京都アマチュア野球だより

試合結果、選手成績などを写真付きで紹介しています (SINCE 7.06) 著:若林千尋

関西独立リーグ

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.1

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.1

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大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 1984年6月6日生まれ(25歳)

広島工業大高―京都学園大―京都ファイアーバーズ

181cm 79kg 右投げ右打ち B型 背番号14

広島市出身、大阪市住之江区在住



社会人クラブチーム・京都ファイアーバーズからトライアウトを経て、今年始動した関西独立リーグの大阪ゴールドビリケーンズにドラフト1位で入団する。大阪市内のミズノ本社で行われた4球団合同ユニフォーム発表会に出席。女性初のプロ野球選手、吉田えり投手の初登板が話題で、観衆1万人を集めた3月27日の開幕戦では大阪の開幕投手を務めた。今シーズンは9勝4敗、防御率3.06の成績を残し、大阪を初代年間優勝に導いた。しかし、大阪は関西独立リーグを脱退。来年は三重スリーアローズと2球団で、JFL(ジャパン・フューチャーベースボールリーグ)をスタートさせる。
 

※インタビューは11月23日に行いました。



―よろしくお願いします。なぜここ高槻でトレーニングしているのですか?

こちらこそ、よろしくお願いします。いつもは難波にある民間の会員制ジムでトレーニングするのですが、月曜日がお休みなので、今日はここに来ています。


―随分時間をかけたトレーニングですね。

特別メニューなんです。費用は全部で月1万円くらいはかかりますね。空いている日はなるべくトレーニングしています。マシンが置いてあるのでここまで来ます。


―大阪の住之江区にお住まいですが、他の選手も大体そうなのですか?

そうですね、半分くらいは住んでいるんじゃないでしょうか?地方から来た人は、みんなバラバラで同じマンションではないですが。大阪在住の人は実家通いです。


―遠征の際は移動が大変ですね。

住之江公園野球場なら自転車で行けるのですが、和歌山や明石に行く時はバスが出ます。自分で行く時は、交通費は自己負担になるので、ガソリン代はもちろん高速料金と駐車料金がかかります。万博公園なんかは1200円もかかります(苦笑)。なので乗り合わせていくこともあります。


―普段の練習は?

試合のない日は堺市で練習します。朝から昼までです。


―残念ながら、大阪は給料カットで月給8万円になりましたね。

7月からそうなりました。最初はアルバイトはしてはいけないことになっていましたが、8月からよくなりました。でも、働いているのは1人か2人くらいです。


―契約上、問題はないのですか?2010年は月給が8万円プラス出来高払いになり、8ヶ月の支払いが2ヶ月短縮になるようですが。

今のところは払えないけど、今後少しずつでも支払ってくれる方針だそうです。家族から仕送りのある人はいいですが、相当苦労している人もいます。一応、仕送りをもらっているので、僕は恵まれています。


―いつ給料が半分になることを知りましたか?

それが…ニュースの方が早くて、親から連絡がありました。「もし、そうなったら送るから」と言ってくれました。


―ご両親は息子さんに理解がありますね。どんな方ですか?

親は放任主義で教育されたというような記憶がありません。たまに「ちゃんとご飯を食べているか?」と言われるぐらいで、協力的してもらっていますし、応援もしてくれています。広島から3、4回来てくれました。父親は特に熱心ですかね。


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―子供の頃は少年野球をしていたのですか?

少年野球はしていません。野球は遊びでするぐらいで本格的にはしてなかったです。小学校でソフトボールのチームに3か月だけ入っていましたが、理由も覚えてないけどやめました。そのチームは強くて、野球ではなくみんなソフトをしていた印象です。中学から野球を始めて、軟式野球部に入っていました。


―広島出身ということはカープファンですか?

そうですね。小学1年のときに広島カープが優勝して以来ですね。大野豊さんが好きで、憧れていました。独特なフォームでかっこよかったです。


―中学時代は?

ピッチャーとセカンドをしていました。全学年合わせて30人くらいで強くはありませんでした。広島市の大会では1回戦で負けるくらいのレベルでした。エースではなくて、公式戦ではセカンドで出ていました。エースは横浜から引っ越してきた子で、球が速かったです。高校は広島商に行きましたが、途中でやめたそうです。


―高校は広島工業ですか?甲子園に出たこともありましたかね?

