京都アマチュア野球だより

試合結果、選手成績などを写真付きで紹介しています (SINCE 7.06) 著:若林千尋

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洛星野球部、リンクありがとうございます!!

 春季近畿高校野球大会も中止になり残念でなりませんが、嬉しいニュースが舞い込みました。なんと洛星野球部HPのリンク集にこのブログが入っているんです!「ベースボール倶楽部」さんや「わかさスタジアム試合速報」さんのようなアクセス数の多いサイトと同列に載せていただきまして、本当に恐縮します。ありがとうございます。お礼にもしよければ洛星高校野球部の取材をさせていただきたく思いますが…。また連絡させていただきます。よろしくお願いします。洛星高校は二次戦で立命館宇治に敗れたものの7-11となかなか健闘したんだと思います。



洛星野球部中学校・高等学校・OB会HP

京都代表、もう1点差負けはこりごり

 センバツが終わってはや10日。優勝候補にも挙げられていた福知山成美が2回戦で、初優勝した清峰(長崎)に0-1という僅差で敗れた。相手の今村投手はプロ注目の大会屈指の右腕で、福知山成美打線は8安打を放ちながら完封された。一方、今村投手と同等に好投した福知山成美・長岡投手は4安打に抑えながら、5回にスクイズで1点を先制されそのまま敗れた。両投手の投げあいは見事だったが、明暗が分かれる。京都の野球ファンからすればため息も出るような試合展開だったことは言うまでもない。どこかで何かがあれば成美が十分に勝てる見込みはあっただろう。しかし、勝負とはそういうものだ。 続きを読む

「あの日の未来予想図~エースたちの1500日~」

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 今日書店で“野球本”を眺めていたら、矢崎良一さん監修の「甲子園のキセキ 時代を超えた、高校野球、6つの物語」(日刊スポーツ・ノンフィクション)を見つけた。

 パラパラとページをめくって立ち読みしていると、最後のほうで見覚えのあるユニフォームで投げ込む一人の選手の写真があった。それは大谷侑君だった。5年前の夏、京都外大西のエースとして夏の甲子園に出場。2回戦であの日本代表・涌井(西武)投手率いる横浜と対戦し、延長11回0-1でサヨナラ負けを喫した。その大谷侑君を主人公とした物語が綴られているようだ。これは買いだとレジに向かった。

 思えば僕が高校野球に再びはまることになったのは、この頃がきっかけだった。話せば長くなるが、大谷侑投手の思い出は多い。同じ学年に服部投手(当時、平安)がいたため余計にその思い出は印象深く残っている。

 夏前に「野球小僧」(白夜書房)のイベントで東京に行った。親睦会の時、僕の目の前にデータスタジアムのNさんが座っておられた。神奈川について話しておられるのを聞いていると、「横浜で間違いない」と言っておられた。涌井が凄いのか横浜が凄いのかまではわからなかったが、当時渡辺監督は体調が悪く、入院していた時に涌井からメールが来たという話題が、今は廃刊になった雑誌「SPORTS-Yeah」に載っていた。そんなことはいいとして、とにかく横浜は大会前から全国で注目されていた。

 甲子園大会が始まり、何の因果か京都代表の京都外大西と横浜が2回戦で当たる。1回戦で日本文理(新潟)に大苦戦を強いられた京都外大西に対し、横浜は報徳学園に圧勝。プロ注目の片山(楽天)がメッタ打ちにされるのを3塁アルプス席で目撃してしまった。これは2回戦は厳しい、と京都外大西を応援する誰もが思っていたと想像して間違いないだろう。

 しかし、試合が始まってみると互角かそれ以上の戦いで、もう少しで横浜に勝てそうなところまで追い詰めていた雰囲気もあった。お盆の第2試合で5万人の大観衆がその戦況を見つめていた。だが、残念ながら京都外大西が惜敗。試合終了後はテレビの前で放心状態の自分がいた。食事も喉に通らない。そんな壮絶な試合だったと記憶している。

