸びないと思っていますし、それよりも下半身の安定が重要です。足もお尻ももっと大きくならないと粘りが出ないです。重心が低いままで、もっと歩幅を広げたいです。そのためには、走りこみやトレーニングを欠かさずしたいです。これからは今よりももっと練習できるし詰め込めるので、球速は今より上がるだろうと思います。
―バッティングをしている写真(Web記事)が出ているので拝見しましたが、自信もおありですね。
バッティングは好きです。1チームに15人しかいないので、野手として出ることもあるでしょう。
―ライバルの選手がいれば紹介してください。外国人でもいいですよ。
特にいないですね。強いて言えば、プロではないのですが、尚美学院大の西朝美さんです。全日本のキャッチャーです。体格がいいので飛距離もすごくて。投げる時は闘争心をかき立てられます。外国人は、この人はと思う人は、アメリカにいるのですが、ちょっと名前がわからないです。ほんとにリーチが長くて、どこに投げたらいいのかと。投球術がないのでパニックになりました(苦笑)。あとはBlessを一緒につくった上田さんですね。2つ上ですけど、他の人にない能力があって対戦が楽しかったです。結構打たれてしまいました(苦笑)。
つづく
やばすぎる-----------------------------