それは県立の工業高校ですね。5回ぐらい甲子園に行っていると思います。阪神の新井さんの出身校です。僕は私立の広島工業大高校です。野球がやりたかったので、本当は広島商に行きたかったのですが、練習などが厳しいという話も聞いてて、受験しましたが…、勉強ができない面もあったので。そのときは強豪の広陵を知らなかったほどで…。


―工業科なのですか?高校の練習は厳しかったですか?

いや、普通科です。練習も普通と思います。公式戦のベンチには1年の秋に入りました。投手の中では球は速い方で、マックスは124キロぐらいですが、監督から期待されていました。でも、コントロールは悪くて試合には出られませんでした。


―高校での活躍は?

初回に四球を3つ出したり暴投したりで、信用の問題がありましたね。3年間公式戦で投げたのは、中継ぎで2試合のみです。しかも、春と秋の話で敗戦処理に近かったというか…、だから夏は全く投げていません。


―厳しい時代だったんですね。

3年夏の3か月前から本当にストライクが入らなくて、1回に1個か2個は必ず四球を出すくらいの感じだったので、エースでは投げられないなあと思っていました。最後の夏は1回戦で、1-2で負けました。


―その高校は強かったのですか?

練習試合ではコールドで勝った相手なのに…。公立では中の下くらいでしょうか。これに勝ったら如水館と試合ができる、強いチームと試合ができると勝つ気満々だったのですが、まさかの1回戦負けでした。


―野球をここでやめようとは思いませんでしたか?

野球は当たり前のように次も続けようと思っていました。…根拠はないけど、自信だけはありました。いつかプロになると。


―背番号は10ですか?

背番号は11でした。背番号10は2年生でした。


―この夏の広島の優勝校は?

広陵です。巨人の西村投手が2年でした。決勝を観に行ったのを思い出しました。



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『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.2

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.2


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―誰かライバルらしき人がいたのですか?

いいえ、高校から大学に行って野球を続けたのは1人か2人で、高校時代にライバルというような人はいませんでした。


―大学は京都の大学に入学されます。

大学は、高校を選ぶときと同じで行けるところに行ったという感じです。入れそうな大学へ。地元だと先輩がいるのでそこへは行きたくなくて、あまりいいイメージもなかったので。


―そのときの京都学園大の印象については?

そこそこ強い大学じゃないかなあと。一つ年上で二つ学年が上の梅原さん(金光大阪高―広島カープ―徳島インディゴソックス)が広島カープにドラフト3位で指名されるのですが、その前より「プロ注目」と大学野球の雑誌で何か見たのがきっかけじゃなかったですかね。どうだったかな(苦笑)。


―浪人していたのですか?

はい。福岡の大学を受験したのですが…落ちてしまって。予備校に行っていたわけではなくて中3のときに教えてもらっていた家庭教師に付いてもらいました。京都学園大は監督さんもよかったし、グラウンドもきれいで。何より京都はいいイメージがありました。


―失礼ですが、学園大では目立って活躍がなかったようなのですが。

亀岡に住んで、3年の春にはベンチ入りしましたが、3年の途中で退部しました。大学は卒業しました。


―確か宮内投手(大阪学院高―京学園大―新日鐵広畑)と同世代ぐらいなのでは?

宮内君は1つ年下だけど同級生でした。チームの中ではすごかったです。


―春のリーグ戦で佛教大に勝って、全日本大学野球選手権で神宮に行かれましたよね?

はい。でも、神宮では1回戦で名城大に1-4で負けました。清水投手(中日)がすごかったという記憶があります。確か13奪三振だったと思います。


―大学野球はあまり面白くなかったですか?

大学3年までベンチに入りたくなかったのです。


―詳しく教えてください。

ストレートを磨いて、3年から実践していこうという考えだったのです。今から考えれば無駄だったと思うのですが、体を作ってから勝負をしたかったという思いです。


―何か理由があったのですか?

練習が終わってからでも高槻でトレーニングしていました。とりあえずストレートを速くしたいという課題があって…。


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―どういうことですか?

高校3年の夏休みに鳥取のジムに行ったのですが、フォームを改造すると球が速くなったのです。


―鳥取というのは…、初動負荷の?