 これまで野球を見ていて具合が悪くなったことなど一度もない。あまりの試合展開にお腹が痛くなったのは後にも先にもこの時だけだ。それだけにこの試合はいい意味で僕の想像を超えてくれた。「大谷君、ありがとう」と心の中でつぶやいた。まるで自分がマウンドに立って投げているかのような感じだった。

 ネットの掲示板をのぞくと、横浜ファンの方からの反響があった。「新チームになって、これだけ横浜が苦しめられたのは初めてだ。」「今大会のベストゲーム。外大西・大谷のピッチングは素晴らしかった」と賛辞の声が沸き起こっていた。

 それだけに、亜細亜大への進学を決めた大谷侑君の活躍を心から期待していたのだが、亜細亜大には他に4人の甲子園投手が同時期に入学した。それからの大谷侑君をはじめとする5人の大学野球生活の物語が、この本の最後に出てくる、エピローグ「あの日の未来予想図~エースたちの1500日~」(文・山田沙希子)に綴られている。互いに競い合えば、勝者と敗者が必ず生まれてしまうことになる―。

 入学後、亜細亜大野球部のHPをいくら探しても、名前があるだけで大谷侑君が活躍している様子がないので、寂しい思いからか東京に行ったついでに亜細亜大のグラウンドまで行ってしまったぐらいだから、卒業を機に大谷侑君のことがこういう形で本になって出版されたことを京都のファンとして嬉しく、誇らしく思う。作者の山田さんが女子大生と知って驚いたが、素直にありがとうと言いたい。

1年に1回、ベースボール倶楽部を応援する日

今日は雨で高校野球の準決勝が中止になっちゃいました。

水入りというやつですね。楽しみにしていたのに。

第一試合は、京都国際対龍谷大平安でした。


思い出します。5年前の夏の準々決勝。

そのときの第一試合が京都韓国学園対平安でした。

まだブログもやってなくて、高校野球を生で観戦するのも久しぶりでした。

準々決勝は一日で4試合でした。とにかく暑いじゃなくて、熱い日でした。

ベスト8は他に京都成章、福知山成美、京都外大西、立命館宇治、鳥羽、東山だったかな?

詳しい事は書きませんが、すごい豪華なメンツでしょう?