はい。初動負荷論の小山さんのジムです。小山さんに会って指導を受けたところ、すぐにストレートのMAXが10キロくらい速くなったのです。


―高3の夏は126キロだったということは、136キロになったのですか?

はい。1週間で10キロ速くなりました。


―何がポイントだったのですか?

ほとんど体重移動のやり方です。コツを掴んだら簡単でした。トレーニングというよりはフォームの改造で良くなったのですが、いいフォームを作るためにトレーニングがあります。鳥取のジムに行けば、絶対に球が速くなるとは言い切れませんが、プロの選手や多くの大学生、高校生が通っています。


―これまでに誰かプロの有名な選手に会ったことがあるのですか?

山本昌(中日)さんや岩瀬(中日)さんにあいさつしたくらいですが(笑)、藤井(今週日ハムから巨人へ)さんも見たことがあります。


―この高槻でわざわざトレーニングする理由はそれですね?

詳しくはわかりませんが、最初に小山さんが高槻市にマシンを提供したかアドバイスしたと聞いています。


―なるほど。それでそのトレーニングが日課のようになっていると。

トレーニングを積んでフォームを変えていけば、ストレートが速くなると思ったのですよね。だから大学では自分の思うよりも早くベンチに入っちゃうと自分の練習ができないし、ストライクを投げないといけないし、変に他のトレーニングをしたくなかったのですよ。フォームをどんどん変化させていきたかった時期でした。


―それこそ同級生で活躍し出した宮内投手に対するあせりとかなかったのですか?

特になかったですね。1、2回生のキャンプのときは、監督にわざと「ケガで投げられない」と言っていたくらいでした。


―ちょっと驚きです(苦笑)。

そうかもしれませんね。それで、試合で投げられるようになって、3年春にベンチに入ったのですが、公式戦の試合に寝坊して集合時間に2時間も遅刻してしまって外されてしまいました。


―それが辞めた原因につながるのですね?

…目標が違っていたのでしょうね。監督や先輩、周りの人と考え方も方向性も違っていました。自分の先行きやプロとかに関心があって、プロに行きたいから野球をやっていて、選手権に勝ちたいという気持ちではなく、冷めた自分がいましたね。練習も試合も面白くなかった。自分では集団行動が苦手で、個人種目の方が合っているとは思います。


―まあ、強いて言えばピッチャーは個人種目に感じないでもないですが。

明確には覚えていませんが、ベンチを外されて、そこから秋も全然投げさせてもらえなくなりました。3年秋のリーグが終わったくらいにもそれまでにも何回かそういう集団行動的なことを言われたことがあって…。


―それで退部することになるのですね。

夏くらいからファイアーバーズの話を聞いていたのでそっちに行こうかなと思いました。退部して、冬からファイアーバーズにお世話になることになりました。


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『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.3

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.3

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―京都ファイアーバーズがよかったのですか?

他はファイアーバーズしか知らなかったので。夏から野球部は辞めようかなと、ファイアーバーズに行こうかなと思っていて、秋に練習に行ったのです。野球部を辞めてから落ち込んではいたのですが、新しいチームに入れてよかったです。


―チームに誰か知り合いはいたのですか?

今年は神戸9クルーズにいた同い年の小野真悟です(11/19退団)。当時はファイアーバーズの1年目で、ここでトレーニングしていて知り合いになりました。こういうチームがあると聞いて、彼も「いいチーム」と言っていました。野球部にこのままいても試合にも出られないかもしれない。遅刻だけが理由ではないけど、それがきっかけで嫌われてしまったのかなと思わなくもないので…。


―でも、練習メニューに不安や不満があったのではないのですか?

練習メニューは監督や投手リーダーが考えて、それに従って練習する感じで、自由時間となれば自由時間で、個人で練習しました。


―考え方の問題もあったのでしょうかね?

…ただやればいいというのがちょっと合わなかったのかなと。どうやってやるのかが大事なんじゃないかなあ、とは思っていました。こなしてはいるけど、それだけしか考えていないようにも見えていました。色々と不満があったのは事実だけど、ただチームでうまくいかなかったのはそれは自分が悪いと思っています。


―でも、3年春にチームは佛教大の連覇記録を止めて優勝したわけですよね?

あの時は雰囲気や勢いで勝ったという感じもしますし…。チームが強いかどうかはやる気だけの問題ではないと自分は思っています。大学のときは一部の人間は上を目指しているのを感じましたが、それ以外の人は…。数人だけでした。


―野球部で仲の良かった人は?

あんまり人付き合いを得意としているわけではなかったので…。だからと言って変わり者扱いされていたわけでもないですが、今でも連絡をしたりするのは限られています。


―ファイアーバーズの河田投手も同じ大学でしたよね?

河田は、1年経ってから僕がチームに紹介しました。同学年で1つ年下ですけど。彼もベンチに入ったり入らなかったりで、自分と同じマイペースタイプですね。


―ファイアーバーズに来て変わりましたか?

V字に回復したと思います(笑)。来てよかったと思いました。自分と似ている人が多く環境が楽になりました。みんな上のレベルを目指していることがよかったです。今よりも居心地がよかった面もあります。その時は年上の人が多かったのですが、みんなで飲みに行ったりしても、技術的なことに加えて、社会人的なことなど色々な話が聞けました。酔っていても最終的には「野球」の話になるのがよかったです。大学ではそうならなかったので。


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―昨日、大学選抜とプロが対戦しましたね?印象に残ったことはありますか?

萩原(1年、関西学院大)君がよかったですよね。センター前のクリーンヒットもよかったし、ファウルの打ち方がいいです。スィングを見ても、すぐにプロに入って打てるんじゃないですか?4番でもいいと思ったのですが、下級生だから仕方ないのかなと。左バッターなので左ピッチャーが打てるかが気になります。


―ピッチャーはどうでしたか?

ピッチャーはみんなよかったです、佑ちゃん以外は。テレビで観ていたので最後3人は中継が終わって観られなかったのですが、8人はよかったのではないですか?


―関西独立リーグで気になる選手を教えてください。

自分の中ではですが、奥脇(神戸)、川咲(明石)、パク・オンヒョ(紀州)の左3人ですね。


―奥脇さんは元ニチダイですね。対戦はあったのですか?

社会人のときは記憶にない(苦笑)のですが、相性が悪いのか、今はどこに投げても打たれる気がします(苦笑)。川咲、パクはどちらもイメージとしていいバッターです。特に意識すれば抑えられるとは思うんですけど。


―ピッチャーではどうですか?

西川(神戸)、徳田(紀州)ですね。


―社会人野球とどう違いますか?

日本新薬とかの方が打撃レベルが高いと思います。そんなに大差はないのかもしれませんが、経験と守備力では劣ると。社会人はなかなかミスをしてくれません。日本選手権を観ていたら、レベルが高いなあと思います。試合展開では1個のミスが勝ち負けにつながります。


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『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.4

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.4


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―ファイアーバーズではやはり竹内監督の影響が大きかったですか?

そうですね。あとはシダックスから来た山本さん、ジョーさんと呼んでいたのですが(笑)。それとOBC高島から来た、東海大仰星高出身の筧さん、監督だった榊原さんですね。丸2年の在籍でしたが、1年目はそうでした。


―チームに入って学んだことは?

それまでは自分の思った通りのストレートが投げられれば抑えられると思っていました。今までだったら、痛打されてももっといいストレートを投げればいいと思っていました。考えが甘かったし、失敗しても次頑張ろうと、それまではそういう考え方でした。調子が悪かったら打たれてもしょうがないという部分がありましたね。


―それがどう変わりましたか?

チームのことを考えた時、投手として投げさせてもらっているという責任がある。調子が悪い、肩や肘が痛いというのは、試合になったら関係ない。反省することは大事だけど、言い訳は作ってはいけないと思いました。そう思ってから色々と勉強し始めました。そういう風になるように教えてもらっていたと思います。


―技術的な面ではどうですか?

練習では試合のことを考えてやっていました。竹内さんとマンツーマンでけん制を教えてもらったり、大学ではピッチャーノックはほとんどなかったですが、ファイアーバーズではしょっちゅうやりました。うまい見本となってくれて教えてくれたりしました。ピッチャー同士でエラーが一番多い人がコーヒーを奢るゲームをして、気が抜けなかったです(笑)。


―2年目はチームのエースになられましたね?印象的な試合は?