これは観たいなあ、と西京極に朝から行ってしまったんですよね。


特に、この京都韓国学園対平安がなぜか気になったんです。

もしかしたら、平安負けるんちゃうん?と思っていたんですけども、

結果はご存知の通り、平安・服部が完投で準決勝進出です。

何も予備知識ないし、ただただゆっくり観戦しました。


会社員だった頃は、とてもじゃないけど高校野球なんて観れなかった。

観る気もなかったし、平日も土日もずっと仕事に追われていました。

月に5日しか休みがなかったし、夕方行って朝に帰ってくる日も週に3日ありました。

サービス残業のし過ぎか、なんでかわからんけど、病気になって2回も入院したりもしました。

まあ、色々考えて会社を退職、専門学校にも行ったりしてたんですけども、あんまりで。

つい、野球をひとりで観に行ってしまったんですよね。

第4試合を観ているときだったか、携帯電話が鳴ったんですよね。

誰かと思ったら、会社の先輩でした。辞めて半年ぐらいの時です。

用件は、「なあ、退職金てどうやってもらうの?」でした。

それで試合を観ながらそれを説明していたときに、

ファウルボールが僕のところに飛んできたんですよね。

「今ね、ファウルが・・・、ボールに触りました。」とかなんとか言っちゃって。

それがすごい頭にあって、翌日は準決勝をテレビで観てたんですよ。

それでパソコンを前にして、何か(京都、高校野球)で検索してしまったんですよ。

そしたら、「ベースボール倶楽部」っていうのがあって、ちょっと見てみたんです。

そこに高校野球の試合の観戦記が載っていました。

衝撃を受けました。こんなんやっている人がいるのかって。

プロフィールを観たら、消防士、出勤日数・月10日(これで週40時間です)と書いてありました。

これまた、衝撃です。そんな人がいるのかって。

掲示板を覗いてみたら、すごい賑わっているんですよ。

それまで掲示板を覗くことってほとんどなかったから、これも衝撃でした。

リアルタイムでどんどん書き込まれていきます。

平安対福知山成美が始まって、神戸の人がテレビが観られないので速報をお願いしますとか。

誰かが教えてあげればいいのに、誰も教えないので、僕がそれを教えてあげました。

平安・西村ホームランとか、立宇治・黒田ホームランとか。

プロフィールには荒木、松坂が好きとかも書いてありました。

そして、誕生日のところに5月10日と書いてあったんですよ。

僕と1日違い。何だろうと思いましたね。

これが僕の「ベースボール倶楽部」との出会いです。



今日は管理人さんのお誕生日です。僕にとってはわかりやす過ぎます。

それから、僕は半年後にブログを始めて、「ベースボール倶楽部」を目標に頑張ってきました。

(ちょっと違う方向へ行っていますが。)

まあ、その後のことは省略しますが、どんどん凄くなったはるので、

こちらとしては寝ていてほしいんですけども。

去年、一昨年なんかはまるで「桜坂」を出した福山雅治みたいな状態で

更新もあんまりなくて寂しい感じもしましたが、

去年の秋ぐらいからまた動き始めはったんで、もう追いつけそうにありませんね。

何かより芸術家っぽくなって作品づくりに目覚めたはるんで、もう追いつくのは難しそうです。

僕は僕なりにやってるんですけども、差は縮まりそうで縮まってないというか。

初めて見た文章は、正直に言うと、これやったら自分も書けるというか。

すごく丁寧に書いてあって、文章に癖がなくて、読みやすかったからかなあ。

しかし、それは大きな間違いで、やってみたらわかりますけども難しいんです。

内部事情をよく知る人物やったら書けるかもしれませんが、

それは他のチームのことはわからないということにもなりますから、

余程観ていないと書きようがなくなっていくんですね。

これは説明が難しいけれども。過去の引き出しを出さないといけなくなるから。

あのときはこうやった、というのがないと書けないもんなんですよ。

今日も覗いてみたら、偉いもん出したはりました。これは年季です。

前半は、僕には一体誰のことなんかわかりませんしね。

よっぽど野球好きなんやなあ。これはすごいことです。もう使命感が成せる技ですね。


あの日の韓国学園対平安の文章が読みたいです。明日の試合に関係ある資料やと思います。

今日雨が降ったことでこんな文章になりましたけど、

この雨は明日の試合に必ずや影響してくると思うんですけどね。


お誕生日おめでとうございます。



※会社は辞めずに続けてください。誤解のないようにお願いします。

1年に1回、ロマンチストになる日

1、2、さあん、4、5、ろおく、7、8、きゅう・・・

・・・さんじゅいち、さんじゅに、さんじゅさん、さんじゅし・・・

ということで、今日、私はめでたく34歳になりました。(笑)

(wakabayashi0509です)

複雑やなあ。高校2年の時の倍数です。

あいつらはそんなに年下なのかと。

この前太陽が丘に行きまして、それまで大学とか社会人とか行ってるじゃないですか?

南丹の選手たちのあの目の輝きですよ。参りましたね。(大学、社会人よりもという意味ですので。)