エースとして活躍できたかどうかは疑問ですが、去年の秋の日本選手権予選でライバルであるRitsベースボールクラブ(現ミキハウスREDS)戦でいいピッチングができました。去年は1勝1敗だったと思うのですが、4点取られましたが、完投しました。5-4で勝ちたいチームに勝てました。人生の中で嬉しかったし、印象に残りました。


―関西独立リーグのトライアウトもその頃あったのですよね?

2日後に広島カープの入団テストがあって、その試合前は100球を目途に交代だったのですが、「交代するか?」と聞かれて「行きます」と言いました。テストはどうでもいいと思ったくらいで、勝ちたいという気持ちが強くなっていました。結局140球くらい投げて、テストはダメでした(苦笑)。肩も張っていたけど、一応受けに行くと言いました。市民球場もいいですが、マツダスタジアムは嬉しかったです(笑)。


―もしかしたら、その広島の入団テストでは、当時京都国際高の申成鉉(シン・ソンヒョン)君が受けて合格したのでは?

そうですね。投手なのでよく覚えてないですが。投手だけで20~30人くらい受けてましたので。


―プロテストは初めてですか?

いえ、その前年も受けましたし、今年も9月に受けました。高3のときも冷やかし的に受けて、今までで計4回受けました。誰でも受けられますし、その日に合否が発表されます。


―どんな内容なのですか?

遠投(90メートル以上)と50メートル走(6.5秒以内)、あとピッチングですね。ストレートと変化球です。記録は発表されません。


―他の球団を受けたことありますか?

今年は全3球団受けました(笑)。広島と横浜、巨人です。チームメイトの洪と横川と一緒に関東まで車で行きました。9月のシルバーウィークの時ですが、どちらも50人ずつくらい受けてました。そのときは事故による渋滞があって、14時間半もかかりました。サービスエリアでキャッチボールをしたりして(笑)。洪は日本語は大丈夫なんですが、免許を持っていないし、横川も運転できないので僕一人で運転しました。3人とも不合格でしたけども(笑)。

―入団テストの日程をどうやって知るのですか?

8月頃、各球団のHPに載ります。


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―そう言えば、関西独立リーグではドラフト1位で大阪に指名されましたよね?

テストを受けた感じで受かったとは思いましたが、まさか1位とは思いませんでした。真っ直ぐは自信があったのですが、コントロールと変化球は自分よりもいい投手がいると思いましたし。


―元巨人の石毛ピッチングコーチに何か言われたりしましたか?

そんなに言われたことがありません。あまり言わない人ですし、要所だけ言ってくれて、試合後のミーティングで、ですね。シーズン中ということもあって言われなかったのかもしれませんが。聞くこともそんなにはなかったです。


―ところで、毎日放送の「せやねん!」という番組に神戸以外の全チームが出演しているのをたまたま観たのですが、朝日放送の「ナイトスクープ」にもチームで出演なさったのですか?

神戸は明石と試合があってテレビに出られなかったような気がするのですが。「ナイトスクープ」は1月か2月に小学生の夢が主審で、試合をやってあげよう、という企画でした。


―ローテーション投手はベンチに入らなくていい時があるのですか?

いえ、全試合ベンチ入りしました。記録を取ったりします。


―話が変わりますが、アルバイトはされたことはありますか?

ファイアーバーズの時にスポーツジムや居酒屋で働いたことはあります。居酒屋は朝5時まであった日もあって2ヶ月ぐらいで辞めましたけど。ジムは練習のない日にトレーニングできるので。


―初動負荷のトレーニングができるのは、関西では高槻と難波の2ヶ所だけなのですか?効果はどうなのですか?

そうだと思います。高槻よりも難波の方が大きいジムです。動きやすくなるし、疲労もたまりにくいし、力も入りやすいです。明確なものはないですが、全体的によくなっているし、徐々に向上していると思います。鳥取のメニューを参考にして、野球のために通っています。最初が悪すぎたので急によくなった感じはしますが、みんなにもすすめたいくらいです。他の人がどんなことをしているのか知りませんが、自分のやるべきことをやるだけなので、シーズン中でも週に4~5回、3時間はトレーニングします。今はオフなので週7回です。


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『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.5

『唯我独尊』~大阪ゴールドビリケーンズ・土肥翔治投手 vol.5


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―ピッチングで走ることは重要ですか?

シーズン中は週1回ですね。ポール走を15~20本流して走ります。今はあまり走っていません。走ればいいとは思っていないからです。持論ではありますが、走らなくても投げられます。走ったらいいというのをちゃんと説明できる人がいないです。みんなが思っているほど走らなくていいし、それよりもトレーニングなどやることがあります。ルームランナーはいつもやりません。


―シャドーピッチングはどうですか?

大学のときはやりましたが、今はやらないですね。フォームを固めるコツを掴むためにやっていましたが、こうしたら腕を振れるというのがわかってきました。でも、今は腕を振る必要がなくなったというか、体重移動のコツでわかるようになりました。だから、解決したのでむやみに腕を振らないようにしています。肩は消耗品だという考えです。投げ込みはほとんどしなくなって、やる時もありますが、150球くらいですね。


―ファイアーバーズの時から変わったことは?

今のチームトレーナーは19歳なのですが、接骨院によく行くようになりましたね。他にもマッサージや鍼にも行きます。1ヶ所だけじゃなくて色々な所に行くようになりました。先生ごとに理論や見方が違って、行き詰った時に1人だけの先生に頼っても脱出できないので。


―本を読んだりして勉強するのですか?

本は読まずに聞くばっかりです。トレーナーや先生など色んな人の話を聞きます。


―球種は何がありますか?

スライダー、カーブ、フォーク、シュート系ですね。左も右も投げます。


―関西独立リーグでプレーするメリットを教えてください。

試合が多いということと、経験が積めるということですね。今年の成績(9勝4敗、防3.06)には満足していないですが。


―何がよくなかったですか?

週1回の登板の調整法が後半になってできるようになりました。それと、ピッチングスタイルです。段々と形になってきましたが、真っ直ぐと変化球の組み合わせがピッチングになっていなかったです。試合中に自分と戦ってしまうところがあって、ストライクを投げないといけないとか、悪いイメージのことは考えないほうがいいです。あとは経験と自信がつけばそういうのもなくなると思います。


―大阪は優勝でしたね。おめでとうございます。ビールかけの映像をテレビで観ました。

ビールかけが一番楽しかったです!!ビールは住之江商店街からの差し入れでした。瓶ビールは割れて危なかったですが、取りに行ったらまだ半分も残ってたり、プールに全員で飛び込んだりしていい思い出になりました。


―野球以外での活動も多かったのでは?

そうですね。試合の案内ビラを配ったりしましたが、人通りの多い梅田や天王寺ではなかなか受け取ってもらえなかったりしました。本拠地の住之江では人が多くてよく応援してもらいました。優勝がかかっている時とか。


―プロということでサインはたくさんしましたか?

自分では50枚くらいのような…(苦笑)。洪君がサインが多かったです。サインの練習もしましたが、みんなうまくてもっとやっておけばよかったと思いました(笑)。


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―ファイアーバーズ出身の選手との対戦はどうでしたか?

近藤(明石)や小野(神戸)との対戦はやりやすかったです。山門(大阪)は同じチームですし。


―正直言って、ファイアーバーズを出にくくなかったのですか?

結果4人も抜けましたが、監督も「トライアウト受けるの誰?」という感じだったので、引け目はなかったです。前年も受けていたので背中を押してもらったし、「行け!」と言われました。誰も養成所とは思っていませんが、もっと、ちょっとでも上のレベルに行くためのチームとして、スタッフの中にそう考えてくれる人たちがいるのがよかったのです。


―プロを意識しているということですね?

高1のときも広陵を知らなかったくらいで、甲子園にも興味がなくて。最近、3年前くらいから高校野球を観るようになったくらいですし、甲子園や神宮よりもプロに行くためにと。観るならプロ野球でしたから。勝ちたいとは思いますけど。


―難しかったことはありますか?

これは言っていいのか、…募金活動は難しかったです。もちろん好意的に捉えていますし、ファンあってのことで応援もしてもらいましたが、結果的には苦しくあまり集まらなかったです。それに自主トレやトレーニングしたい時にできなかったというのもありました。


―シーズンオフですが、これからどうされますか?

今が正月みたいなもので、12月から体を作りたいと思っています。1月は鳥取に行きます。


―トレーニングにかかる費用は?

学生だったときは、1日に1万2千円から1万5千円だったのですが、今は社会人料金で1日に1万8千円くらいです。4日ぐらいを予定しています。それだけの価値があります。


―その後はアメリカに行くのですよね?