レギュラーとか控えとかベンチ入ってるとか入ってないとか関係なく、

あの目の輝きだけはもうどうしても僕は取り戻すことができません。

僕もあんな目をしていたのかしていなかったのかはともかく、とにかく素晴らしいです。

もしそんな目をしていたのなら、いつからその輝きを失ってしまったのでしょうね。

今は目が泳ぐし淀むし、真っ直ぐ見れないし、どうしようもありませんね。

自分でわかりますもん。



♪あれからの未来に、僕らは立っているのかなあ

僕がこの10年間で最も衝撃を受けた歌はこれなんですが、

ほんまに情けないというか、ああ何か自分も変わったなあ、という感じですね。

野球を頑張っている人、特に高校野球を観たりするとどうしても思ってしまいます。

自然と自分が高校の時のこととかを思い出してしまいます。

子供時代は日本経済が一番景気良かったときでしたから、

それと比べたら、世の中も時代も違って来ているなあと実感しますね。

ちょうど、17歳だった頃に湾岸戦争があったんですよね。

それぐらいからか、バブルが弾けたとかなんとかで

みんなあんまり外でワイワイ騒がなくなったような。

僕よりも一回りぐらい上の人は、よく知ってはると思うけど。

お金は使ってもまた、自分のところへ戻ってくるという感覚があったそうですよ。

今では信じられませんけどね。


お金の面では、今は節約するということが普通ですが、

お金の面でない面で、すごく良くなってきましたね。

物のバラエティーは、細分化されて安価でもものすごくいいのがありますし、

こんなもんがあったらいいのになあ、と思うものはもう既に商品化されていたり。

携帯電話やゲーム、パソコンなんかはついていけない程の発展具合です。

僕が高校の時なんかは、女の子に電話する時は、当然家の電話なんです。

お母さんならともかく、お父さんが出るときがあるんですよ。

夜10時以降に電話するなんて絶対できませんでしたよね。

もし寝てるとこを起こしたりしたら、誰や!!ってことになりますし、

手紙を渡すとか、待ち伏せするとか、そんな感じでした。

今は手紙なんて書かないだろうし、待ち伏せなんてしませんね、たぶん。

変態とかストーカーとか、言われそうです。

なんか昔はワンパターンでしたよね。

今は色々あるから、何にしても。

エースと4番が同じ人やった時代から、別々になり、

今は脇役やベンチの選手にもスポットが当たるようになってきました。

まさに♪世界にひとつだけの花という感じでしょうか。

同じものは何一つない、そんな感じだと思いますね。

平たく言えばですけど。


さて、このブログで公開している写真たちですが、

選手や保護者の人たちの携帯の待ち受け画面とかにされているようです。

それは全然構わないんですが、責任を感じますね。

あんまりいいカメラで撮ってないし、画質が良くありませんし。

だからと言ってカメラを買い換えてどうこうというのはないんですが、

もう少し、いや少しでもいい写真を残せるようにしていきたいです。


今こうやって写真をお見せできるのもデジカメのおかげです。

ど素人なのに、失敗して失敗しても何度でも撮ることができますし、

お金も一旦メモリーカードを買えば、ずっと使えますしね。

これがフィルム時代だったら、とっくにやめてましたね。

ほんま時代のおかげです。少しずつ進歩してきました。


こんな時代だから将来はこんなこともあるかもしれません。

たまたまインターネットで見て、知り合って結婚しましたとか。

たまたまインターネットで見て、名前を覚えてドラフトで指名しましたとか。

そう思ったら、これらの写真や文章は消すことはできませんね。

このまま置いておこうと思います。


宇多田ヒカルが「ぼくはくま」をアルバムに入れたのは

シングルというのはいつか廃盤になるということを知ったからだと

言っていたそうですが、僕は宇多田じゃないけども何か感じるものがありました。

いつまでこれを続けられるかわからないと思うと、少し悲しい気もするし、

今の更新頻度ではやはり公開し続けられないなと思うし、写真は貯まっているし。

だからといって、選手や保護者に差し上げれば満足かと言えばそうではなくて、

これらの写真や文章を世界中の人が見られるようにしておきたい、というか。

すごく遠くのことを考えつつ、これをやっているということを伝えておきたいです。

17歳や20歳には戻れない、過去の記憶をいつか引き出す時のためにも。

だから、下手でも許してくださいね。

1年に1回、ロマンチストになる日、でした。

来年は、さんじゅご、歳になる予定です。
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