はい。ウィンターリーグに参加しようと思っています。より上のレベルでできるチャンスがあると飛びつくべきだと。まだどのプランで行くか決まっていません。そういうプランがある会社に頼むか、個人で行くかどうかですね。


―そう言えば、滋賀大から横浜に育成選手で入団した関口選手(今週日ハムにトレード)は、アメリカに渡って短期間でたくさんの試合に出場したりして腕を磨いたそうですね。

実はここでよく会う人が、関口選手と同じ横浜のプロテストを受けて最後の2人に残ったのですが、その人は3打数2安打だったのに対し、関口選手は3三振だったのに受かったと嘆いていました(苦笑)。要は若さと才能があると。走ったら速いし、遠投や飛距離もすごいということで。


―ウィンターリーグで結果がついてきたら、アメリカに行くこともありですか?

日本に越したことはありませんが、行くのだったらメジャーでマイナー契約でも…。


―チャレンジ精神が旺盛ですね。

根拠のない自信があるからです。いつか他の人も超えられない選手になりたい。今まで迷うことはあっても挫折はしていないし、こんなのは絶対に無理と思ったことがないんです。NPBやメジャーで投げたいという気持ちだけです。才能がないと思ったらやめた方がいいです。


―今取り組んでいることは?

体重を増やしています。ちょっとずつ増えました。体も大きくなって、中学3年間で20センチも身長が伸びましたし、高校時代は68キロでしたから今は10キロも違います。


―京セラドームで行われた関西独立リーグの開幕戦で、大阪の先発投手を務めましたね。緊張しましたか?、それと、吉田えりちゃんはどうでしたか?

その質問ですね(苦笑)。…言うことないですね(笑)。17歳にしてはすごいし、もっとコントロールは悪かったです。ナックルは揺れているので、ストライクが入ればなかなか打てないと言っていました。開幕戦は特に緊張しませんでした。それよりも京セラドームのマウンドの高さにびっくりしました。


―関西独立リーグと社会人野球の最大の違いは?

お客さんがいることですね。


―今後の豊富を一言お願いします。

そうですね。…もしかしたらアメリカに行けるのであれば、日本には戻らずやっていきたいという気持ちも思っています。今は契約が切れている状態なので保留している状況というか、保障されているわけではないので、もし大阪で枠が空いていたら…とか四国に行った方がチャンスがあるのかなという気もしますし、…絶対にアメリカというわけでもなく、あくまで今から考えるということですけれども(笑)。


―そうですね(笑)。…もし行けるとしたら、2月からのアメリカでのウィンターリーグ、頑張ってください!

これから決めることになりますが、アメリカに行く目標を持ちつつ、話がダメになれば3月でも4月でも戻ってくることになると思います。今後は未定ですが、一旦広島に帰ります。どうなるかまだ自分でも考えてみたいと思います。


おわり




※『唯我独尊』とは、「自分一人が特別にすぐれているとうぬぼれること。ひとりよがり」という意味ではなく、「この世の一人ひとりが主人公。」といった意味で捉えています。

※土肥投手がアメリカに行くかもしれないという情報を聞き、取材をさせていただきました。急なお願いや答えにくい質問にも応じて下さって大変感謝しております。来年はどこに所属されるかわかりませんが、みなさんの応援もよろしくお願いします。




<関西独立リーグ表彰>


【投手部門】

★ 最高殊勲投手  大阪 岸  

★ 最高防御率   大阪 岸  1.43

★ 最多勝     明石 百合  13

★ 最多セーブ   大阪 遠上  21

★ 最多奪三振   大阪 岸   146


【打者部門】

★ 最高殊勲選手   紀州 朴言孝(パク・オンヒョ) 

★ 首位打者     紀州 朴言孝 .333

★ 本塁打王     大阪 硯野   6

★ 打点王      神戸 若林   41

★ 盗塁王      大阪 山門   30




(参考HP)

株式会社ワールドウィングエンタープライズ

動作改善トレーニングのCLUB ONE (クラブワン)

申 成鉉(シン・ソンヒョン)

関口雄大

大阪ゴールドビリケーンズ

関西独立リーグ

ジャパン・フューチャーベースボールリーグ
プロフィール

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